「合本會社の用を審かにす可し」

last updated: 2019-09-08

このページについて

時事新報に掲載された「合本會社の用を審かにす可し」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

合本會社の用を審かにす可し

從來我邦の商工業を營むものは大抵一人一個の資金を以て活動運轉し全く一家商業にして合本商社なるものあらず隨て其勢微弱にして竟に廣大隆盛なること能はざりし然るに明治維新の時に當て社會の景况一變し士農工商混乱する其際に外交愈開けて事物新を競ひ就中歐米諸國商工業の廣大隆盛なるを聞見して始めは大に驚駭し中ころ頗る之を羨み終は之に摸倣せんとするの念を生したり當時皆以爲らく此の如く歐米の工商獨り盛にして我邦の工商萎菲振はざるものは彼は衆力を以てし我は獨力を以てするに由るものならんと是れ則ち結社主義の我邦に行はれたる起原なり葢し少額の金と雖とも衆多のものを合すれば巨額となり一人の企て及ぶ可からざることも衆人相合すれは則ち大業を起すを得るは理論簡短明白にして人耳に入り易く殊に士族社會の學問ありて事理に通するもの誰か其非を唱ふるものあらん遂に恊心〓力團結會合等の字面は一時の流行となり其主義頗る廣布したるものの如し是を以て古風なる一家商業者の頗る非難するにも拘らず合本會社を創立し工商の業を營むこととはなりたるなり是れ本邦第一期會社起立の時代とす

爾後二三年を經過するに及て顧て結社商業の如何を見れば其實功を奏するもの甚た稀にして隨て起り隨て倒れ昨は巍々堂々たる會社も今は寂々寥々たる閉店となり今日は意氣揚々馬車に鞭ちたる社長も明日は負債の爲めに其身を容るるの地なきが如き頗る醜體を露はし甚た憫む可く甚た笑ふ可きものと成行たり斯る事の有樣なるを以て古風の商法を墨守するものは果して我々の先見に違はずとて自巳信する所の方法を以て愈完全なるものとし頑乎として復た變移す可からざることとはなりたるなり加之ならず一般の人民も會社を信用すること自ら薄く甚だしきは之を危險のものとして恐怖の念を抱くに至り一時會社の名聲は地に墜ちて復た起らす竟に本邦廣大の事業は復た望を屬す可らざるものの如し是れ第一期會社顚覆の時代とす

余輩第一期會社顚覆の景况を觀察するに決して會社の〓にあらず葢し其主義未た本邦に〓からずして經驗熟鍊の人に乏しきと組織方法〓はずして管理其冝を失したるとに由るものと謂はざる可らず凡そ社會の進步未た十全ならざる時に方り獨り自ら突進するものは社會と相伴〓〓能はずして自然損失を招くは勿論にして殊に會社の事に從ひし者は大抵士族の輩にして商工の事務に慣れず理論常に勝〓實業之れに伴はざる人なり加ふるに組織方法も未だ整はずして管理冝きを失するもの多きを以て之を一家商業の經驗熟練あるものに比すれば一步を讓らざるを得ず且一家商業は組織方法完からざるも多年勤續の雇人にして恩顧あるものなれば仮令方法に缺點あるも情實を以て彌縫するを得べしと雖とも會社は大抵他人の寄合にして規律の以て之を撿束するにあらざれは其目的を全くすること能はざるや明なり然るに士族輩の寄合其外面の禮儀には規律あるも實際の商業は常に杜撰にして漠然たるもの多し甚だしきは簿記の法さへ未だ十分ならさるを以て出納損益も一目瞭然たること能はずして社員の疑念叢生するを致し或は會社の役員正直の心を以て不正直の事を行ひ或は故さらに不正の所業を犯したる者も頗る多しと聞く之を要するに歐米會社の形を摸して精神を傳へざるものなれば其活動發達隆盛を致すを得ざるも亦謂れなきに非ず畢竟精神は人に存するものにして其神を得ざるは人の罪なり然るに世人或は人を咎めすして罪を會社に歸し遂には其名をも厭惡するに至りしは會社の爲に亦冤なりと謂ふべし

然りと雖とも會社の破產事實相違もなきことなれば實業家は大抵合本會社を非難し殆と之を度外に置て復た顧る者もなきは勢の當さに然る可きものと云はさるを得ず此際に於て獨り學者流の人は尙結社商業の要を說くに怠らず愈說を愈深切を極め其主義漸く一般に普及し又續て國立銀行條例の頒布ありてより其組織方法も粗一定整理するを以て初めは之れを撿束せらるるの憾ありしも各銀行の破產を免れたるは半は條例の賜と云はざる可らさるなり此より疑惑恐怖の念漸く晴れ會社又將さに大に興らんとす之を會社再興の時代とす

爾來會社の行はるる獨り銀行事務に止まらずして其區域漸く廣く苟くも工商の諸業に從ふものは其社の大小に拘らす其業躰の如何を問はず一も會社二も會社凡そ世間の商法工業、會社にあらざれば其事を營むこと能はざるものの如くに思惟し仮令ひ一家一人にて容易に營み得べき事業も會社の法に由らんとし現に近來流行の會社を見れば僅々二三千圓に足ふざる資本も亦之を合資の法に取り其業を問へば「マツチ」製造、〓〓製造、織物、酒造、印刷、新聞等にして甚しきは小賣に屬する薪炭、味噌、醬油の會社あるに至り其會社あらざるは獨り料理屋貸坐敷のみと謂ふも亦戲事にあらざる可し斯く結社主義の普及したるは頗る喜ぶ可きか如くなれとも退て熟考すれば是れ豈に會社誤用の濫觴にして第二期顚覆の兆候にあらずや葢し一方に向て其利の在る所を認め熱心以て之を〓踪せんとする時は自ら他の一方に於て其弊の存する所を忘るるは人情の免れ難き所にして今日の情態を現出したるも深く怪むに足らず然りと雖とも本邦人が實歷經驗の淺き學問聞見の狹き表裏を洞見し大小を鑑別するの明あらずして只管會社に〓着するときは後來甚た恐る可き獘害を來し大なる損失を致し又再ひ會社に懲りて竟に廣大の事業に迄進步すること能はざるの恐あり故に余輩は目下傾側の未た甚しからざるに及んで之れが綢繆の策を試るは決して無用の事にあらざるを信するなり