「不虞に備豫するの大義忘る可らず」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「不虞に備豫するの大義忘る可らず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

前號の社説に、紙幣引換を急ぐ可しと題して、一編の半に斷ち、本日其後半を揭げて論を畢る可きの處、

支那地方の報道續々到來するに付ては、之を雜報欄内に記し、最も看官の注意を惹くことならんと思へば、

記者も亦急に筆を執り、匆々一説を草して本日の社説を作り、紙幣引換の後編をば之を後に讓りたり。

本日の雜報欄内に記したる如く、佛國政府は上海在留の領事に何か和戰の事に關して下命したる所のものあり

と云ひ、支那の北洋艦隊は已に上海に到着し又南したるものもありと云ひ、河南の壯兵を呉淞へ集合すると云ひ、

六艘の軍艦には各兵士六百人を載せて呉淞に泊すと云ひ、北洋艦隊の通報船は織るが如く、上海より廣東までの

電信も頻りに工を急ぎ、柱は既に樹て終りて線は福建省の北にまで架したりと云ふが如き、夫れ是れの事情を察

するに、安南の葛藤は漸く結れて解けざるのみならず、本月六日までの樣子にては密雲次第に密なるものと云は

ざるを得ず。又一昨十六日の雜報に、佛國大使「トリクウ」氏は本月五日を以て香港より上海に着し直に李鴻章に

面會したりとあれば、談判の模樣如何なりしや、左宗棠氏も必ず之に參じたることならん。若し此談判をして不

調ならしめ、佛公使が李左兩大臣の言ふ所を聽かず、袂を振て北京に入り直に中央大政府に迫る如きあらば、事

は尚一層の困難を重ぬ可きのみ。我輩が過般以來毎度述べたる如く、清佛の葛藤は我ために彼岸の火事にして、

兩國の成敗以て我喜憂たるに足らずと雖も、今日の文明交通の利器、其働を逞うするの時に當ては、千里の彼岸

も咫尺相接するものに異ならず。況や對國の政略、其變化測る可らざるに於てをや。日本と支那との間には兼て

臺灣琉球の關係もありて、支那人には少しく不滿の意もあると云ひ、又朝鮮の事に關しても支那人は限なく日本

の政略を疑ひ、細に日本人の擧動に注意して常に不安の思を爲すと云ふからには、支那人の心事を臆測すれば、

目下佛蘭西の關係に忙はしと雖ども、第二の患は日本に在ありなぞと妄想を抱くやも知る可らず。吾人の考にて

は、日本より支那に對して厘毫の宿怨あるに非ず、又厘毫も彼れに怨まるゝ覺なしと雖ども、人間世界は常に妄

想に支配せらるゝものなれば、妄想こそ恐ろしき大敵なれ。古人が不虞に備豫すると云ひしも此妄想に用心する

の義ならんのみ。左れば今日安南の事變より清佛の葛藤を生じて、支那全國頓に殺氣を催ふし、之に加るに日清

の間なる朝鮮國も太平無事の有樣に非ず、東洋の強半、妖雲正に黒しと云はざるを得ず。此時に當て獨り我日本

國は、内に少しく民權自由論の喧しきものあるのみにして、此心配をさへ除去すれば、敵國外患なしとて安心す

可きや。之を譬へば滿天の密雲、偶然に日光を洩らし、其光の我身を照らすを見て、晴天なりと安心するものに

異ならず。蓋し其日光は僅に雲間より洩れて局處を照すものなり。局處の日光に欺かれて雨具を用意せざるは智

者の事と言ふ可らず。或は各國交際の事情紛紜の時には先づ我國是を定ること緊要なりなど云ふは論客の口吻に

して、其言鄭重なるがに如くなれども、我輩の所見にては國是を定るとて左まで苦勞するにも及ばざることと思は

る。如何となれば國是は唯國權を損せざるに在るのみなればなり。我輩は宿怨もなき支那に向て故さらに兵を出

さんとするものに非ず。況や其安南の一條に於て佛に與みするの要なし、又支那を助るの意なし。唯兩國政府の

爲す所に任すと雖ども、萬々一にも此東洋の殺氣中より一種不思議の妄想を生じて、今後一日我に向て如何なる

無禮を加へんとするものある可きやも計り難きが故に、尋常一樣立國の通法に從て國を守護するの備を設けんと

云ふに過ぎず。我輩は決して奇言を吐く者に非ず、奇論を立る者に非ざるなり。日本政記に、天平寶字二年十二

月、敕ニ太宰府一、巖ニ海防一、尋令三築紫七國造ニ甲刀弓箭一、以ニ甲刀弓箭一、以ニ小野田守一使ニ渤海一、

還、聞三唐有ニ安祿山亂〔天平寶字二年十二月、

太宰府に敕し、海防を巖にし、尋いで筑紫の七國に甲刀弓箭を造らんことを令し、小野田守を

以て渤海に使せしむ、還る、唐に安祿山の亂あるを聞くなり。〕とあり。安祿山は唐代の一亂臣のみ。謀反の禍

亂大なるも一時の内亂たるに過ぎず。其禍の我日本國に波及す可きに非ざるは萬々明白なるが如くなれども、尚

且我日本國に於ては海防を巖にするの敕命を下だして、特に使臣を遣て事情を探偵せしめられたるが如きは、護

國の廟略深しと申す可し。蓋し當時には孝謙皇帝のの萬機を統べさせ給ひし日にして、今を距ること千三百三十餘年、

我大日本國の獨立して開闢以來曾て毛髪も國權に傷けたることなきは決して偶然に非ず。我々今日の臣民は遙に

天平寶字の天子を思ふて其盛意に酬ひ奉る所のものなきを得ざるなり。今東洋の事情は唐の開元に異なり。漁陽

の鼙鼓地を動がし來るも、其地は唯支那内地の一部分なりしかども、今囘の事一度び破裂するに至るときは、其

影響は諸外國に關係して、當局の佛蘭西に感ずるのみならず、廣く西洋諸國に波及して、近く我目本國も其關係

の中に在るなきを必す可らず。震動の區域廣大なりと云ふ可し。然ば則ち我々日本の國民は今日の無事太平に安

心することなく、今の無事は唯是礼密雲の間に洩れたる局處の日光なりと覺悟して、雨具の用意專一ならずや。

蓋し其雨具とは何ぞや。軍艦なり、銃砲なり、砲臺なり、水雷なり又徴兵の改正、陸軍の擴張なり。凡そ是等の

事項に就ては當局者に所見あらんと雖ども、我々國民に於て、唯武備の擴張を促すのみにて其費用の出處を論ぜ

ざるは、甚だ不深切なれば、次で開陳する所のものある可し。               〔六月十八日〕