「清佛葛藤の終局如何」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「清佛葛藤の終局如何」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

左の一編は十數年間我國に在留し一昨年歸國して當時米國紐育州に在る「ドクトル、シモンス」氏より寄送し來りたるものなり此寄書に添えたる氏が書翰をも左に併記す

(前略)今便清佛葛藤に關する一篇呈貴覽候若し君の時事新報に登録の榮を得ば幸甚之至に奉存候唯恐る此書御落手の際は清佛事件も和戰孰れにか既に决定し居る折にて封中の一篇は唯覆〓の用に供するに過ぎざらんことを云云(以下略す)

米國紐育州ボーキープシイ府ミル街第二百六十六戸 千八百八十三年十一月廿五日 デー、ビー、シモンス拜

益友福澤諭吉君坐下

清佛葛藤の終局如何

目下清佛間の葛藤は結んで解けず東方亞細亞の人にして能く事理を明かにする者誰か大に其休戚を感せざらんや回顧すれば両國の紛議危殆の状勢を顯して以來早く既に數個月に渉れ共今に至るまで未だ結局する所あるを聞かず偖予は爰に此葛藤の起原に付て其歴史に溯るを要せず又其曲直の在る所を論せず唯今日に際して最も有用なるは勉て左の疑問を釋くに在るべしと思ふなり

第一 現時安南事件の葛藤は遂に清佛間の交戰を見るに至るべきか

第二 愈愈交戰の布告あるに當て清國が佛國の如き西洋の一國と兵を交ゆるに其状勢は如何なるへきぞ

第三 佛國が遠く征師を出し殊に交戰久しきに渉るに於ては本國の位置如何なるべき歟

第四 他の歐洲列國殊に英吉利日耳曼の二國は該事件に關し如何なる擧動を執るべき歟盖し戰爭の際に互市の中止せらるべきは必然の勢ひにて之が爲に最も其損害を蒙むる者は英日の二國なれば殊に其擧動を察せざる可らず

予は此より進んで之を吾人が知悉せる事實に照し以て右の疑問に答ふる所あらんと欲す抑も第一に両國の戰爭は愈愈公布になるべきや否やの問題に至ては佛京巴里府よりの最近報を見るに目今の形迹、最初葛藤起原の際よりも嘗て和親の方向に其歩を進めざる者の如し當時清佛談判の報告は其都度佛國の新聞紙上に登載したれば乃ち取て之を讀むに清國は佛國に向て既に退譲をなしたりと云ひ或は爲すを欲するならんと云ひ兎に角に和親の落着に望みあるが如くなるに又一方に巴里府の清國公使館は諸新聞紙に右の如き發報をなすのみならず佛國の官報までが尚斯る報道を爲すを以て甚だ不平心を抱き且つ清佛談判のことに關しては佛國官報の〓する所多多缺〓あるを説〓ず〓に〓て〓國〓使館は〓に東京事件に關し両國間に往復したる公書の全文を公布したり、其言に由て見る時は清廷の意見彼佛人の言ふ所とは全く異相の觀ありとす此公書の報する所に由れば清國の欽差大臣は今日迄曾て些少の退譲をも爲したることなく且つ今後迚も唯東京沿岸の數港を除き外に退譲するの心あらずとなり就中容易ならさる一報は清國は既に戰爭の準備を爲し又何時にても應戰すべしとのことなり是故に清佛両國の中、孰れか其地歩を退くに非されば戰爭の起るは稍稍必至の勢ひなるべし

偖第二に右の如く愈愈開戰とならば清國が兵を交ふるの状勢は如何なるべきか請ふ進んで之を論ぜんに聞くが如くなれば清國は五■(「一」+「力」)の精兵を有し器仗能く整ひ訓練亦至り一朝急に臨めば直に之を東京に派するを得べしと又聞く所によれば黒旗隊の軍兵は日耳曼人之を訓練し司令し該兵又頻りに佛軍に向て騎兵を出し對戰を挑むと云へり又清國の兵數に關しては苟くも佛軍の攻撃に抗せんが爲めとなれば該國の發遣し得るもの豈に獨り數千人のみならん數十■(「一」+「力」)亦能く辨すべきは皆人の知る所なり且つ今日清國は數ケ所の武器工廠を有し又外國よりも武器を購ふを得るが故に其兵師に供備するは决して難事に非ざるべし又戰爭に最大必要なる錢幣の点に至ても其之を得ること難からず何となれば清國の如き一大邦土にして其財貨に富むは勿論なればなり今佛國が開戰に當て獨り東京にのみ其戰塲を限らずして猶清國沿岸繁富の都府をも攻撃するに於ては彼清國政府は此外國の攻撃を防禦するに豈に獨り其財貨を利用せざらんや且つ又清國が國内に錢幣を募るの時日なしとするも英國若くは米國より其之を借るに於てはこれを得ること亦决して難からざるべし何となれは予が見る所を以てするに從來清國は常に能く國債を償還するに約束を違へたることなければ世界の貨幣市塲に於ても好信用を有すればなり、此外清國の海軍も幾何か自國の用を爲すべく且つ歐洲人が之を指揮するに於ては多少に精鋭なるべきや必せり爾のみならず清國は頗る能く水雷火船の使用に通じ、既に備て以て急に應ずるを得べきもの其數甚だ多しと云へり    (未完)