「米國來輸」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「米國來輸」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

拜啓各位u〓〓寧奉賀陳は小生〓ども渡米以來〓に全三ケ年餘に相成候舟共爲差事も出來〓申汗顔之次第御〓笑可被下扨小生は素より商業の目的を以て只管〓にのみ忙はしく致居り候得共又傍には學問教育の事も全く放却する能はず商賣の餘暇には諸方の學校へ尋問し又は學問〓會の士人と交際も致して當國教育の風を見聞するに前半日本に居て考へたる所を以てすれば徃々意外の事共〓少第一米國は世界中最も自由主義流行の國にて政体も自由なり法律も寛大なり居家の有樣〓自由自在にして人間萬事無頓着ならんと思の外決して左樣の次第に非ず政体の名こそ共和政治なれども中央の政權は甚だ強大なるものにして法律の行はるゝこと甚だ確實なり政府を去て〓會の全般を見れば〓〓を重んずること甚だしくして居家の法自由ならず、交際の風無頓着ならず、長者能く少者を親愛すと雖ども少者にして長老を輕侮するを許さず殊に貧富の別の如きが最も嚴重なるものにして殆ど相近づくことも得べからず日本なればこそ粗衣粗服の貧生にても大家の門に〓入して談話自由なれども當國などにて斯る事もあらんには主人に無禮なりとて先つ門番に打拂せらるゝを常とす衣裳正からざれば人に侮られ言語粗暴なれば人に〓はれ又或は國中の某地方の如きは飲酒喫烟を〓ひ一痴呆の男女酒と烟草は禁物にして若しも此禁を犯す者あれば人に〓せられざる風なり斯る次第なるを以て偶ま日本より渡米したる少年輩などは一時大に窮窟を覺へて不自由を訴る者多し畢竟當國の自由と申すは所謂不自由の中に存する自由とも名く可き歟或は政体法律は自由なるも人民は〓會の風に壓制せられて秩序を〓らざるものと申す可き歟實に想像外の事共不少〓左ればにや數年以來日本の書生輩當國に卒業して歸朝したる者を見るに之を平均すれば〓〓沈静の人物多きとの報告も事實に可有之彼の歐洲諸國の大都會に遊學して費す所の金は多くして學び得たる學藝の實は少なく〓に一身の品行をも傷る輩に比すれば萬々同日の論に非ず小生事は本部も亦春より秋に掛けて商用のため英佛日耳曼等〓〓致し〓ながら例の如く學校〓育を〓察し就中在〓日本書生の樣子を窺ふに何れも勉強は致し〓妙に相見え〓得共これを平均すれば在米國日本書生の質朴にして沈静なるには及ばざる者の樣に判斷致候又爰に傳承したる一奇談は日本の人が亞米利加の合衆國は共和政治なりと聞き其國中の人民は悉皆政談家にして貴賤老少の別なく朝夕政事のことのみ語り合ひ少年輩なども、さぞかし政談に熟することならん今日日本にて政談の喧しく禮〓も粗漏になりて萬事に無頓着なるは全く米國より輸入したるものなりなど申す者も少なからざる由小生も毎度〓國の知己朋友より右樣の手紙を得たること有之候〓共この一事は小生當國に在留して外人の身なれども亞米利加の爲に冤を解かざるを得ず成る程亞米利加は共和政治に相違無之候共米國は政治のみを以て成立つ國に非ず、否な政治の國事の一小部分にして他に忙はしきは學問なり商賣なり工業なり其繁多なること實に世界〓〓無比にして學問商工等の勢力強大なるが爲に政談の如きは俗に所謂お茶挽く者にして〓會運動の要路に横はるを得ず試に當國發〓の新聞紙を一覧しても其大〓を知る可し何れの新紙にても其面に記す所〓大抵皆商工學問等の事にして政事論は紙面の一小部分を占るのみ之を要するに米國の人は政事を重んぜずして商工學問を重んずる者と申す可し政治を重んぜざるが故に之に熟する者も出でず政治に極端論の稀なるは特に米國一種の氣風と云ふも可ならん之を彼の歐洲大陸佛蘭西日耳曼等に動もすれば貧富平均〓會黨など云ふ政論の苛烈なる極端を案じ出す者に比すれば雲泥の差違に候然るに其邊の事實をも忘却して米國を共和政治と聞けば其學問の〓育も共和にして人民皆歸する所を知らざるが如き不取締ならんと思ひ日耳曼を帝國と云へば其國の〓育も帝國風にして全國の學者皆忠義一偏の人物ならんと臆測するが如きは蔭ながら氣の毒に堪へず〓會の安寧と學問商工の繁昌は國を立るの基なり何卒我國先覺の士人は此一義に注目して〓育上の利uを失はざる樣致し内國にて少年を〓へ外國へ子弟を遊學せしむる等のごときには最も心を用ヰ〓事に候小生は久しく海外に居り毎度歐米の間を徃復して常に〓に感ずるもの少なからず且外國居留の身なれば故〓の細事〓は之を知らず唯日本と外國とを區別して一心本國を思ふ外なし筆端所思を盡さず〓推讀奉願候也

明治十六年十二月十一日紐育に於て