「國財論」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「國財論」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

前節に於て國財徴収の法を求め、我輩の所見にては酒税增加を以て適當の方便なりとしたれども、增税に就て

苦情を聞くは甚だ不思議ならず。萬國の人情同一樣にして、我日本に於ても多少に物論の喧しきものある可し。

素より我輩の期する所なれば敢て之に驚くには非ざれども、尚念の爲に聊か酒税の性質を説明して讀者の考案に

供せんとす。元來酒税には釀造税又は營業税等の名義あるが故に、其人の口に唱る所の名を聞ば、酒屋に税を課

するが如くに思はるれども、實際の性質に於ては決して然らず、酒屋が釀造の石數に課せられたる税は、正しく

其税額丈けを計算して之を酒の價に加るときは、酒屋に於て毫も利害を感ずることある可らず。例へば酒一石に

付き四圓を課せられて、一石十五圓に賣る可きものを十九圓の定價となしたるに、又增して八圓の税とならば之

を二十三圓に賣て損益する所を見ず。結局酒税なるものは酒を飮む人に課するの税にして、酒屋に課する税に非

ず。酒屋は直に政府より課せられて、酒屋は次で之を飮酒家に課するものなれば、酒屋は恰も収税の媒介者たる

に過ぎず。酒税の輕重は酒屋の喜憂す可きものに非ざること分明に見る可し。若しも強ひて苦情の所在を求めん

とならば、日本國民を上戸と下戸と二樣に區分して、上戸の方には多少の不平ある可しと雖ども、是れとても我

輩が本年一月九日の社説に記したる如く、濁酒と燒酎とを無税にする歟、又は極めて薄税と爲し、兼て又自家用

料の石數を增すときは、單に酒を飮て醉を取らんとする者に於て不自由を覺ることなかる可し。苟も其以上に至

て上品の清酒を用んと欲する者は、甘んじて税を拂ふ可きのみ。自から好む所なれば他人の知る所に非ず。都鄙

中等以上の家にて一夜の宴席に十數名の客を會し、五升の酒價、無税なれば一圓五十錢なる可きものが、一升に

付き八錢を課せられたるが故に四十錢を增して一圓九十錢と爲る可し。卽ち此四十錢は酒宴の會主が國事の爲に

奉ずるものと知る可きのみ。若しも之に奉ずるを好まざれば敢て他より強ゆるものなし。濁酒燒酎を用るも可な

り、其税甚だ低し。或は家釀の下品に甘んずるときは全く税を免かる可し。今其然らずして上品の清酒を用るは、

畢竟主人の隨意に出でたるものなれば、終に不平の訴ふ可き所を見ざるなり。或は國民の一般に負擔す可き國財

の義務を、酒を飮む人のみに課するは聊か不公平なるが如し。或る外國の例に傚ふて食鹽に税を課するが如きは、

毎戸貧富の度に應じて最も妙なる可しと思へども、日本人民の最も慣れざる新税法にして、人生必要の食鹽に税

とは不仁なり殘酷なりとて、俗論の喧しきものある可ければ、強ひて此俗論を犯して人を驚かすは、酒に依賴す

るの穩なるに若かず。酒の用は食鹽より狹しと雖ども、國中の毎戸多少に用ざるはなし。且古來の習慣に、日常

酒を飮みながら、酒は不用物なり奢侈物なりとて、俗間の名聾甚だ宜しからざる品柄なるが故に、此俗情を利用

して収税の媒介と爲すときは、以て輿論の愁訴を避るに足る可し。鹽に税を課せられたりとて竹槍席旗を見ると

きは、聊か説諭にも困る譯けなれども、濁酒燒酎は我口に適せず、家釀を飮むは殺風景なり、我志願は上品の淸

酒を鯨飮せんと欲するものなれども意の如くならず、寧ろ之を竹槍席旗に訴へて我志を伸べんと云ふ者あるも、

先づ今日の社會にては賛成を得ざることならん。是亦我輩が特に酒税説を士張する由緣なり。

或人の説に、酒税は酒屋の税に非ずして酒を飮む人の税なりとの道理は一應道理なるが如くなるも、兎に角に

直接に現金を納る者は酒屋なるが故に、目下の資力に堪へ難し云々とて、尚苦情を鳴らす者なきに非ずと雖ども、

此説は物の數を計へずして唯漠然の際に否を云ふものなれば、我輩は寧ろ之に答辨せずして更に一歩を進め、酒

税の却て酒屋の爲に便利を呈する部分を擧げて爰に之を示さんとす。卽ち其次第は、酒屋も一種の營業人なり。

凡そ營業人として其賣買に貴き物を取扱ふと賤しき物を取扱ふと孰れが利なるやと尋ねたらば、必ず貴き物の方

と答ることならん。金は銀より貴く、銀は呉服より貴く、呉服と太物と、太物と荒物と、何れも物の貴賤の差に

して、其貴き物とは形の小にして賣買の價の高きものを云ふなり。左れば今この旨を擴めて酒を論ぜんに、無税

の酒なれば百石にして價千五百圓なるものが、之に税を課したるが故に二千餘圓のものと爲り、裏より論ずれば

酒の形を縮小して賣買の價は貴き品物に變じたりと云ふ可し。太物の呉服に變じたるが如く、呉服の金銀に變じ

たるが如し。扨この貴き酒を賣買するに當り、時價の變化に逢ふとせん。既に二千餘圓の價格を占めたる物の高

下は。單に千五百圓の物に就ての差違よりも大なる可きや明かなり。物價の昂低大なればとて利を得るの大なる

を必す可らずと雖ども、小量を以て大金を運動せしむるは營業の品格を進めたるものと云はざるを得ず。況や無

税の酒も有税の酒も之を造るの勞力は同樣にして、之を容るゝの器物も異ならず。運搬の費の如きは品價の貴き

割合に從て廉なるを覺ふ可きに於ておや。實際の利益もなきに非ざるなり。        〔六月二十一日〕