「國權擴張」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「國權擴張」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

國權擴張

兄弟牆に鬩くも外其侮を禦ぐ〓此語や世人が常に引用する所のものにして陳腐の言たるに過ぎすと雖ども能く其〓意の在る所を玩味せば又以て千古の金言なりと云ふべきなり今我々が此金言を解しこれを今日に適用せんとするに徃々其所見を異にすることあるが如く然り試に世人が國家政治上に此語を適用して謂ふ所を聞くに仮令ひ國内にて兄弟相爭ひ相競ひ時に或は軋轢して圭角の勢を呈し互に熱心一途其向ふ所を異にして錯乱糸の如くなるも一朝海外に事ありて直接に我々全体の休〓に關し存亡旦夕に迫まると云ふが如き秋に方れば必ず國内相一致して平素の不和を忘れて互に戮力して其大事に盡力するや疑を容れず故に平生は國内如何に四分五裂の有様を呈するも決して憂ふるに足らず唯有事の時に方て遅れを取らざるに注意せば即ち可なりと是れ世人が兄弟鬩牆云々の語を解して其説を立つる所なり然れども世人は此語中にある侮の一字を以て如何が理會したるにや察するに世人は侮とは形を以て我を辱かしむるの謂にして剛艦巨艨我港灣を團〓し強談を仕掛けて戰を挑むに非らざれば未だ以て侮を外國に受けたりとなさず此時に至らざれば未だ以て全國一致して共に其侮を禦かざる可からざるの要用を見ずと信するものゝ如く思はるゝなれども我輩の所見にては敢て有形上の行爲を以て我を恐嚇するをのみ輕侮と云ふべきにあらず外交上の談判に商賣上の契約に其他一人一個の應對に苟も對等同一の權利を許さずして常に我言ふ所を聽かず一句一言の間にも我を輕蔑するの實あるときは則ち是を正に全國一致して其侮を禦くの策を回らさゝるを得ざるの時なりと信するなり去れば我國は今日果して能く訂盟各國に對して同一の權利を保持するを得るか果して能く歐米人の爲に輕侮せられざるを得るか苟も有眼の士にして大は條約改正の己に其期限を過ぐること十餘年なるも未だ其實行するを得ざるが如き又横濱其他開港塲に於て我商人が歐米人との契約上常に不利を蒙るが如き有様を始め小は内外國人一個々々の關係如何を反顧せば我國は己に業に侮を外國に受けたること明白にして更に兎角の評定を費すべきにあらず共に團結一致して國權の擴張を謀かり我獨立國の体面を汚かさゞらんことに注意せざるべからざるの要用を感するなるべし面して我輩が常に國權擴張の論を主張する亦此意に外ならざるなり

我輩が常に國權の擴張を論するを見て世上の論者は裏面より意味を取り左程迄國權の擴張を論する上は定めて約〓の改良を欲せざるものならん政体政務の如き現時の〓にして可なる又〓〓の体〓を〓して可なりと言ふものならんとて時に或は我輩を誣ひんとするものなきにあらざれども是れ論者が自から意を逆へて〓み僻むるに由るのみ蓋し我國文明日尚ほ淺く其改良せざるべからざる者甚た多し政治教育を始め農工商業より風俗習慣に至るまて一切皆大に改良を要すべき者たらざるはなし國より文明の新天地なれば政治上に社會上に現時將來尚ほ大に發達進歩せざるべからざる者一にして足らざるなり故に内治改良の如き〓より我輩の希望に堪えざる所にして之を希望する敢て今日に始まるにあらず或は聊か世上に率先して之を論じ今日世人をして〓点に向はしめたるは不充分なから幾分か我輩も與かりて力ありと信し〓かに自から喜ぶ所なり然れども我輩は此内治を改良すると同時に又國權の擴張をも忘る可からず二者正に併行して共に進歩せざるべからざるを知るものにして只管これを論して止まざる所以の者は目下世上の有様にては此兩立せざるべからざる内治外交の二者に就て一方は大に之に精神を費しながら一方は甚だ之を輕んずるの色ありて斯ては遂に兄弟徒らに牆に鬩くのみにして外其侮を禦くことを忘るゝに至らんかとの恐あればなり

世人若し我輩に向て内治外交の兩立併行せざる可らかざるは勿論なりと雖ども二者孰れか大にして孰れか小に孰れか目的にして孰れか方便なりやと問ふことあらんに我輩はこれに答へて外交は事体大にして目的なり内治は小にして方便なりと云はんのみ其理由は一國の富強繁榮を冀ふも先づ其國ありて後の事なればなり不祥の創造ながら仮に我日本をして印度の英國に於けるが如き異國の一属地たらしめんか我々は唯東海を踏て死せんのみ何の富強かあらん何の繁榮かあらん亡者の妻子珍〓と一般ならんのみ故に全國の利害存亡に關するの外交はこれを内治に比し大なるものなりと云はざるを得ずこれを譬えば人の住家に屋根雨戸と造作の諸具あるが如し何れも要用のものにして其一を欠くべからずと雖ども一旦屋根雨戸の用意を怠り風雨の侵入することあらんにや内に何樣美麗の〓具あるも其用を達すること能はず故に人の住家に均しく必要の諸品中にても屋根雨戸はこれを造作の諸具に比して其關係甚た大なるものなりと云ふべきなり是則ち外國に關する國事の甚た大切なる理由にして苟も外侮を禦て他と對等の地位に立ち得ざる掛念あらん限りは決して其用意を忽かせにすばからざる所以なり

要するに我輩が常に國權擴張の心を以て勉て外交上の事〓を論究するは目下の形勢強〓の外國より未た形を以て無〓の侮を〓らざるも巳に〓〓の實を受け大に我國体を傷たるの戒〓あるにも拘はらず世人は尚ほ佸としてこれを顧みず唯兄弟の鬩牆に忙はしくして〓〓の一方を忘却したるが如き色あればなり世人若し活眼を開て天下の形勢を見又我輩が常に紙上に論する所を熟讀せば盖し思半はに過ぐる所あらんか