「牛塲」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「牛塲」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

牛塲

                  袖浦 外史

同學の友人牛塲卓造高橋正信井上角五郎の三氏は將さに本日廿八日を以て我横港を解纜し西、朝鮮國に航せんとす盖し牛塲氏が此行あるは彼國目下内外國事の繁劇なるが爲め朝鮮政府の招聘する所となりたる者なりと云ひ高橋井上の二氏亦た日韓の交際に就き夙とに大に感する所あるを以て今回斷然渡航に决したるなりと云ふ抑も友人の一たひ墳墓の地を去て海外に赴くや人誰か惜別の情無からん我輩亦た固より三氏の遼航を聞て實に別袖に忍ひざるものあるなり然れども此情や万人同有の至情にして所謂人情なる者なれは我輩三氏の行を送るに敢て此尋常普通の交情を摸寫するを好ます之に更ゆるに聊か平素に思意する所の議論を以てせんと欲するなり

氣候の變化に舊衣を脱して新衣を取るも尚ほ且つ身体に幾分の故障あるを覺ゆ一國の草昧を脱して文化の域に進まんとするや必ずしも多少の變動なき能はず各國古今の歴史以て然かりとす今夫朝鮮國は將さに蠻塵汚俗の舊衣を捨てて更らに近世文明の漸衣を取り孤立寂寞の悲况を脱して万國對峙の大活劇塲裡に入らんとする者なり其政治上に社會上に千障万碍相蟠て施治者の針路を遮ぎり至困至難の思ひあらしむるや固より知る可きのみ盖し朝鮮國中漸く開國論を唱ふる者多きに至りたる其中に就て又た二個の黨派あり一は清國に依らんとする者一は我日本國の力を假らんとする者にして而も其目下勢力を政府人民の間に得る者反て前者に在りと云ふ抑も朝鮮人民中、清國に依頼せんとする者の尚ほ多きは其孔孟儒教主義の深く腦裡に浸染して支那を以て無二の上國と思ひ進歩の極点唯支那の彼地に〓せんことを欲するの妄想に出てたる者にして畢竟朝鮮多數人民の尚ほ周公孔子の〓儒説に心醉して未た宇内の大勢を知らざるに由ることなる可しと雖ども而かも彼清國政府が此妄信に乘して恣ままに朝鮮國を屬庸視し剩さへ我國との交際をも離間せんとするか如き擧動あるは誠に咄咄怪事と云はざるを得ざるなり聞くが如くんは本年夏以來支那政府は專ら朝鮮の政治に干渉し或は自國の兵を以て王宮を護らしめ或は礦山士を遣て開礦の業を始め〓して或は李鴻章氏が一個の資格を以て招商局より五十五万兩の金を借り入れ日本に拂ふ可き償金に充つ可しとて朝鮮政府に貸與せりと云ふが如きは恰かも朝鮮を屬國となしたる所業にして獨立國に對するの公道にあらず殊に頃日尚ほ聞く所にては清國政府は過般我神戸港に領事たりし馬建常(馬建忠の弟なりと云ふ)をして態態韓國に赴かしめ其政府の顧問と爲りて我日本に對するの政略等に就き大に教示せしむる所ありと云ふ元來清國政府が斯くも朝鮮國の爲めに心配するは其意果して何れに在るか唯開國先鞭者の名譽を東洋に專らにせんとするの意か將た眞に朝鮮をして遂に自國の屬庸たらしめんとするの意か抑も亦た琉球の一條より何となく我日本を怨嗟し其憤恚の餘り朝鮮をして唯日本に疎遠ならしめんとの卑劣心に由るか我輩之を今日に明言する能はずと雖ども支那政府本來の性質は唯實利主義に在て縱令ひ千古の名を汚すも實体の上に於て一片の得る所あれは恬然慚る無きは支那政府得意の手段なれば其朝鮮政府に對して左も親切らしく自國に引受けて世話せんとするが如き所爲あるは所謂食ましむるに甘言を以てするの狡猾手段にして與へて取るの卑劣心に由るにはあらざるや我輩聊か不審に堪へざるなり然れども尚ほ一方より觀察すれは支那政府は如何に徒大主義なりと雖ども朝鮮國をして其属邦たらしめんとするが如き虚望を抱くを得ざる可く之を私するは我國を始め東洋一般の許さざる所なるは彼政府の萬萬承知する所ならん而して其朝鮮爲中國の属邦と誇稱して大に盡力する所あるは畢竟我日本に對して競爭の念を起し我國に先つて大に其開國に着手せんとするの功名心に出たるにあらざるなきを得んや然らば則ち我國果して清國の擧動を傍觀獣視す可きか曰く大に然からざるものあるなり

葢し朝鮮國は是れ東洋の獨立國にして我國の訂盟國なり去れば苟も外國の干渉を蒙らず獨立特歩其好む所の政略を行ひ其欲する所の國是を定むるも毫も妨くる所なき筈なるに彼清國が朝鮮人民の尚ほ大に自國を妄〓する者あるに乘して猥りに其政府を左右し其人民を教唆して我日本を怨嗟せしめんことに汲汲たるが如きは誠に〓む可きの甚しき者にして我輩〓に〓〓に〓し去る可けんや殊に彼清國は果して如何なる〓〓〓や未だ〓〓の文明を解せす天下の大勢を辨へず尚ほ孔孟儒教の一天張りを以て徒らに彊土の大人、口の多を誇る者にあらずや故に今若し朝鮮の輿論をして清國に附隨せしめ清人の指示する所に從はしむれば所謂暗より暗に轉するものにして一歩の改〓を朝鮮に見る可からさるなり豈に之を〓〓と云ふ可けんや而して今眞に朝鮮の開國を謀り孤立の陋習を破つて東洋文明の元素を吸入せしむる者果して誰ぞ盖し我國は之を西洋各國に比すれば國富むに非らず兵強きに非らず文學盛んなるに非らず殖産饒かなるに非らずと雖ども新開國以來聊か固陋の夢を破り文明の風に吹かれ改進の波に漂ふ者なれば彼清國如きに較ぶれば稍當世風の國柄と云はざるを得ざる可く文明の競塲に於ては决して一歩を彼れに讓らざる可きを〓す去れは彼朝鮮開國の如き東洋依頼す可きは獨り我日本にして日本を措て又た恃む可き者なし日本人は斷して其任に當らざる可からさるなり斯かる有樣なるか故に我輩は夙とに朝鮮に對するの〓に就て我政府に對し又た人民に對して活溌鋭敏なる所爲あらんことを希望して止まさりしに今回友人牛塲氏は顧問の任を以て彼政府に聘せられ高橋井上の二氏亦大に彼我の交通に就き盡す所あらんとて將さに渡航の路に就かんとす朝鮮國の爲めに我國の爲めに豈に一大美事と云はざるを得んや

然れども尚ほ茲に一言せざる可からさるものあり元來我國人の意は猥りに朝鮮の政治に干渉せんとするにあらず又支那人を放逐して自から之に代らんとするにもあらず唯朝鮮國民をして其獨立を全うせしめ一日も〓かに當代文明の徳澤に浴し共に與に東洋の富強を謀らんとするに在るのみ故に今回渡韓の諸氏に望む諸氏着韓の上は人に接する温厚篤實眞に精神の在る所を知らしめ苟も卑劣心の在つて存するに非らさるを明らかにせざる可からず然らざれは或は折角の厚意親切も水泡に歸し反つて怨嗟を買ふの媒介となる可きや知る可からす且夫れ韓國目今の情勢外、清國の甘言を以て之を誘ふあり内、人民の尚ほ固陋安して徒らに〓〓の迂説に感服するあれば之を除き〓を教へて眞に開國の目的を達せんこと實に至難至困〓の大事業にして容易に成効し得へからさるを信す故に諸〓亦〓〓を〓〓を欲せす着着其道に依つて晩成を期すること〓も大切なり尚ほ聊か論したきことあるも諸氏の敏達なる己に了して遺す所なきを信ずれは我輩又た敢て贅冗の言を須めざるなり唯諸氏の自敢自愛國家の爲に盡力して我國をして朝鮮〓開國の名譽を博せしめんこと希望に堪へす聊か記して送別の文に代〓と云