「武士道・ビジネスマインド・愛国心-福沢諭吉と大西祝の場合-」

2014-06-23

このテキストについて

平山氏の依頼により、2014年6月21日に青山学院大学(東京都渋谷区)で開催さ れた日本ピューリタニズム学会の発表「武士道・ビジネスマインド・愛国心-福沢諭吉と大西祝の場合-」のアウトライン・配付資料・音声を、 平山氏の了解の上 アップロードします。

なお、この報告は、「近代日本における『人格』・『良心』」という シンポジウムの提題の一つとして、小檜山ルイ氏(東京女子大学)の 「明治期における『人格』と女性―中村正直と新渡戸稲造を通じて―」 とともに発表されました。

配付資料

「武士道・ビジネスマインド・愛国心―福沢諭吉と大西祝の場合」(1200字)

                             静岡県立大学 平山 洋

 近代日本における「人格」と「良心」を主題とするシンポジウムの提題者として私に与えられた役回りは、この主題について福沢諭吉(1835~1901)と大西祝(1864~1900)の関わりを論ぜよ、というものである。

 まずこの二人はいずれも江戸時代に生を受けた「武士」の息子であった。とはいえ福沢と大西は親子・師弟の年代差があって、実際にも大西(当時木全姓)の郷里岡山での師永島貞次郎は福沢の高弟のうえ、東大予備門では福沢の息子二人と同級になっている。また福沢が紹介したマシュー・アーノルドの「現代における批評の任務」は、大西の「批評主義」に強い影響を与えた。さらに大西の伯父中川横太郎は岡山における福沢の盟友で、福沢書簡集には多くの中川宛書簡が収められている。このように福沢の思想の影響下にあった大西が同志社英学校に進学したのは、一家でキリスト教に改宗していたためである。以後大西にとっての「人格」と「良心」は、神学上の概念から、西洋哲学、わけてもカント哲学上の概念として展開してゆく。

 もとより「人格」と「良心」は日本の近代化のためにも重要である。ベンジャミン・フランクリンとJSミルの感化を受けた福沢は、慶應義塾の教育のモットーを、品位・品格の涵養と良心に恥じない生活の構築においた。ただし、大西においては「人格」と「良心」の追究が彼の信仰生活と密接な関係を有していたのに対して、福沢がそれらを重要視したのは、信仰とは別に日本人の精神的近代化を推進するためであった。福沢はそれまでの日本にはなかった「ビジネスマインド」の醸成のために、まず「人格」と「良心」の水準を西洋人と同等とすることの必要性を痛感したのである。だが、一方明治10年代の福沢は新聞紙上でキリスト教排撃の論調を張っていて、同志社出身者をはじめとするキリスト教徒たちと対立してもいた。

 福沢がキリスト教布教に反対したのは、その教えの中身が不当であるというよりも、布教が西洋諸国によるアジア侵略と不可分離の関係にあるからだった。その危険性を知っていたからこそ、日常生活を送る上での「人格」と「良心」を重要視しつつ、日本をキリスト教国化するかのような動きに危機感を抱いたのである。それは福沢のもつ「愛国心」に起因するといってもよい。

 日本人の道徳性を高めるための信仰として、明治10年代までの福沢は穏健な仏教を想定していたように思われる。しかし、英米におけるユニテリアン運動を知ってからは、その帰一信仰ともいうべきものに強い関心を抱くようになる。また、同志社から東大を経て早稲田の講師となっていた大西もまた、キリスト教から離れてユニテリアンに近づいてゆく。日本におけるユニテリアン運動は福沢の支援によって推進されたが、そうしてその拠点となる先進学院に大西は教頭として招かれることになった。

アウトライン

日本ピューリタニズム学会第9回研究大会シンポジウムⅡ
2014年06月21日
「近代日本における「人格」・「良心」」
                                                

武士道・ビジネスマインド・愛国心
-福沢諭吉と大西祝の場合-
(アウトライン)


静岡県立大学 平山 洋

1 福沢と大西は「人格」や「良心」をどのような意味で使っているか

  ○福沢に「人格」の用例なし、「良心」は3例 
  ○対置概念として福沢の「気品」と「善心」の用例
  ○大西の「人格」と「良心」の用例


2 福沢と大西にとって「武士道」とはどのようなものであるか

    ○福沢の「武士道」の用例は7例 
  ○大西の「武士道」論 ―「武士道対快楽説」(1895)「ストアの精神と武士の気風とを比較して我が国民の気質に論じ及ぶ」(1895)


3 福沢と大西にとって「ビジネスマインド」とはどのようなものであるか

  ○福沢『民間経済録』(1877)『実業論』(1893)にみる商売の心得 
  ○大西の実業への無関心と「社会主義の必要」(1896)


4 福沢と大西にとって「愛国心」とはどのようなものであるか

    ○福沢における「愛国」と「報国」 
  ○大西は愛国心に言及せず


5 福沢と大西にとって「女性の役割」とはどのようなものであるか

  ○福沢の女性論『日本婦人論』(1885)『女大学評論・新女大学』(1899)―JSミルの女性論との連関
  ○大西に女性論はないが、伯母は岡山の女性教育の指導者


6 福沢と大西の共通点について

  ○マシュー・アーノルド「現代における批評の任務」(1865)から福沢「掃除破壊建置経営」(1882)と大西「方今思想界の要務」(1889)へ 
  ○西洋文明を普遍的文明とみなす 
  ○言論の範囲に制限をもうけない 
  ○福沢の「善心」、大西の「良心」は人間の行動規範である


7 福沢と大西の相違点について

  ○福沢はまず何より経済の近代化を優先、大西にはビジネスへの関心なし 
  ○福沢の「気品」は社会生活を営む上での人間的要件、大西の「人格」は神学に由来する研究対象 
  ○福沢は実業の人、大西は研究の人


8 まとめ ―ユニテリアン運動の挫折と明治教養主義との連関

  ○福沢は社会の平安を求めて、大西はキリスト教のドグマに飽いてともに普遍宗教を模索 
  ○ともにユニテリアン運動に賛同 
  ○福沢による先進学院と慶應義塾の合併計画とその頓挫 
  ○福沢・大西没後活動を本格化させる明治教養主義者(新渡戸稲造・夏目漱石・西田幾多郎ら)は大西と同世代で、思想の傾向性も類似

音声ファイル