「石油の試驗小事に非す」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「石油の試驗小事に非す」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

石油の試驗小事に非す

我國に始めて石油を用ひたるは明治三四年の頃にして爾後其用法次第に國中に弘まり今日は實に日用缺く可らざるの一品と爲りて其用愈廣ければ其危害も亦隨て少なからず是に於て政府は明治十四年八月第四十號を以て石油取締規則を布告したり然るに石油の物たるや西洋諸國に於ても近來漸く其試驗の法を〓して其性質作用を明にせんと欲するの塲合にして各國の條例とても完全なるもの少なし我政府の取締規則も一度び布告の後未だ實施に至らずして再三攺正したるは全く學問上に基つきて次第に其性質作用を吟味せられたるが爲ならん殊に國中に用る品は大抵皆外國舶來の品にして此品に就て規則を定るときは外國貿易の利害に關して外商の喜憂する所もあらん規則發令以來外國商人等は其官吏の筋より毎度我政府に愁訴したることもある由、それこれの次第にや近日又石油の事に付審査會を開くと云ふ(本月廿三日時事新報雜報)世人の輕々看過す可らざることなり又内國の商人等も既に此品を賣買する者は特に注意を要するのみならず全國一般苟も石油を用る者は大凡にても其品物に就て學問上の心得は必要のことならんと思ひ左に其大略を記して讀者の一覽に供す。

吾人が近年日常に用る石油は洋名これを「ピトロリアム」と云ひ又「ケロシンヲイル」又「バラフヒンヲイル」又「ロツクヲイル」と云ふ盖し我國にて石油の名は此「ロツクヲイル」の譯字ならん「ロツク」は〓〓〓の義にして「ヲイルは油の義なればなり

其成分は化學上の名稱「ハイドロカルボン」とて譯字を下たせば即ち水素化炭素より成るものなり

出〓は天然地中にあるものにして世界中各地方に稀有のものに非ず殊に米國「ペンシルヴハニヤ」州「ニウヨルク」州等其他諸州に最も多くして合衆國内の所用に餘り、之を歐羅巴亞細亞の諸國に輸出して至らざる所なし方今の有機にては世界各國の人民は其所用の石油を米國に仰くと云ふも可なり我日本にても越後遠江等の地方に少しく產出すと雖とも固より國人の〓用に足らずして米國より舶來するものを購求せざるを得ず

採油の法は井を堀りて水を取るに異ならず深くしてこれを汲むものあり、或は涌出噴飛するものあり、又或は自然に地上に現はれて流るるものあり、之を精製するの法は原油を器に盛り火に由て蒸溜すること酒精を取るの趣旨に等し譬へば地中より出たるままの原油は濁酒の如く〓精したるものは燒酎の如しと知る可し其性質は天然に同しからざれとも之を製精するときに微温にて蒸發するものは輕くして火を引くこと容易なり、次第に温度を高くして〓火に非されば蒸發せざるのものは重くして火を引くこと難し、經驗に據るに百度(俗に攝氏と誤譯するもの)驗温器百五六十度により二百四五十度の間に蒸溜したる精製油を最も點燈に適合するものとす油性輕重の差は著しきものにして最も輕きは氣狀の瓦斯にして流狀の輕きものは所謂揮發油の姿と爲り次第に重くして粘着の狀を呈し尙上を重の最も重なるものは偶然たる固形体にして之を「パラフヒンと名け以て蠟燭を作る可し

揮發の甚しき油は火を引くこと急にして點燈用に危し又其重きに過るものも引火鈍くして尋常の「ランプ」に用ゆ可らず重油の如きは或は器械所等に於て尋常の油に代用することもある可しと雖とも揮發油に至ては其所用甚だ廣からずして殆と廢物に等し若し之を利用せんとするには一種の器を工風して其の安全を保つを要す然るに奸商の輩は此揮發油を重油に混して其姿を中性のものに裝ひ以て世俗を欺くことあり此混合物は固より肉眼を以て識別す可らず又比量の法を以て油の重輕を測るも之を發見するに足らず近來東京市中にて「ランプ」の光の明かならざるを訴る者多し或人其一二を試驗したるに全く此惡性の石油にして輕重相混し點燈の初に暫く明かなるは揮發の部分の燃るものにして其部分の「ランプ」の心に染みたるものを盡せば重油の鈍きもののみを存し以て不明を覺へしむるものなりと云ふ一二の試驗に由て全般を斷す可らずと雖とも亦以て混合石油の性質を〓るに足る可し又右の如く輕重を調合するも其輕きもの上に昇て重きもの下に降るに非ず上下一樣に混合調和して其物の混和は則ち混和なれとも輕重各自の性質は依然として之を變することなし其趣を形容して云へば米と麥とを交へたるが如き有樣にして米は米にして麥は麥なり米麥中和のものに非ず故に此混合石油中に重油ありと雖とも苟も揮發性の輕油を混するときは引火の危險は全体の揮發油たるに異ならず憂る可きものと云ふ可し世上不學の輩は「ランプ」の不明なるを憂ひて故さらに其石油に揮發油を混する者あり或は小賣商人等に於ても此法を行ふ者なきを期す可らず畢竟奸策を施すの惡意に非ず不學無〓の輩〓なりと云はざるを得ず

是れに由て考れば近年都鄙に行はるる火止石油の事に就ても聊か注意す可きものあり火止石油の製法は樣々ならんと雖とも詰り石油を再溜して其揮發分を除くものに過きず原油の性質良好なるものにして聊か其揮發分を去るは至極の良法なれとも若しも其除去したる揮發分を市中に販賣して又或る所にては「ランプ」不明なりとて其點燈用の石油に市中の揮發油を買つて調合するが如き不學者流もあらんには甲の禍を乙に嫁するものにして其禍は愈大ならんのみ是亦前に云へる如く人の惡意に出るに非ず物理の原則を知らざるに坐するものにして我輩この一事に就ても益人間社會に學問の要用を感する者なり

右の次第なるを以て石油の禍を豫防するには必すしも至當の規則なかる可らず然かも其據る所は純然たる學問上の原則に基つき又一方には商賣上に眼を着け苟も寬にす可きものは勉めて之を寬にし且極度は之を學問に訴へて唯學問の許す所に止まるを適度とす可し苟も學問上の試驗に於て危險を保せざるの限は瞑目して商賣上の利益を捨てざる可らざるなり我政府にて石油取締の規則を布告したるは明治十四年八月十三日第四十號を始とす即ち左の如し

第四十號

石油取締規則別册の通相定め來明治十五年一月一日より施行候條此旨布告〓事

 明治十四年八月十三日 太政大臣三條實美

   石油取締規則

第一條石油を分て二種とす〓氏驗温器百二十度以上の熱度に至らざれば引火せざるものを第一種とし其百二十度に達せざるも引火するものを第二種とす○第二條點燈用に供するは第一種の石油に限り第二種の石油は醫師化學家藥商工職家に於て業用に供するの外之を用ふるを許さず○第三條石油營業者を分て壙業者精製者問屋及び小賣商 四類とす都て管轄廳(東京府下は警視廳)の許可を受くべし但し二類以上兼業とするときは別に其許可を受くべし○第四條壙業者精製者問屋多量の石油を貯藏する塲〓及び倉庫精製所の搆造方は都て管轄廳(東京府下は警視廳)に於て撿査の上認可するものとす○第五條〓二種の石油は問屋より直に需用者に販賣し小賣商は第〓種の石油に限り販賣するを得るものとす但し販賣の時限は日出より日沒迄の間とす○第六條醫師化學家藥商工職〓〓二種の石油を販賣するとき(其數量及び〓用の〓重を〓記したる〓〓を問屋に交付すべし問屋は其數量年月日及び買人の住所氏名を別帳に記載し其〓票を貯へ置くべし但し幼年者及〓者〓者其他不能力の者には販賣すべからず○第七條警察官吏は石油精製所若くは問屋に就て石油を撿査すべし其檢査を經たるものにあらざれば問屋又は小賣商より需用者に販賣するを得す○第八條撿査濟の石油を家屋内に貯藏するを得る問屋は第一種の石油五石以内第二種の石油五斗以内とす小賣商は第一種の石油三石以内とす容器は都て金屬製を用ふべし○第九條石油を運搬するときは其石油たること及び其種類を表記すべし但し其積卸に必用なる時間の外波戶塲又は路傍に置くべからず○第十條此規則に背く者は二圓以上二百圓以下の罰金に處す

其翌月に至て右規則施行の日限と規則中第一條を攺定せられたること左の如し

太政官第五十號

本年(八月)第四十號布告石油取締規則施行日限の儀は來明治十五年九月一日と攺定幷に右規則第一條左の通攺正候條此皆布告候事

 明治十四年九月二十四日  太政大臣三條實美

第一條石油を分て二種とす華氏驗温器百十五度(英語「ボーニン、テスト、」にして即ち引火度の謂なり)以上の熱度に至らざれば引火せざるものを第一種とし其百十五度に達せざるも引火するものを第二種とす

又明治十五年八月更に施行日限の事を攺定せられたること左の如し

太政官第四十四號

明治十四年(九月)第五十號布告石油取締規則施行日限の儀更に明治十六年七月一日と攺定す

右奉 敕旨布告候事

 明治十五年八月十六日   太政大臣三條實美

              内務卿 山田顯義

又明治十六年二月十五日從前の規則を大に攺定せられて其布告左の如し

太政官第六號

明治十四年(八月)第四十號及ひ同年(九月)第五十號布告石油取締規則左の通攺定す

但施工日限の儀は明治十五年(八月)第十四號布告の通たるへし

第一條石油を分て二種とし閉塞發焰試驗法を用ひ攝氏驗温器三十度(華氏八十六度)以上の温度に達せされば發焰せさるものを第一種とし三十度に達せすして發焰するものを第二種とす○第二條點燈用に供するは第一種の石油に限り第二種の石油は醫〓製藥調劑及ひ物理學化學工藝上に於て藥用に供するの外之を用ふるを許さす○第三條石油營業者を分て壙業者精製者問屋及ひ小賣商の四類とす其營業者は都て管轄廳(東京府下は警視廳)の許可を受くへし但二類以上兼業するときは別に其許可を受くへし○第四條石油の種類は内務卿の必要とする地方に於て撿査員をして之を撿査せしむへし石油は撿査濟の證ある者にあらされは之を販賣するを許さす但壙業者より精製者に販賣するは此限にあらす○第五條撿査濟の石油を家屋内に所藏するを得るは第一種の石油五石以内第二種の石油五斗以内とし容器は漏出の虞なき不燃質物に限るへし○第六條石油營業者前條制限外の石油幷に撿査未濟の石油を貯藏する塲所建物及ひ精製所の搆造方は都て管轄廳(東京府下は警視廳)の認可を受くへし○第七條第二種の石油は精製者問屋より直に需要者に販賣し小賣商は第一種の石油に限り販賣するを得るものとす○第八條第二種の石油を販賣する者は購買者より其數〓及ひ需用の〓意年月日住所氏名を詳記したる書付を取り置き一年間保存すへし但し販賣時限は日出より日沒まてとす○第九條石油を運搬するときは其石油たることを表記すへし但其積卸に必用なる時間の外物揚塲又は路傍に置くへからす○第十條此規則を犯したる者は二圓以上二百圓以下の罰金に處す

右奉 敕旨布告候事

 明治十六年二月十五日 太政大臣三條實美

            内務卿 山田顯義

右の布告を以て明治十四年九月攺定の布告中華氏驗温器百十五度を以て「ボーニン、テスト」引火度と爲す云々に引替へ閉塞發焰試驗法を用ひて其度を華氏の八十八度と定められたるは規則に一層の嚴を加へ且試驗法も全く學問上のものにして精密を增したるに就ては今日まて我人民に石油を所有する者もあらん又は外國商人の内にも之を所有し又本國へ荷受けの約定したる者の如きは差向き難澁の塲合もあらん夫れ等の事情を察せられたるにや三月十六日左の如く布告せられたり

太政官第十號

明治十五年(八月)第四十四號及本年二月第六號布告石油取締規則施行日限の儀は追て布告候まで延期す

右奉 敕旨布告候事

 明治十六年三月十六日 太政大臣三條實美

            内務卿 山田顯義

              (以下次號)