「百聞は一見に若かず」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「百聞は一見に若かず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

百聞は一見に若かず

百聞は一見に若かずとは耳より來るものと目より入るものとは人間の感覺を動かすに百と一との比例なりと云ふの義ならん誠に尋常の套語なりと雖とも其尋常中自から非常の意味あるが如くなれば决して之を輕視す可らず我輩今日に於て特に其然るを知るものなり我輩が時事新報の紙上にて西洋文明の大義を説くは一朝夕の事に非ず曰く近時の文明は蒸氣電信の兩者に在り兩者其働きを逞うして人間萬事を顚覆し山裂く可く海超ゆ可し、人躰頓に羽翼を生して地球坦途の〓を作したり西洋諸國は遠隔なりとて最早油斷を爲す可らず、曰く西洋學問の有樣は日に新にして又日に新なり發明工夫は武歩相接し、起業興産は服背相望み、人事の繁劇にして進歩の迅速なる實に驚くに堪へたれば我々日本人民も亦其覺悟なかる可らず、曰く何國にては何艘の軍艦を新造したり然るに其隣國にてはさらに新式の大砲を製して暗に之に備へたり、又某國にては某國の一半を略取して速に其殖民地を作り將に殘りの一半をも併呑して更に其隣國に及ばんとせり糠を舐て米に及ぶは自然の勢我々も亦袖手安眠す可らずと、大聲疾呼世人に注意を與へたれとも我輩の拙筆は能く其耳孔を貫く能はざるにや未だ我輩の素心を滿足するを得ず我輩は西洋文明の大義を稱道して敢て其聲を吝まずと雖とも之を世人に傳達するには唯其耳を假るのみにして實物を眼前に示す能はざるが故に百曉千告も亦其一見の効驗に及はざることならん且つ又人間の感覺は近きに敏にして遠きに鈍く炭團火鉢を顚覆したるには狼狽して對岸の失火には驚かず近くは安南に戰争ありと聞くも之を感することは隣家の喧嘩にも及はざるものあるが如し距離一歩を遠くすれば感覺も一層遅鈍となり事實を腦鏡に映するに遠近に隨て大小の度を變するを常とす其状は恰も山水畫の如く近林は小なれとも畫人は其割合を大にし遠山遙峯は大なりと雖とも筆工は之を縮小せり故に近きは大にして遠きは小なるが如くなれとも實物の山水に就て其遠山遙峯に接近したらば高大秀絶固より一小近林の比に非ざるを發見す可し我々日本人民は東洋の一隅に僻在して遠く西洋の事情を聞けばこそ其之を感するの深切なる炭團火鉢の顚覆、隣家の喧嘩にも及はざるなれ、實地の事情に接したらば其高大宏壮に驚き遅鈍の感覺も一時に激して鋭敏を增し來り躍然として喜び奮然として怒り忽ち悲み忽ち笑ひ喜怒悲笑交々集まりて遂に大に感發し眦を裂き手に唾して文明の競塲に一鞭を試むるの勇氣を生するに至らん、右の事實は我邦より西洋に渡航したる人に就て往々徴す可しことにして近頃在米國の友人より得たる書翰の如きも亦其一斑を知るに足れり書意左の如し

前略小生紐育府着の後は日々街衢公園等を散歩致し田舎人の癖として屋宇瓦棟、鉄道電信其他一切の規模宏大雄麗なるに驚嘆致し候、さて此驚嘆中憤懣不平に堪えざるの一事と申すは當府の人民は日本の事抔口頭に出す者なく小生等を見ても支那人やら日本人やら丸で之を區別せざる有樣なり、又小生等が街道を往來すれば幾多の童兒其後に尾し來りて「チンチン、チヤイナ」「チンチン、チヤイナ」と連罵致し小生等とチヤイナ即ち支那人と見誤まり候樣子に御座候、近日華盛頓府に移り候に童兒の罵〓は紐育府程には無之候得共一日公園を散歩致したる節、例の通り「チンチン、チヤイナ」と罵るもの有之候故一寸これを睥睨致候に群黨中數名の黒人種も交り居り候故、咄、黒奴汝ぢ何ぞ無體なるぞと小癪にさはり候得共、大人氣なければ其儘に看過致し候小生等當國に來りてより何に就きても驚嘆する傍に又何に就きても憤懣し海外に在ては兎角不如意なるものとは存し乍ら責めて我邦の名聲が夙に西洋人の耳に入り東洋に去るものありと知られたらば外國に在る小生等迄も斯る不愉快はなかる可しと聊か感激仕候云々

右は尋常の文通にて見聞の儘を文飾せずして寫し出したるものなれとも日本男兒愛國の氣象は自から其間に見はれ實際の事情に接して感激したるは筆と口との虚影虚聲に感觸したるとは大に其趣を異にするを見る可し、我輩は東洋に在て西洋文明の聲影を寫し、其驚く可く喜ぶ可きの情状を世人に曉告するを懈らずと雖とも其實勢實状に至ては、十一を千百に髣髴す可らず、されば我邦の人民も各其道に由て海外旅行を企て、一人にても多く西洋文明の實物に接すること實に今日の急務なる可し、自から往て其實物に接し之に驚て自國に返り又之を其知巳朋輩に語るときは感觸を起すの度も亦自ら深切なり一往一返次第に外國の實情に通するの人々を增し來らば遠き西洋の事なりとて徒に之を看過せざるに至らん、聞て感せず見て驚くは人間萬事皆然らざるなし支那の古話に或人好んて龍の話を聞きたるが他日眞龍を見るに及んで大いに之を恐怖したりと云うことあり、今唯西洋の文明を語るを聞きて未た其實物を見ざるものは之に意を留むること少からんと雖とも若しも海外に赴きて其實物に接することもあらば之を恐怖し又隨て之を親愛するの度は彼の眞龍に逢ふたるに减せざる可し、果して然らんには啻に之を恐怖するのみならず其龍の爪牙を防くの念も起ふん又これを恐怖せずして之を親愛すれば其人交る可し其文學ぶ可し之を敵にするも之を友にするも親しく之に接して後の思案に附す可きなり我輩は常に文明を語り今後も亦之を世人に曉告するを懈らざる可しと雖とも百聞は一見に若かず、我が日本人民は自ら進て海外に赴き西洋文明の眞龍を見るに若かざるなり