「清佛の關係は何等の?態に推移るべきや」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「清佛の關係は何等の?態に推移るべきや」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

清佛の關係は何等の?態に推移るべきや

佛國政府か近來頻りに安南東京地方に威權を擅にし土地人民を侵畧するの傾向判然たるを

以て其隣國清國政府をして大に疑懼の念を懷かしめ進てこれに干渉せんとして遂に清佛?

國の間に一塲の葛藤を生するに至らしめたり依て清國の大臣李鴻章と佛國の公使トリクウ

と上海に會同して大に議する所ありたれとも兎角に落着に至らす本月五日李氏は突然北歸

したりとの電報を得て我輩は其事情を詳知するの暇なきも取敢えず其擧動くの恠しむべき

所以を論したりき然るに今回玄海丸の便にて本月十日上海發の通信を得たるに固より十分

と云ふにはあらねとも幾分か李氏が北歸の意味を窺知るに足るへきものあり李氏は六月廿

八日にトリクウ氏と面談し又其翌廿九日にも會合し同日の夕刻李氏は非常に長文の電報を

北京の總理衙門に發したり此時上海の風説にては清佛の和議調ひ清國は安南を挙けて佛國

の手に委し佛國は清國に向て安南の征討費を要求することを爲さずと約束し二十九日李氏

か總理衙門に電報したるは此和議の次第を上申したるなりと云ひたり而して又過般來上海

に滯在し清佛?國の和解に盡力するとの評判ありし米國公使ヨング氏は清佛談判も既に落

着に近つきたるを以て最早北京に歸任するも差支なしとの意か上海を去ることに决定し六

月廿九日の午後には李氏を案内して居留地米租界を遊覽し其翌三十日の夜には留別の宴を

張り七月二日解欖の船に乗組み出發の筈なりしが總理衙門より李氏の許へ未た返電なきゆ

え猶ほ不安心なりと思惟したるか二日の起程を延引して北京の來信を待つ樣になりしが三

日の夜に至り總理衙門より頗る長文の電報李氏の許に達したり此電報は何事を報し來りた

るものか未た漏れ聞きたる者なしと雖とも察するに六月廿九日李氏より同衙門へ發したる

電報の返事ならんと云へり然るに翌四日の朝李氏は一介の使をトリクウ氏の許に馳せ何事

か申送り其夜半を以て突然天津へ向け北歸したり風説には李氏よりトウクウ氏への使者の

口上は拙者は最早安南事件談判の局面に當ること能はず閣下御苦勞ながら北京に御越しあ

りて總理衙門と直接に御談判被下度とありたる由なり

以上上海より通信の趣を以て見れば六月廿八日?に廿九日に李氏とトリクウ氏と相會して

何事を談判したるや、又廿九日李氏が總理衙門へ發したる長文の電報は何事の通信なりし

や、又七月三日總理衙門より李氏の許に達したる同しく長文の電報は又何事の通信なりし

や、又其翌四日李氏がトリクウ氏に送りたる使者は何等の用向なりしや、一切これを知る

に由なきは勿論なりと雖とも李氏とトリクウ氏との再三の會合、李氏が總理衙門に電報し

たること?に同衙門より電報を受取りたること、及び李氏が突然に歸途に就きたることは

事實なり而して又別に臨みて李氏とトリクウ氏と相徃來面晤もせず握手文袂もせざりしこ

とは是又事實なり左すれば?心に李氏の擧動を觀察して目下清佛?國の關係は和戰孰れの

傾向最も著しきやを判定せんとせば何分にも次第に和熟に遠さかりて次第に戰爭に近づく

の趣ありと云ふの外なかるべし殊に上海より最近の電報には「七月十三日上諭にて李鴻章

は前職(直隷總督)に復任し張樹聲(?廣總督にて當今直隷総督を代理す)は廣東に歸任

し曾國?(?廣總督として當今廣東府に在り)は上京を命ぜられたり而して安南の論議を

談判する委任大臣は誰に命ぜらるべきや且將來如何なる變更を釀出すべきやは方今世上一

般の問題たり」とあり此電報に依るときは李氏の北歸は清佛の談判落着したる故にもあら

ず又李氏は何事か總理衙門に打合せの用向ありて北上し不日再び南下して更に談判を開く

と云ふにてもあらず全く郵報の上海通信にある如く談判未决の際に李氏は最早談判の局に

當ること能はずとて突然天津に歸り歸着早々直隷總督の任に復して談判の重任を卸したる

ものと察せらるゝなり左すれば六月上旬以來全一ケ月の間清佛両國の大臣が上海に相會し

て討議談論せし勤勞は一朝忽ち水泡に属し今は又六月以前の舊地位に立戻りたるものと云

ふべきなり清國政府は安南爲中國所属之邦の口實を取消したるか未た取消さゞるなり、属

邦安南の事は中國一切其責に任ずと明言せしか未た明言せざるなり、安南の事中國の期す

る所にあらずこれと戰を開くも和を講するも其土地人民を奪掠するも總て佛國の自由に任

すべしと返答せしか未た返答せざるなり、此等の事一も决定する所なくして當局の清國大

臣は天津に歸りたり跡に殘りたる佛國の大臣は下世話に所謂初午の狸とも云ふべき至極不

都合不愉快の地位に在るものと云はざるを得ずトリクウ公使は是より李鴻章の跡を追ひて

北京に至り更に清國政府と談判すべきや將た頑然上海に踏止まりて他の委任大臣の〓下を

北京政府に要請すべきや或は又事務の都合ありと吹聽して一應本國に歸るべきや是甚た大

切の塲合にして此一擧動の後來の政畧に大關係あること申す迄もなきものなればトリクウ

氏も此難局に當て進退を决し兼ね或は事の次第を本国政府に詳報して其訓令の至るを待つ

がため當時尚ほ上海に滯在するものなるやと想像せらるゝなり知らず清佛?國の關係は是

よりして如何の事相を呈出すべきや