「全國一般の不景氣商况の變機如何」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「全國一般の不景氣商况の變機如何」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

全國一般の不景氣商况の變機如何

昨日の社說に本年の生糸商賣は資本缺乏の爲に言ふ可らざるの無狀を呈して一昨年に引續き第三年の敗北たる可しとの旨を述べたれとも資本缺乏の爲に事の擧ふざるは特に生糸のみに非す明治十四五年の際より今日に至るまで凡そ一年有半の其間に百般の商賣工業皆然らざるはなし之を名つけて商况の不景氣と稱す抑も此不景氣は明治十年西南戰爭の爲に一時全國の資本を異常に運動せしめて一般の不景氣を致し其戰爭中の不景氣は戰爭の後に反動して商况自から活發ならんとする其際に政府は軍費を償はんが爲にとて二千七百万圓の紙幣を增發し又同時に都鄙國立銀行の發行紙幣三千五百万圓の通貨も漸く其働を〓ふするの時節に至り之を捨るも既に自から活發ならんとする商工の社會に一時に〓援するに通貨の〓なるを以てす工業興らざるを得ず、商賣盛ならざるを得す、物を製して賣れざるはなし、物を仕入れて價を增ささるはなし、蓋し物價の騰貴に非ず紙幣價の下落なれとも其名は即ち利益なり農民は米價の騰貴して隨て地面に價を增したるを見て實に富有と爲り又富有の思を爲して容易に需要品を消費し、容易に買ふ者あれば容易に仕入るる商人あり、容易に仕入るる商品あれば容易に製作する職工あり、農工商家互に相賣り互に相買ひ、賣て利あり買ふて又利あり、賣買恰も狂するが如くにして之を景况の繁盛と稱し天下太平〓〓〓〓と唱へて〓々たりしは明治十二三年より十四年の年に至るまでの〓なり〓民が〓〓に〓して伊勢參宮するに當時の莞筵を脫して鳶〓を襷〓鄕里の土產とて京坂東京の吳服店に〓羅を買ひ、僻邑寒村も芝居を興行し相撲を企る等田舍に無數の京を出現すれば都下の商工等も亦これに愧ちず今日は何々社の開業式にして明日は何々樓の集會なり、何の饗應、何の夜會とて私に又公に奢侈虛飾を極めて天上樂國の夢を夢みたるは世人の記臆する所ならん然るに國民實際の買力に就て見れば依然たる舊日本あるのみにして素より繁盛樂國に非ず其一時に狂したる趣を形容すれば天禀酒盛なき人が即席の興に乘じて鯨飮したるものに異ならず即ち消費者は買ふに量を過ごし、商家は仕入るるに量を過ごし、工業家は製するに量を過ごしたるものにして量を過ごして鯨飮するときは必ず嘔氣を發す、農工商も亦過量の賣買に嘔氣を發して酒席を辭せんとしたるは明治十四五年の際なり酒氣漸く醒めて漸く自から省れば消費者に買ふの餘力なくして商店に仕入品の餘るあり、工塲に原品は山を成して製作品の注文は絶へて跡なし、負債促されて返濟の道なく抵當沒入するも其處分に窮す、商工漸く手を縮めんとして之を縮るが爲に損し、金主漸く手を縮めんとして之を締るが爲に貸金の幾分を見切り、爾來は必す抵當と云ひ爾來は必す現金取引と云ひ抵當も必す其種類を擇ひ現金も必す目前の引替を約し信用地を拂ふて些少の猶豫を許さず商工の道日に蹙まらざるを得ざるなり米價漸く下落して農家は地租の金を納るにも差支へ農間に力役して錢を得んとするも之を使役する者なし啻に快樂の爲に錢なきのみならず現に必要の肥料を買ふの手當もなくして〓穫の如何を憂るに遑あらず之に反して北海道に產する鯨の如きは肥料中にても最も屈强の品にして之を所有する者は今日尙多しと雖とも其仕入の時より月に日に下落して今日の時價とを比較すれは之を手離すに忍ひず、之を忍はざるに非ざれとも或は抵當に入れ或は金主に取〓へたれて其運轉自由なるを得ず賣らんと欲して賣るに〓なく買はんと欲して買ふに錢なし〓に天理より觀察を下たせば肥料は土地に埋められて早く溶解せしこと〓〓〓土地〓早く之を含す米麥の苗を養はんと〓〓ふならんと〓〓唯如何せん人間世界商况の不景氣なるものに妨けられ錢は人の倉庫内に蟄伏して動くを得す田畑は肥料に〓へて〓〓力〓〓はすを得ず人間は座して富源の〓る〓〓〓〓〓み斯る事の次第にして苟も〓〓ある商人は賣買に〓〓にして物價下落の損毛見んよりも寧ろ〓て〓して〓事なるに若かず〓を失ふは〓にして傷るなきの〓れ〓〓若かずとて〓く倉庫を封じて出て〓し或は日本の賣買に比して〓利なりと稱する公債證を買ふ者多し近日〓〓〓證書の次第は騰貴するも〓〓に〓〓するものなら〓〓〓ふ即ち今月今日商賣の實况にして明治十二三年の鯨飮に醉狂し其宿醒は十五六年に持越して頭痛を惱むものと云ふ可し          (以下次號)