「大坂電報」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「大坂電報」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

過般京都に立憲帝政黨の集會を催ふしたりとの事は既に本紙の雜報にも記して讀者の知る所ならん元來この帝政黨なるものは如何なる組織なるか其黨論綱領を見ても尋常一樣他の政黨に比して少しく異同あるのみなれども其黨に屬する人の常に言ふ所を聞くは専ら漸進を旨として過激粗暴を愼み着實に運動するとのことにて既に當春其黨の新聞紙に我帝政黨は内閣諸公の是認せらるゝ所にて諸公が公〓たる黨員たらざるも内閣は我々と全く同主義なるが故に主義に於ては今の内閣は帝政黨の内閣と云ふも可なりと迄記したることあり其後は如何なりしや餘り沙汰も聞かざれども兎に角に立憲帝政黨なる者は官に近くして何か由緒あることと見へ世の人も之を官權黨と稱して黨員も敢て之を辭するの色なきが如し

然るに過日京都に於て改進黨演説の席に大坂新報社の高橋某氏が論説に就き不滿なりとて其席上に少しく風波を起したる〓は帝政黨の集會に列したる中村某氏なりとのことを聞たれども是も差したる奇聞に非ず少年輩の常態なりとして聞流かしたりしことなるに昨日大坂通信員の電報に據れば右の風波は京都の演説席上に止まらずして一昨日中村某氏と外に小今井某氏が大坂新報社の本社へ押掛け何か談論の末、社員高橋氏外三名の者へ傷を負はせたる由、固より電報のことにて事の巨細を詳にするに足らずと雖ども談論の末を腕力に訴るは自から裁判するものにして法律の行はるゝ社會に於ては甚た宜しからず、下等の人民には今日も尚未た此惡習を免れ難しと雖ども苟も政黨の集會にも列座する士人にして此擧動は解し可らざるなり勿論何か餘程憤怒したる由縁もあらんと雖ども一方に憤怒すれば又一方にも憤怒したるは疑を容れず憤怒と憤怒と相對し自から此憤怒を抑制して堪へ難きに堪へて之を忍ぶ即ち沈深着實の主義なり或は止むを得さるに迫れば徐々に順序を踏て法庭に訴え漸く其是非曲直を正して不平を除く即ち徐歩漸進の旨なり士人以上の事は應に斯の如くなる可しと〓〓信すれども今前條の一報に於ては正に其反對を見たり遺憾に堪へざるなり

既徃は追ふ可らず一昨日は既徃なり之を如何ともす可らすと雖ども政治談論の事よりして之を腕力に訴へ新聞局中に血を見たるは今回を始とす我輩の特に恐るゝは之より端を開て止むを知らざるの一事なり鳴呼今回の發端は一昨日なれども此發端の端は遙に其前日に在ることならん漸進必すしも漸ならず徐歩必すしも徐ならず禁酒の社中に酩酊者を出し、精進の寺内に魚肉腥きは人事の常にして沈着聲中却て粗暴を生す、大〓を解するものにして始めて與に此邊の事を〓〓可しなお餘論は之を他日に讓る