「文部省第三号の達を読む」

last updated: 2019-09-08

このページについて

時事新報に掲載された「文部省第三号の達を読む」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

文部省第三号の達を読む

四月十七日文部省第三號の達は町村立私立學校取締上に關するものにして其眼目とする所は町村立私立學校の既に設置したる者及ひ將來設置する者共總て精密に監督調査を遂け其教旨の第一國安を妨害し第二風俗を紊亂し第三心身を損害するが如き恐れあるものは勿論苟も教育上に弊害を生す可しと認むるものは嚴重に處分可致とて府縣に達したるものなり

我輩右三様の綱領を案するに第一學校の教旨にて國安を妨害するとは其校主教員たる者が生徒を集め政治經世に關して不良の書を教へ又は之を口授して其旨は日本國内の安寧を破壊する者歟或は其書の性質は不良ならさるも之を教授するの方法善良ならさる者歟又或は近來世に政談流行に付ては學校の名に托して壮年輩を集め教塲の本色は第二着の事として恰も一政黨の姿を爲し以て官權と云ひ民權と稱し唯政治上の議論に喋喋して世海の波を掲けんとする者もなきに非されば是等の取締として嚴重に處分するの義ならん即ち政治上の事なり抑も政治の事項に關して國安を妨害する者を處するには既に其法律を設けて今日も實施することなれとも今回教育に就て特に達するものは現行の法律は既發の國安妨害を制し文部省の達は未發の國安妨害を防ぐものにして斯る教育の旨にては追々此學校より出身する者は他日必す國安を妨害して現行の法律に觸るることある可しと之を恐れて嚴重に處分致す可しとの義ならん現行の國安妨害にても其証左不分明にして往々處分に困却するものある由、學校の教旨を監督調査して豫め其有害無害を斷定せんとするは又一層の困難にして當局者も固より其難きを知ることならんと雖とも我輩の臆測する所にては文部省は必すしも學校の教塲に立入りて其書籍の性質を是非し其教授の方法を咎めんとするの意に非す唯彼の學校の名に托して壮年輩を集め其舉動或は穏かならさるものもあらん歟と之を憂慮して豫防の方〓を設けたることならんと信す若しも然るものにしてよく實際に行はれたらは至當の考案なりと云ふ可し

第二風俗を紊乱するとは全く道徳上の事ならん抑も人の私徳公徳の發表して其働を社會に呈するもの之を風俗と云ふ而して其公徳を紊乱するは即ち國安を妨害するものにして別に其目あるか故に爰に掲る所は専ら一個人の私徳に關するものならん例へは町村立私立學校の校主又は教員等か放奢淫逸貪吝不正にして品行を脩めす甚しきは其教授する所の書籍に至るまでも醜を厭はすして以て滿校の堊風俗を成し遂に生徒の品行を傷ふものを云ふならん然るに他の徳義の厚薄を評するは高徳の人に非されは能わす況や之を監督調査して其徳の薄き者をば嚴重に處分せんとするに於てをや端嚴方正有徳の君子にして内行脩り曾て世間の譏を受けたることなき人物にして始めて其任に當る可きものなり有形の法律なれは其明文に依頼して他を處分すること難からすと雖とも苟も徳義の域に入ては全く無形の議論にして假令ひ何様の處分するも其處分を以て勧懲の効を奏すると否とは處分者の徳義の厚薄如何に在て存するのみ今回この達の發したる所は文部省なれば先つ本省の官吏の私徳如何を視察すること緊要なり次て此達の旨を奉して之を實施する者は府縣なれは府縣廰の官吏の私徳如何を視察し省廰の官吏其私に於て果して端嚴方正有徳の君子にして内行脩り家政整ひ曾て世間の譏を受けたることなき人物ならは此第二の目も亦甚た有力にして風俗矯正の方便たらんのみ

第三身心を損害するとは衛生上の事にして爰に云ふ心とは道徳の心に非すして生理の心ならん道徳の心ならば前の風俗の目に於て之を盡したればなり故に衛生より之を論すれば精神を勞するに過きて錯亂する者あり、逸するに過きて放心する者あり即ち生理上の心にして之に注意すること固より緊要なり又其体育に至ては徳育智育と相權衡するものにして精神に費す所は体力を以て之を償ひ、体力に得る所あれば精神に之を失ふ、生理の〓則にして欺く可らず殊に我日本人を以て西洋人に比すれば之を平均して体力〓壮ならさる者の如し左れば今日の教育〓に於て体育は最も焦眉の急なれとも全國の教風皆徳育智育に偏して諸學校の課業甚た寛ならず殊に文部省直轄の大中學校等に入る者は其學課も高く其時間も少なからずして〓〓復讀自脩の用意等の爲に殆と終日を費し徃々これに堪へずして身心を損害する者なきに非すと云ふ固より其本人の天禀虚弱なるが故に然るものならんと雖とも我國の子弟は平均して虚弱なる者多し當局者の注意を要するものなり上の行ふ所は下必す其風に倣ふ故に文部省が町村立私立學校をして衛生の旨を〓せしめんと欲せば隗より始るの故事に從ひ先つ本省直轄の諸學校に於て其課程を寛にし日本國中文部の學校に限りて病者少なく其生徒に限りて身体強壮なりとの先例を示したらば天下の學校皆これに風靡せさる者なかる可し今日に至まで衛生の一點に付ては何分にも文部學校の風を學ふ可らさりしは遺憾に堪えさる所なり