「出兵の要」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「出兵の要」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

朝鮮の事變に付き出兵の要用なるは、既に輿論の許す所にして、我廟議も此に一決したることなれば、今更其

利害を論じて疑を容るゝ者はたがる可しと雖ども、唯出兵とのみ云ふて其兵を用る所を知らざれば、今後我兵の

運動を聞見して或は疑を生ずる者なきを期す可らず。就ては我輩の所見にて豫め其用兵の如何なる可きやを記す

は無益の勞に非ずと信ず。

去月二十三日の暴動以來、朝鮮國の内情は詳知するに由なし。兎に角に朝鮮の政府は在韓の日本人を保護する

の力なく、又大院君の政府なれば、爾來何樣に其外面を裝ふて平和説を唱るも、遁辭に出る一時の策にして、其

精神は我れを保護せざるのみならず、却て我れを害せんと欲する者たるや明にして、之を從前の事跡に就て證す

可し。斯る國に入て事を談ぜんとするに、我政府の使者たる者は固より單身獨歩す可らず、百事陣中の心得たる

こと當然なれば、護身の兵なかる可らず。出兵を要する第一なり。

釜山浦元山津には兩國の貿易に關して日本人の在留する者甚だ少なからず。而して此日本人は全く商賣の人に

して、防禦の用意とては身に寸鐵も帶びざる者なれば、今日彼の暴民の殺氣盛なるときに當て何等の變あるも計

る可らず。既に去月三十一日には元山に兇徒暴發し、我居留人民の老幼婦女子は禍を避けて釜山に遁れ又長崎に

歸たる者もあり。斯る亂暴なる有樣にして、殆ど事物の秩序なき時勢なれば、我商人等の爲に巌重の保護なかる

可らず。出兵を要する第二なり。

我問罪の使が彼の地に上陸の上は速に談判を開き、我公使館を襲撃して我人民を屠戮したるは何者の所業歟、

これを指揮したる者は何人なるや、之を敎唆し煽動し聲援したる者は何人なるやと、其實際を糺問して其巨魁た

る者幾名を死刑に處し、我被害者の遺族に對して相當の扶助金を拂はしめ、又我政府問罪の實費を償はしむるこ

と、我國民詞訟の慣行に於て敗訴の方より訴訟入費を辨ずるの法の如くせざる可らず。是等の談判に付ては我方

より罪人の所刑にも差圖する所ある可し。扶助の金額、問罪の實費も、此方より其多寡を算して之を要求し、其

應否の囘答に日限も定めて、隨分巖重なる談判なる可ければ、其時の事情に從ひ、要衝の地を撰て兵力を以て之

に占據し、談判の局を結ぶまでは此土地を明渡たさずと公言して、恰も之を談判の抵當に取るの場合もある可し。

斯の如くして我要求の目的を達すれば、平和の結局と云ふ可けれども、或は然らず、彼の方にて到底我求に應ず

るの意なくして益無禮を加るときは、止むを得ず兵端を開て彼れが守衞の要處を攻擊し、遂に城下の盟にまで迫

精神は我れを保護せざるのみならず、却て我れを害せんと欲する者たるや明にして、之を從前の事跡に就て證す

可し。斯る國に入て事を談ぜんとするに、我政府の使者たる者は固より單身獨歩す可らず、百事陣中の心得たる

こと當然なれば、護身の兵なかる可らず。出兵を要する第一なり。

釜山浦元山津には兩國の貿易に關して日本人の在留する者甚だ少なからず。而して此日本人は全く商賣の人に

して、防禦の用意とては身に寸鐵も帶びざる者なれば、今日彼の暴民の殺氣盛なるときに當て何等の變あるも計

る可らず。既に去月三十一日には元山に兇徒暴發し、我居留人民の老幼婦女子は禍を避けて釜山に遁れ又長崎に

歸たる者もあり。斯る亂暴なる有樣にして、殆ど事物の秩序なき時勢なれば、我商人等の爲に巌重の保護なかる

可らず。出兵を要する第二なり。

我問罪の使が彼の地に上陸の上は速に談判を開き、我公使館を襲撃して我人民を屠戮したるは何者の所業歟、

これを指揮したる者は何人なるや、之を敎唆し煽動し聲援したる者は何人なるやと、其實際を糺問して其巨魁た

る者幾名を死刑に處し、我被害者の遺族に對して相當の扶助金を拂はしめ、又我政府問罪の實費を償はしむるこ

と、我國民詞訟の慣行に於て敗訴の方より訴訟入費を辨ずるの法の如くせざる可らず。是等の談判に付ては我方

より罪人の所刑にも差圖する所ある可し。扶助の金額、問罪の實費も、此方より其多寡を算して之を要求し、其

應否の囘答に日限も定めて、隨分巖重なる談判なる可ければ、其時の事情に從ひ、要衝の地を撰て兵力を以て之

に占據し、談判の局を結ぶまでは此土地を明渡たさずと公言して、恰も之を談判の抵當に取るの場合もある可し。

斯の如くして我要求の目的を達すれば、平和の結局と云ふ可けれども、或は然らず、彼の方にて到底我求に應ず

るの意なくして益無禮を加るときは、止むを得ず兵端を開て彼れが守衞の要處を攻擊し、遂に城下の盟にまで迫

らざる可らず。出兵を要する第三なり。

右の次第なれば、和戰の兩樣、其何れにて局を結ぶ可きやは今より測り難しと雖ども、和に由るも戰に由るも、

兎に角に我要求に應ずるものとするも、一日に局を結ぶ可きに非ず。例へば彼れが償金を拂ふにも必ず一時に之

を拂ふは難きことならん。故に其これを拂ひ終るまでは兵力を弛めずして其終を待つこと緊要なり。彼れの精神

に於て眞實に前非を悔ひ、只管平和を主として、唯目下其金策に窮するのみの爲に期限を延ばすが如きならば、

我兵士を彼の地に置くも無益なれども、我輩の臆測する所にては、彼の大院君の心事、決して斯の如くならんと

信ずるを得ず。彼れ若し日本に向て眞に和親の意ありと云はゞ試に前年國中に建たる洋夷侵犯の石碑を一時に

倒し、又國斥攘主義の巨魁を擯けて、大院君の政略は今年今月一新したりとの實證を國中に明告せよと命ずる

も、彼れは必ず窮迫することならん。斯る曖昧なる政府を相手にして事を談ずることなれば、迚も彼れの信義は

賴む可らざるものと覺悟して、其信義を固くせしむるが爲には、我兵力を用ひざる可らず。出兵を要する第四な

り。

井上外務卿が歸京に付ては、更に廟議を開て、其議決は益動かざることならん。又花房公使が彼の地に上陸し

て、其談判の情況に就き政府に上申する所もあらん。尚其上にて談判の進歩は如何なる可きや、我政府の要求は

何れの邊に止まる可きや、知る可らずと雖ども、此事件に付て海陸の兵を出し、其兵力を用るの目的は必ず前記

四項の外ならざる可し。唯我輩の冀望する所は、其談判も出兵も迅速活潑にして少しも猶豫することなきの一事

のみ。事を輕小にせんと欲するの痴情に欺かれて、却て遲々して之を大にするよりも、寧ろ斷じて之を速にして

却て容易に局を結ぶは、當局者の方寸に存するものならん。                 〔八月十八日〕