「兵を用るは強大にして速なるを貴ぶ」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「兵を用るは強大にして速なるを貴ぶ」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

我輩は朝鮮事變の一報を得て卽時に用兵の急を論じ、爾來今日に至るまで兵力の要用を云はざるはなし。抑も

て怪しむ者はなかる可し。卽ち萬國普通の常例とも云ふ可き程のことなれども、爰に我輩が朝鮮の事變に限りで

特に出兵の要を論じて、特に其兵力の一時強大ならんことを願ふは、蓋し亦特に其由緣なきに非ず。

我輩は朝鮮の兵力を恐れて我大軍に非ざれば之に敵す可らずとて之に備るの趣意に非ず。又今囘の變亂を奇貨

として之に乘じて大に其土地を取るが爲に大軍を要するの趣意に非ず。今目彼の兵制の不完全にして、伐て之を

破るの易きは人の知る所ならん。又彼の國土を奪て之を取るも我實利を增すに足らずして、却て後日の煩を爲す

可きは是亦人の知る所ならん。然るも尚一時大兵を用ひんことを切言するは、唯平和の結局を速にせんと欲する

の微意のみ。抑も彼の國人が我日本の事情に暗きこと甚し。我政治の如何を知らず、我兵制の如何を知らず、朝

鮮國中に日本の歷史を讀む者は指を屈するに足らずして、然かも其歷史は上古中世の史にして近代を知るに由な

し。或は三、五年前より彼の國人が日本に往來し事情の一班を聞見して同國の人に告げんとするも、國中に郵便

又は新聞紙の設なきのみならず、交通の法極めて不便利なれば、唯人と人と直接して語るものに過ぎず。日本の

事情に明かならんと欲するも得べからざるなり。其一例を擧れば、去年魚允中の一行が日本より歸國の後、國中

に説を作す者あり、云く、魚氏が日本に行て其國情の實際を探索したるに、在韓日本人の言ふ所とは大に異なり、

日本の政府なるものは曾て朝鮮に使節を遣したること心なし、目下當國に在留して日本政府の公使と稱する花房

以下の者は唯日本の海賊にして、近來本國政府の名を僞り何か利する所あらんが爲に朝鮮の政府を欺く者なり、

魚氏の言、嘗て相違なしとて、共流言頻りに行はれて、魚允中は大に迷惑したることあり。苟も交通の便利を開

て人民の心に少しく事實を求るの性質あらん國には、行はる可らざるの流言なれども、朝鮮國人の耳は正に之を

聞くに適するものたり。唯驚くに堪るのみ。八道の新聞は八道に異なるのみならず、各府、各州、其情相通ずる

を得ず。或は一村内の事にして隣村に知らざるものあり、十里外の人にして相往來せざるものおり、又或は一犬

虛に吠へて萬犬これに應じ、信ず可らざるの妄誕にても全國に傅播して禁ず可らざるものおり。其人情の動静は

今の我日本國の有樣に比して大に異なる所のものありと推考せざるを得ず。内國の事情にして其賓を傅るの難き

こと斯の如し。況や日本の事實に於てをや。浮説流言の行はるIは固より富然の事なりと憂悟して、唯物の形を

以て實を示すの外、方便ある可らず。故に今囘の事變に付て我問使警衛のため叉居留人民保護のために兵を遣る

も、彼の國人は唯現在に目撃する所を以て我兵力の強弱を評す可きののみ。一度び我兵艦の盛なるを見て恐縮の

念を生ずるときは、朝野共に恐縮して日本國の強大なるを信ず可し。一度び我兵力の少なき〔を〕見て一時安堵の

感を爲すときは、日本人與みし易きのみとて忽ち虛妄自大の本色を現はし、推して日本全殷の強弱を心臆定して、

自から其談判上にも妄漫の色を現はす歟、否ざるも因循姑息、日一日を楡て局を結ぶこと遅々たる可し。左れば

我輩は敢て兵力を以て小弱の國を嚇し以て一時の愉快を樂まんとする者に非ず、叉容易に兵力を用るを好行者に

非ずと雖ども、如何せん彼の國の民情として目前に實物を示すに非すれば之に談ずるの道なきが故に、大に兵力

を以て之に臨み、八道を蹂躪せんと欲すれば蹂躪す可き程の實力を備へ、然か心其貢力を直接に彼れの耳目に朧

れしめて結局を速にせんことを願ふのみ。百姓一揆を鎭定するの法に、官吏が二、三の巡査を率ひて説論し終る

こともあれども、若しも一揆の勢焰稍や盛なるを知らば兵力を以て大に之を威して速に落着せしむるを上策とす。

或は然らずして暴民をして一度び官威を輕侮するの念を起さしむるときは、其禰却て増進して遂には大に民を殺

すの慘状に陷ることあり。故に一揆の鎭定に兵力を用るは民を殺すことながらんが焉なり。事柄は異なれども、

今囘朝鮮の事變に就ても、大に我日本の國威を燿かし、彼の八道を蹂躪す可き程を兵力を備へて之を示すは、卽

ち之を蹂躪するなからんとするの用意にして、其實は朝鮮の幸福を保護するものなれば、内外の人民共に我輩が

*一行読めず*

〔註 巻紙に記した原稿。いはゆる壬午京城事變に關する明治十五年八月二十六日の「時事新報」社説。本全集第八巻に収錄

すべき筈であるが、同巻刊行後に見出されたのでこゝに収める。〕