大西祝『良心の意義を論ず』『忠孝と道徳の基本』解説

2016-10-11

このテキストについて

平山氏の依頼により大西祝の『良心の意義を論ず』(1895)と『忠孝と道徳の基 本』(1893)の作品解説をアップロードします。

本文

 大西の仕事は、講壇哲学者としてのアカデミックな学術論文と、批評家としての時事評論の二つに分けられる。

 学術論文に属するものは、良心の目的論的進化を唱えた『良心起原論』(原型1890頃)や、「早稲田講義録」に連載されたものをまとめた『西洋哲学史』、『倫理学』、『論理学』(いずれも1897以降)などである。このうち学術論文の代表作は『良心起原論』であるが、博士論文として準備されたものの提出はされなかったので、その全貌が明らかとなったのは大西没後であった。単独論文として発表された本選集採録の「良心の意義を論ず」(1894)と密接な関係があるため、『良心起原論』全体の解説をすることでその解説に替えたい。

 一方時事評論に含まれるのは、マシュー・アーノルドとイマニエル・カントに由来する彼の批評主義の骨子をまとめた「批評論」(1887)や「方今思想界の要務」(1889)、および「忠孝と道徳の基本」(1893)また「当今の衝突論」(1893)などである。このうち「当今の衝突論」は、帝大教授井上哲次郎が発表した「教育と宗教の衝突」(1893)をきっかけにして書かれた。そこで大西は、キリスト教は教育勅語教育と矛盾する、という井上に対し、キリスト教と国家の衝突とも見える現実世界内の対立は、実は進取と保守との衝突であるので、これを契機としてキリスト教は日本化すると同時に、日本を変化させねばならない、と主張している。この論説は、同時期に展開されていた「教育と宗教の衝突」論争の中でも異彩を放っている。なお、本選集採録の「忠孝と道徳の基本」は、「教育と宗教の衝突」論争に先だって、井上の忠孝論に真正面から反論を加えた1編である。

 先ず「良心の意義を論ず」を理解するために、大西にとっての良心の意義について述べたい。大西が仏教徒であったのは10歳程までと短く、物心ついての人生の大半を広義のキリスト教徒として過ごしたため、良心は最初から絶対者との関わりにおいて理解されていた。すなわち『良心起源論』の冒頭では、財布を盗もうとしている人の心に「為してはならぬ」と禁止する声が聞こえるという実例に続けて、「世に此特殊の心識を名けて良心の感覚又良心の命令と云う。又更に形容の語を用いて、良心の声とも云う。又その声の最と厳粛にして無上の権威を以て語るが如く思わるる故に、或は此に宗教的の思想を附加して、神の声と云う者もあり」と説明している。

 こうした意識(大西の用語では心識)が前提条件なしに生じるのは実に不思議だということから『良心起源論』は出発する。その構成は、前論「良心とは何ぞや」、本論「良心の起原」、余論「倫理学上此論の価値」、付録「良心作用の対境たる動機、意趣並に行為」となっている。良心の働きについて論じた前論の内容は、本選集に採録した「良心の意義を論ず」と大きく重なっている。大西はそこで、良心とは「無条件に善をなせ」という自分が自分に負わせる強迫である、とする。そしてその作用の分析を行ったあと、本論ではその本格的な追究が開始される。その探究の仕方は、カントに倣った批評主義の方法に忠実に従ったものであった。

 まず「批評部」においては、良心起原に関する論として従来有力であったベンサム、ダーウィン、ヘフディング、スペンサーらの学説が批判され、そのあとに、「建設部」として大西自身の良心論が唱えられている。そこでの大西の考えは「進化論的理想説」とでもいうべきもので、同志社で受容した目的論的進化論と東大に移ってから学んだヘーゲルやグリーンの哲学からの影響が著しい。

 進化論的理想説とはすなわち、「吾人の生活行為の理想は固より只だ架空の想像にはあらず。そを通常所謂る想像より区別するものは、吾人がそれに対する善若しくはあらねばならぬてふ心識なり。然れども如何なれば其如き理想の生起するやと尋ぬるに、惟うに是れ吾人の人性が其本来の目的(即ち人間の存在、又最も広く云えば、法界の自然の構造に於て定めある人性の有様)に達せんとするより起るものならん」、そして、「吾人が此法界の構造に於て吾人に定めある目的(即ち吾人の本真の性)に傾向するの心識は是れ即ち義務の衝動、可しと云い、ねばならぬと云う心識なり。其傾向の障碍を受けたるの有様は即ち良心の不安、良心の咎めと云うものなり」という考えなのである。

 結論部で理想が持ち出されるところに唐突感は否めないのであるが、全体の構造を簡単に説明するならば、法界の自然の構造が理想を設定し、それに則っていないときに良心の咎めの意識が生じるというのであるから、ヘーゲルの『精神現象学』(1807)の内容に類似している。大西自身は『良心起源論』を実験心理学の研究法なども援用することで、あくまでキリスト教とは離れた形で記述するように試みたのではあったが、最終的な結論はドイツ観念論に近づいたばかりか、さらに遡って神学上の「神の目的論的証明」と呼ばれるものに近くなっているように思われる。なお、実験心理学からドイツ観念論へ、というこの議論展開上の歪みともいうべきものは、大西の思想的継受者である西田幾多郎の『善の研究』(1911)にも見られる欠陥ということができよう。

 さて、先にも述べたように「教育と宗教の衝突」論争は、大西の指導教授でもあった井上哲次郎が1893年1月に発表した同題の論文に端を発している。そこで井上は、「自由や博愛を説き、絶対神を天皇より上位に置くキリスト教は反国家主義的である」としたのであった。この論争でキリスト教側からの反論は、本多庸一・柏木義円・横井時雄・植村正久・内村鑑三らによってなされたが、彼らの主張は次の4点にまとめられる。(1)キリスト教は地上の国と神の国の二元構造をとっており、国家主義とは矛盾しない。(2)教育勅語で重要なのはその徳目の実践であって、それに礼拝するしないは二の次の問題である。(3)井上は自らの解説書によって勅語を私化したのであり、かえってそれを冒涜している。(4)憲法で信教の自由は認められており、キリスト教弾圧は憲法違反である。

 この論争の中で大西が果たした役割は特異なものがあった。まず、1893年2月発表の「教育勅語と倫理説」において、「勅語は倫理学説ではないのだから、そこに挙げられている徳目が絶対であるわけではない」と主張する。さらに3月発表の「耶蘇教問題」では、井上のキリスト教批判が的を射ていないことを指摘する。たとえば井上は聖書の中のエピソードを文脈から切り離して解釈することで、「キリスト教は不孝である」という結論を導く。大西はそうした井上の批判が成立しないことを主張する。なぜなら、聖書は絶対とは言いながら、その解釈についてはキリスト教徒の中でも無限に存在しているからである。大西は、「キリスト教には国家的傾向がないだけであって、国家に対抗しているわけではない」として論を閉じている。

 キリスト教はそもそも国家と対立しているとする井上の批判がそもそも成り立っていないとするならば、現にある衝突は何と何の衝突なのであろうか。その問題に答えようとしたのが、先にも触れた6,7月発表の「当今の衝突論」である。そこで大西は、「現にある衝突はキリスト教と国家の衝突ではなくて、進取と保守の衝突である」と述べている。この見解は他の論者には見られない鋭い指摘である。そして大西は「当今の衝突論が進取主義をとるキリスト教と保守主義との衝突であるならば、その両者の衝突を通じて、キリスト教は日本化すると同時に、日本を変化させなければならない」とも主張している。日本のキリスト教は外国の宣教組織から独立しなければならないというのは、大西の持論であった。

 本選集に収録されている「忠孝と道徳の基本」は1893年1月の発表で、井上の「教育と宗教の衝突」とまったく同じ時期であった。井上は「教育と宗教の衝突」を発表する前の1892年11月に「教育と宗教との関係につき井上哲次郎氏の談話」を公にしていて、大西はこの談話に反論を加えたのである。「忠孝と道徳の基本」において大西は、道徳の基本というのが学理上のものだとしたなら、忠孝はカントのいわゆる「理性が指し示す大法」と同様の意味においての「道徳の基本」たり得ない、とする。また、基本というのは本来唯一であるべきであるから、忠と孝のいずれかが真の基本ということになろう。さらに、忠孝と漠然といわれても、その内容が明確に位置づけられているわけではない。また、忠孝が道徳の基本であるならば、一切の徳行は全て忠孝から割り出されなければならないはずであるが、そうとは言えない。さらに忠孝が君父に従うの意味であるのならば、君父の命令自体の道徳性は問題にならないことになる。もし問題となるならば、その君父の道徳的判断が依るものこそが真の道徳の基本ということになるはずである。結局、忠孝は道徳の基本ではありえず、人類存在の目的のための一種の徳行にすぎない、と結論づけている。

 忠孝を道徳の基本とすることについては以上のように厳しい評価を下した大西であったが、「武士道対快楽説」(1895)と「ストアの精神と武士の気風とを比較して我が国民の気質に論じ及ぶ」(1895)において、忠孝の実践的作法ともいうべき武士道についてはその内容を高く評価している。

 まず「武士道対快楽説」では、「予輩は武士道なるものの我国民の志気を養成するに与って大に力ありしを認む。千辛万苦を辞せずして或理想の為に粉身虀骨する献身的精神の我国人の心裡に宿れるもの、是れ多くは武士道の賜と云うべきなり」とし、さらにそれを敷衍する形で、「ストアの精神と武士の気風とを比較して我が国民の気質に論じ及ぶ」では、武士道の由来を日本古来の伝統に求め、ストア主義と似ているがゆえに武士道も賞賛しうるとしている。

 その中で大西は、武士道とストア派の共通点として利益主義・商売主義でないところを高く評価しているのであるが、その点は大西が大きな影響を受けていた福沢の武士道の解釈とは異なっている。福沢はビジネスの世界での戦いに邁進するのも、士流(武士の末裔というほどの意味)として恥じる必要のない立派な行為として賞賛しているのである。この点が大西と福沢のビジネスマインドの位置づけの違いともなっているように思われる。

 武士道は大西・福沢ともに、よき人格や良心と矛盾することのない行為規範として扱われていた。それではビジネスマインドは人格や良心とどのように関係するのであろうか。ベンジャミン・フランクリンとJ・S・ミルの感化を受けた福沢は、慶應義塾の教育のモットーを、品位・品格の涵養と良心に恥じない生活の構築においた。ただし、大西においては人格と良心の追究が彼の信仰生活と密接な関係を有していたのに対して、福沢がそれらを重要視したのは、信仰とは別に日本人の精神的近代化を推進するためであった。福沢はそれまでの日本にはなかったビジネスマインドの醸成のために、まず人格と良心の水準を西洋人と同等とすることの必要性を痛感していたのである。

 一方カントやストア派を高く評価する大西は、徳というものは快とは関係してはならないという意識をもっていた。「ストアの精神と武士の気風とを比較して我が国民の気質に論じ及ぶ」でも、ストアも武士も利益主義ではない、商売主義ではない、とした上で、武士は君の馬前に義のために武士の職分を尽して討死を遂げる、それが報酬で其外に何も利益を求める心はないと、武士道精神を高く評価している。これは福沢の痩我慢の精神と同じであるが、福沢はその精神を商売に役立てることはかまわないと考えていたのに対し、大西は武士の末裔たるものが商売をするのは恥ずかしいことだ、という意識をもっていたようである。

 以上、大西の思想の骨子を駆け足で説明してきた。哲学の体系化と論理的厳密性をめざした彼の試みは早世によって未完に終わったが、『大西博士全集』全七巻(警醒社)に収められたこれらの論文は、後進の西田幾多郎らに影響を与えたばかりでなく、今なお読むに値する高い水準の作品群である。