書評『日本思想全史』

2016-05-29

このテキストについて

『比較思想研究』第42号157~158頁(2016 年 3 月)に掲載された、 筑摩書房 日本思想全史 / 清水 正之 著の書評です。

本文

書評『日本思想全史』二〇一四年 筑摩書房

 新書版ながら充実した内容をもつ日本思想の通史である。西洋哲学史については文庫版の良書が多数あるのに、こと日本思想については同様の全史はかつてなかった。永らく待たれていた書籍がついに世に出たといってよい。その「あとがき」によれば、本書はもともと放送大学のテキストとして編まれた『日本の思想』を基にして、古代から近代までを増補し、新たに現代の章を書き加えたものである。

 目次は以下の通りである。はじめに/第一章古代/1日本という境域、2神話にあらわれた思想、3歌謡の発生と『万葉集』、4仏教の受容とその展開―古代仏教の姿、5聖徳太子の伝説、6仏教の深化―平安仏教の思想、7王朝の文化と思想/第二章中世/1歴史物語・中世歴史書の思想―貴族の栄華と武士の登場、2『愚管抄』と『平家物語』、3『神皇正統記』―正理と歴史、4浄土教と鎌倉仏教の思想、5芸道論と室町文化/第三章近世/1キリシタンの伝来とその思想、2朱子学派の登場、3儒教思想の多様な展開―朱子学と反朱子学、4古義学・古文辞学の成立、5儒教的学問と教養の進展、6武士道と近世思想の諸相、7国学の思想、8町人・農民の思想、9蘭学と幕末の諸思想/第四章近代/1明治啓蒙思想とその展開、2明六社とその同人、3自由民権運動、4国民道徳論とキリスト教、5社会主義の思想、6内面への沈潜、7大正デモクラシーの思想とその帰結、8昭和の超国家主義と戦時下の思想、9近代日本の哲学、10近代の日本思想史研究と哲学/第五章現代/1戦後思想の出発、2戦後的なるものの相対化―主体・作為の捉え方、3戦後の哲学とその変遷/おわりに―二階建ての哲学/あとがき

 本書は全史とは称されているが、古代に起きたものが一貫して日本に流れ、日本的なるものが根底にあるという視点には立っていない。そうではなくて、選択―受容―深化の様態としての思想史の立場をとっている。その特徴として、選択・受容の局面における比較的視点ないし相対主義的視点の把持があげられているが、そうだとすると、「ああでもない、こうでもない」といった散漫な展開を懸念する向きもあろう。

 だがその心配は無用である。文章が流麗なばかりでなく、読者が知りたいと思うことがきちんと書かれていて、評者としては、とりわけ古代の章における、記紀神話から『万葉集』への思想の移り行きと、それと並行して培われていった奈良仏教の展開についての完備された記述にうならされた。作者ならではの視点に基づく一貫した流れは近世の章の最後まで保たれていて、ここまでの円満性とでもいうべきものは、さすがに一人の手になる通史ならではのことだ、と得心した。

 ただ、残念なのは、近代の章の途中から現代の章にかけて、持ち前のなめらかな記述が影を潜めてしまうことである。第四章の9節以降も、それまでの書き方と同様に、個別的な諸課題を一つの流れの中に位置づけることはできなかったのであろうか、とは思う。