「俗宗旨俗僧侶」

last updated: 2019-09-08

このページについて

時事新報に掲載された「俗宗旨俗僧侶」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

時事新報記者足下我輩は日本僧侶の爲に一言せんと欲すること久しかりき而して日本僧侶中には目下眞宗を以て最も有力なるものと爲すが故に眞宗の僧侶を論ずるは日本全國の僧侶を論するものと等しかるべし幸にして(眞宗の爲には不幸にして)近日東本願寺の騒動の爲め世人或は耳を僧侶論に傾るの状勢あるを以て之を好機として今爰に一言せんと欲するなり

眞宗は俗宗旨にして其僧侶は俗僧侶なり宗旨の俗なるは俗世界に交はりて無識の凡俗輩を誘導するの便あるを以て却て其妙處なりと稱すべしと雖ども僧侶の俗なるに至ては有害無u一も取る所なきなり僧侶の身にて花柳の道に明かなりとて爲に法燈の光を揩キべきに非ず當日當路の政治家に媚を献じたりとて爲めに弘法の力を大にすべきに非ず唯其結果は身先つ凡腦の餓鬼と成り漸くにしては開祖親鸞以來六百年の運命を枯槁せしめ宗旨を犠牲にして一身の俗情を慰るに過きさるべし斯の如くなるも猶ほ眞宗僧侶は以て其心に安しとなすや

眞宗僧侶の口癖に曰く近來外教漸く内地に蔓延し遂に救ふ可らざるに至るの勢あり實に一國の大事佛教存減の秋なり此際に當て粉骨碎身大に眞宗の隆盛に力を致すは我輩僧侶が國に報じ祖先に奉ずるの義務なりと然るに其實際の所業を顧れば彼等が口癖とする所の國を憂ひ宗旨を愛するの實は其痕跡だもあることなく優遊以て其俗情を慰め時に或は八万地獄へ墜落的の罪業に從事して六條の本山を修羅の街と變する者比々皆然り彼等何程に俗なりと雖ども其身を亡ぼし其宗旨を亡ぼして我が念願滿圓せりと云ふ者には非ざるべし唯彼等の心中に眞宗は今仍ほ強大隆盛なり外教の侵入も恐るゝに足らず世の人言も憚るに足らずと大に自から特む所あるに由るなるべし然るに彼等が眞宗を強大なりと謂ふは何に根據して然るやと問ふに一は近年本山參詣の同行多く隨て又喜捨の布施物の多額なると一は當路の貴顯等上流の士人中に間ま眞宗歸依の徒あるとて以て之を證すべしと云ふが如し然れども此引證たるや大に其關係を誤り事跡の原因を求めず遂に以て他の無縁の事柄を證せんとするに過ぎざるものなり第一近年に至り本山參詣の同行多く隨て又喜捨の金員も多額なるは何に由て然るやと云ふに是皆道路改良〓船車運用等の爲め徃來交通の便利昔日に倍〓したると地租改正貿易廣通等の爲め農民の資力遽に昔日の幾倍に揄チしたるが故に彼の六條本山を以て極樂の支店と心得たる翁媼等は今を時として後生を願ひ參詣人も多く布施物も多く事理の推求に不慣れなる人は明治の昭代と共に眞宗も亦中興の氣運に向ひたるかと疑ふに至りたるなり第二貴顯等の中に眞宗歸依の人を現出したりと云ふは眞宗の教義能く知識上流の人を感せしむるに足りたるが故に非ず畢竟するに彼の政治家の如きは一時寸前の方便に供するが爲めに尋常士人の爲するに忍びざることをも忍ぶ者多く誠實に中心の信向より起るべき宗教の歸依不歸依の如きも之を視ること茶粥と一般之を啜るも之を吐くも時の腹加減次第にて深き趣意のあるに非ず偶々之れあるものは最も卑俗なる一時の小趣意たるに過ぎざるべく何ぞ政治家の歸否を以て眞宗の運命を卜することを得んや蓋し近年同行の多く布施の豐かなるは一時の狂花の如し永く依ョす可らず政治家の歸依は水中の花影の如し以て宗旨を装ふに足らず然るに今此花と此影とを見て滿城の春風法運万歳なりと祝するは愚も亦甚だしと云ざるを得ず

記者足下は眞宗が法を世襲するの仕組文明世界に不適當なるの故を以て其運命久しからずと云はれたり我輩は今眞宗僧侶の俗行多きを見て又其運命の久しからざることを知れり我輩は唯他年生涯中の一日に京都の六條を見物し我輩が當時鎌倉の建長寺を過ぎて催すのと同一の感慨を生ずるの不幸なきを希望するのみ

明治十五年十月二十一日 〓草 〓谷空然

時事新報編輯長足下