「清佛の和戰如何」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「清佛の和戰如何」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

清佛の和戰如何

安南事件に關する清佛?國の葛藤は實に容易ならざる觀相を呈し清國大臣李鴻章佛國使臣

トリクウ先月初旬以來上海に相會して談判する所あれとも其議容易に决定に至らず然るに

此際安南東京地方に於ては屯駐の佛軍安南兵と攻戰して互に殺傷あり佛軍の如きは一旦大

に其利を失ひ首將以下これに死するの後は孤城に籠守して援軍喚び今は又大に其軍聲を回

復したるが如し而して當時清の佛に對し佛の清に對する軍備の如きは决して又尋常ならず

一旦談判不調の上は瞬間にして硝煙彈雨亞細亞東部の全面に漲らんとするの勢ありて人心

洶々和戰孰に决するやを知らんと欲して知るべからず荏苒遂に今日に至りたり然るに本日

の雜報欄内に記す如く上海よりの電報に據れば李鴻章は本月五日上海を發し天津に歸りた

りと云へり我輩此報知を得て第一に知らんと欲する所は李氏が北歸したるはトリクウ氏と

の談判を平和に結了したるが故か將た其談判遂に結局に至らず一應北京政府に具?して尚

ほ議する所あらんとするが故か或は又他に事情ありて然りしかと云ふの一事なり又讀者が

昨日の海外電報欄内に就て一讀せられたる如く六月廿八日倫敦發の電報に清國公使曾紀澤

は清國政府が安南を統治するの權を抛棄したるを以て清佛両國の間に起りたる東京事件は

既に平結したりとの報道を事實相違なりとしたりたりとあり而して此電報の文意聊か明瞭

ならざる所ありと申すは曾紀澤の事實相違と云ひしは該報道中何れの点に相違あるにや甚

だ疑はし清佛両國の間に起りたる東京事件は既に平結したりとの事は事實なり然れとも此

平結は清國政府が安南を統治するの權を抛棄したるがために得たる結果なりと云ふは事實

相違なりと云ふの意か將た清國政府は安南を統治するの權を抛棄したることなく隨て又東

京事件も平結に至りたることなく全く事實相違の報道なりと云ふの意が我輩は其意の何れ

に在ることを斷ずるに躊躇せざるを得ず或は李鴻章の上海を發して北歸したるは清佛の談

判平和に落着したるが故なりとせんか歐洲にて曾紀澤の正〓したる意味は清佛の葛藤は解

けたり但し清國が安南を抛棄したるが故にあらずと云ふに在るなるべし若し斯の如くして

推測するときは我輩の意中に今回の清佛談判は平和に終結せりとの信用を起さしむるに足

るものゝ如しと雖とも又本日の海外電報欄内七月一日倫敦發の電報に清國公使曾紀澤が本

國より受取りたる電報に據ればトリクウ氏が李鴻章に對し無禮の振舞あるより李氏はこれ

を憤り目下一切の談判中止して捗取らずとあるを見れば李氏の北歸はトリクウ氏の無禮を

憤り結然袂を振ひて相別れたるものならんかとの疑なき能はず若し然らんには李氏が上海

を去りしは談判落着の成果にあらずして和議破裂の徴なりと云はんも不可なかるべし兎角

未だ李氏が北歸の事情を詳知せざる間は清佛?國の和否を知るべからず我輩は只管後報の

速かに到達せんことを希望するなり

或は又今回の清佛葛藤は果して既に平和に落着したるものと仮定せんか未た両國の結約如

何を知らざるの前に於て遽かに其成跡如何を判知すべからずと雖とも若し清國政府が安南

爲中國所属の邦と云ふの口實を取消し全國を放棄して一に佛國の爲す所に任したるが故な

りとせんか是即ち清國に取りては由々しき大事にして其關係决して安南一ケ國の属邦論に

止まるべからず清國が從來?々他の諸國と難を搆る屈竟の口實たりし琉球爲中國所属之邦

又は朝鮮爲中國所属の邦など云ふことに付ては以來全く其口を緘せざるべからず琉球は日

本國内の一縣たるを以て妄りにこれに指さして是我属邦なり是我附庸なりと云ふも固より

其詮なきことにしてこれを云ふと云はざると毫も輕重關係することなしと雖とも朝鮮又中

国の属邦にあらずと自から證明することあらんには彼の大院君を保定符に拘留し三千の兵

士を朝鮮の城下に屯駐せしむるが如き類の所業は即日にこれを停止し朝鮮政府に向って大

に其弱を謝せざるべからざるべし若し又清國政府が巨万の償金を佛國に拂ひ因て以て僅か

に佛國が安南を侵畧せざるの承諾を得今回の葛藤を解きたりとせしか四十年以來清國政府

が西洋各國のために輕侮せられ其土地を失ひ其財寶を奪はれたるや枚擧に遑あらず時に或

はこれに抵抗するの?を装ふことなきにあらずと雖とも全く?喝に属して實の决心なきが

ために毎時他人に其腹中を洞見せられ結局土地財寶を以て平和を買はしめらるゝに過ぎず

然るに近年は清國の兵備も漸く整頓したりとの噂ありて大に世人の注意を惹き今日の清國

は决して前年の清國にあらずなどゝ言ひ合へる折柄又もや佛國に償金を拂ひたりと聞えて

餘りの事に世人も呆れ果て最早清國を東洋の一獨立國中に算入することを厭ふなるべし李

鴻章の如きは既に耳順の老人なるが故に或は此成果の結局を見るに及はずして世を去るこ

とあるやも知るべからずと雖とも李氏の子孫はこれを目?するの不幸に逢ふことあるべし

豈に慮る所なかるべけんや必竟するに今回の清佛葛藤は大に清國に損する所なくして平和

の落着を得べき見込なし然らば清國は其損を厭はずして和を講じ其大臣李鴻章を北歸せし

めたるか抑も亦尚ほ爲す所あらんと欲して李鴻章の北上を要するか我々は後報を俟ち詳ら

かに聞くを得べし