「郵便法改良」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「郵便法改良」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

郵便法改良

近日道路に風説する所を聞くに目下驛遞局に於ては郵便法改良の評議ありて就中重立ちたるものは從來は書状一個に付全國を通して郵税二錢郵便局の設置なき地方に配達するものは持込税として今一錢を加へ都合三錢の郵税なりしを自今兩様共に廢止し郵便局設置の有無を問はず全國を通じて總を二錢五厘の郵便に改めんとするの企ありと果して此二錢五厘税の評議あるや否事元と風説に傳聞する所なるを以て其虚實を確言すること能はずと雖も驛遞局にて郵便法改良の評議ありとの一事丈けは久しく我輩が傳承する所にして必ず事實ならんと信ずるが故に今當局者が改良の志念あるを好機として我輩が常に日本國民のために希望して止まざる郵便法改良に關する數條の意見を左に開陳す可し

維新前後より日本に西洋文明の事物を輸入し其成跡の美なるものを挙くるに指を屈すること多からず郵便は此少數中の一事なりとて内外人の賞讃して措かざる所なりと雖もこは唯前日極端の不便利を回想して目下の小便利を喜ぶに止まるものにして今の郵便法は盡善盡美なり又之に加ふべきなると謂うに非ず我輩の眼を以て見れば今の日本郵便法は寧ろ不完全至極のものなりと云はん方却を其實に〓からずと信するなり抑も現時文明諸國に行はるゝ所の全國一價郵便法なるものは其源を英國に發し其實施の年月尚未たひさしからず元祖英國と雖も其以前に在ては郵便驛遞の法極めて煩擾不便にして社會其便益を感ずること寡なかりし是がために千八百十年より同三十九年に至るまて凡三十年の間同國の文明日に月に進み人間の事物一日は一日より繁雜なるの際に於て國中の通信は郵便に依頼するを好まざる故にや英政府驛遞局の収入は更に増減することなく三十年一日の如く同一の金額なりし此際の郵便法は明治四年正月我日本にて初めて郵便を設けたる時の如く道程の長短に〓て郵税の〓〓あり書状一通に付最短里程最下郵税英貨二「ペンス」(四錢)とし〓〓を加れば〓「ペンス」を増すの法にて里程の遠近を〓均して當時書状一通の郵税凡七八「ペンス」に當りたりと云えり然るに〓〓の大〓明とも稱す可きは千八百三十九年に至て英政府は有名なる「ロウランド、ヒル」氏の考〓を採用して全國の郵税を均一にし路の遠近を問はず書状一通を一「ペンテー」にて遞送することに改めたり此時「ヒル」氏の〓算にては郵税〓下げのため驛遞局一歳の収支に凡三十万磅の不足を生ず可しと覺悟したりしに實際に於ては全く之に反し新法施行後一年間の郵便物總數は前年度に比して凡七八倍の巨額に達したるがため驛遞局の歳出入に凡四十万磅(二百万圓)の剰餘を見たることなりし爾來四十年の今日に至ては英國は勿論文明諸皆「ヒル」氏の遺訓を奉じ到る處最〓なる一價郵税の實施を見さるはなし其功徳實に鴻大なりと云ふべし今日本に於て從來の郵便法を改め二錢の税に五厘を加へんとするが如き縱令ひ持込税の障碍を去るためなりとの辧解あるも我輩は之を見て「ヒル」氏の遺訓に背き喬木を去て幽谷に入るの〓量なりと断言せんと欲するなり元來政府の會計は出るを見て入るを計り諸省諸局は皆歳入の消費者にして供給者に非ず之を供給するの方法は大藏卿獨り其責に任じ續てを其局に當り奔走する者は租税局員なり然るに西洋諸國〓來の習慣もあり先入するもの主と爲るの致す所か政府官廰の中にて郵便電信等の諸局は其事務を〓こと一私人の營業に均しく直接の所得を以て直接の〓損を償ふに足らされは其事務〓む可らすと認めたるが如し〓し大なる誤解なり例へば道路橋梁の如し土木局ありて其事務を擔當したりとせんか毎年の修築に幾百万圓の支出を要するを見て必ずや道錢橋錢を通行の車馬より徴収し所得以て所損を償ふに足らざれは不可なりとて大に道錢橋錢を課せんとする者あるを聞かず驛遞局の事務も亦斯の如く必ずしも一私人營業〓の計算を要せざるなり且郵便の用たる書状、新聞紙、圖書、書籍、商品見を遞送し智識〓〓人間交際の道に於て貴重至極のものたるが故に重税等の方法を以て此用を妨るの害は例へば學校に課税し新聞發行を停止し〓書の禁令を布くの類にてむろん一國の命脈に〓するものなるべし既に學校に課税す可らず新聞發行を停止す可らず〓書の禁令又布く可らずと知る以上は郵便税は及ぶ可き丈け〓にして遞送法は及ぶ可き丈け簡易迅速なるを要すること必すしも「ヒル」氏の遺訓を俟たずして明白なるべし或は〓慣を固守して強いて郵便事務の出入相償はんことを欲するものとするも郵税の〓なるは郵便使用者の數を増加し出入相償ひて尚餘りある實に〓〓の〓なること元〓「ヒル」氏が英國に試したる例の如くなるべく決して〓税を要せざるなり(未完)