「時事新報賣藥論の敗訴」

last updated: 2019-09-08

このページについて

時事新報に掲載された「時事新報賣藥論の敗訴」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

時事新報賣藥論の敗訴

時事新報は明治十五年十月三十日第二百二號の社說に賣藥稅の事よりして賣藥の性質に論及し賣藥は効能なく又害もなきものなりと記したれば府下の賣藥屋共が打寄り銘々の商賣を妨けられたりとて公事を起し代言人を雇ふて營業毀損回復の訴と名け東京始審裁判所へ之を持出して時事新報は賣藥屋の爲に被告と爲りたり本來新報は學問上の事を論する處へ思ひも寄らず賣藥屋共に引掛り是れは迷惑なり面倒なりと思ひしか共理も非もなく頓首再拜する譯けにも參らず裁判所より召喚の度毎に罷出て原被例の如く互に辨論したる末本月三日判决文別紙の如きものを得たり其文に云く

   裁判言渡書

       東京日本橋區室町三丁目十二番地

       平民山内左衛門外三十七名賣藥商總代

         原告 賣藥商 岸田吟香

         仝  同   喜谷市郞右衛

         仝  同   太田信義

         仝  同   森島松兵衛

         仝  同   河村謙吉

         右五名代言人 松尾次郞

       時事新報假編輯長

         被告     大崎鈔人

         右代言人   澤田俊三

營業毀損回復之訴訟を審按する處被告代言人に於て時事新報第二百二號に揭載する太政官第五十一號布告と題する社說は學問上被告の信する所を記するに過きされは原告等の營業を毀損することなきを以て之を取消し難しと申立ると雖とも抑賣藥なるものは規則に依て許可を受け官廳の鑑査を經て販賣する品なるを以て縱令藥功に僅の厚薄あるも之を無效と斷言する可らさるは更に辨を俟たず然るに被告は該社說に於て水を飮茶を飮むに等しと云ひ或は病に關係なき賣物なりと之を極論して餘地を存せす如此自由言論の區域を超へたる文章を公衆に播布するに於ては世人か賣藥上に於る信用を妨け即ち原告の營業を毀損すべきは勿論なりとす

   判  决

被告は時事新報第二百二號に揭けたる太政官第五十一號布告と題する社說は自ら之を取消す旨の廣告を其新法へ七日間揭載す可し若其執行を怠るときは原告に於て隨意の新聞に揭出し其代價は被告より辨償すへし

 但し訴訟入費は被告負擔すへし

 明治十六年三月三日     東京始審裁判所

右にて新報敗北なり此判决文を見るに新報は賣藥を無効と云ふたれとも左に非ず賣藥と申すものは規則に依て許可(内務省衛生局の許可ならんと信す)を受け官廳の鑑査(是れも衛生局の鑑査ならんと信す)を經て賣出す品物なれば仮令ひよく利くと、よく利かぬの差別はあるも無効のものに非ず必す有効有能の品なり其證據には苟も官の許可を受けて官の鑑査を經たるものなればなりとの趣旨なるが如し

敗訴は誠に致し方もなき次第なれとも詞訟に負けたるは餘り愉快なるものに非されば右の判决書にある官の許可又鑑査は必醫事に關する衛生局の事ならんと信し爾後衛生局の年報を鑑査したれば其第一第二報告の第二丁に云く明治六年十二月太政官より醫務局に於て賣藥を撿査し之が禁許を指令すへき旨の布告あり抑々賣藥とは醫師に非さる者丸散丹圓等の諸劑を調製して蒙昧の習俗に投し一藥方を以て萬病に効ありと誇稱し公賣に供する者の謂にして多年盛に世上に行はると雖とも徃々毒劇藥を配伍する等の事ありて或は之が爲に危險に陷るもの亦尠からさるを見る是れ首として撿査禁許の擧ある所以なり

又同上報告の第三十五丁に云く

(前略)賣藥は一方の藥劑にして各種の効能を有するとし或は百痾を起し萬病を醫す可しと誇稱す夫れ斯の如き奇異なる藥品の爲めには亦特別の處分を爲さざるを得す而して今日の事情未た全く之を禁止するの點に至らす姑らく之が規則と罰則とを設け以て其弊害を遏むるのみ(中略)爰に八年七月より九年六月に至るまて賣藥免許を申請する者の員數を調査するに一万千九百零四人にして方劑の數十四万八千零七十一方なり此方劑中五万八千六百三十八方は免許を與え八千五百八十二方は發賣を禁止し九千九百十八方は再調を命す而して自餘七万零九百三十三方は此一周年を終ふるまて未た撿査を經さるものとす盖し其内藥用に妥當なる方劑は僅少にして無効の者大率十の八九に居る但其巨害なきを以て姑く之が發賣を禁止せさるのみ

又其第三次年報四十一丁に云く

凡そ賣藥は前次年報に於て開陳したるか如く適當の方劑に非すと雖とも無能無害なるを以て姑く其販賣を禁せさるもの十の八九に居れり然るに九年度は八年度より減し復た本年度は九年度より減じ此兩年間に廢業するもの合計四千九百十一人にして其方數は十三万四千十六の多きを減す本周年の末に在て賣藥營業者の現數を調査するに一万九百三十八人にして其方數は二万七千三百四十二方に過きす而して漸く賣藥衰退の跡を累ぬるは公衆知見の進步に由るものにして本局の期望に副ふが如しと雖とも其寛大に然らず嚮きに賣藥規則の公布あるや都鄙の藥商其〓業藥稅を免れんことを謀り遽に種々の影響を生し一旦廢業し競て無稅の受賣行商に轉する等枚擧に暇あらず(今其一例を擧けんに石川縣の如き田中廣瀬等の結社ありて營業者千九百餘人方數四万八千五百十餘に及ふ十年六月に至りて此内廢業する者千七百五十四人方數も亦隨て四万六千百五十餘を減す然るに本年度迄に其受賣行商の增すものは一万千九百九人方數十七万五百七十五下附の鑑札三万六千八百五十五なり)是を以て昨は賣藥營業の減するを喜ひ今は受賣行商の增すに驚く亦唯其體面を一變するのみにして其實依然舊態を攺めず冀くは他日公衆知見の開達能く貴重の生命を無能無害のものに托するの惑を除くに至らんことを

此年報の旨は全く學問上に基つきたるものの如し賣藥は適當の方劑に非ずと云ひ無能無害なりと云ひ賣藥の衰退は公衆知見の進步と云ひ貴重の生命を無能無害のものに託するの惑を除くと云ふが如き其斷言極論の文意痛快にして實に我輩の心を獲たるものなり

時事新報に於ては今度の裁判に服せず近頃大人氣なきことながら今度は此方が原告と爲りて不日控訴する覺悟なれば讀者諸君も願くは其勝敗に目を〓せられよ併しながら裁判は自から裁判にして如何なる結果を見る可きや或は重ねて敗訴も計られず學者論の物理原則も又顏色なし不外聞千萬の事にこそ