「外國債恐るゝに足らず」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「外國債恐るゝに足らず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

外國債恐るゝに足らず

目下我日本國中には興すべき事業多くこれに供すべき勞力も亦甚だ多しと雖もこれと相伴うべき資本なくがために袖手貴重の日月を空費して徒らに功名富貴の天外より堕落し來るを侯つの情状なきにあらず斯くの如きは則ち家を富まし國を富ます術にあらざるが故に宜しく他の文明國に就いて其除る所の資本を借り來りて以て我不足を補い大に此國を利する謀を爲すべしとの事は我輩〓に其概略を論陳したり然るに世間徃々外債の利を知らずして其不利を説く者多く、甚しきは唯外債の名を聞くのみにして先ず既に嫌忌恐怖の念を起し耳を掩いて其次第の如何をさえ聽き了らざる様の人物なきにあらず我輩此様の人物を見聞の度毎に其了見の如何を知るに苦しみ獨り自から不可思議の至に堪えざるなり

外債の不利を説く者曰く外國に金を借るは甚だ好し然れどもこれに相伴う所の返済の苦は思わざるべからず一旦返済の期を〓ることあらんか外國債主の督責を蒙り遂には内國文武の施政上にまでも干渉せられて獨立國の〓面を汚損するの虞なきにあらず日本の鑑遠からず彼の埃及に在り埃及國にして外債の失策なからんか必ず今日の如き危殆の國勢に陥ることを免がれ得しならん苟くも亡國の恨を知る者は決して外國債を言うべからずと此議論は政治上より観察して外國債の恐るべき忌むべきを言う者なりと雖も議論の根底は他人に金を借りて其返済の約を踐まざるより起り因て生ずる所の結果を想像して徒らに恐怖萎縮する者に外ならず他人と約束して其言を踐まざる惡報は獨り借金の一事にのみ限るにあらず人事の何たるを問わず違約の罰は内外の別なく晩かれ早かれ違約者自らこれを甘受すべきは世界古今の通法なり故に約を踐む覺悟なくして妄りに借金證書に調印し他人の金を我物顔に使用したる後果して返済の工夫なきものならんには實に論者の説の如く外債は亡國亡家の基なり苟も身を愛し國を愛する道を知る人ならんには一命に替えても外債は爲さじと弓矢八幡盟誓を守らんこと日本男子の本心なるべし然れども我輩の外國債を言うは違約するも後に殃なしとしてこれを悦ぶものにあらず唯何人に金を借るも我に返済の覺悟あるを恃みて外國債恐るゝに足らずと云うのみ今一年五六分廉利の金を英国に借り突出し一年一割以上の利潤ある日本の銕道を布設せば其借入れたる元金に對して年々の利子を拂いたる上に尚一年四五分以上の純益ありこれを以て元金の消却を始め幾年の後には元利〓く皆済して此利潤多き銕道は永く日本人の手に殘るべし斯くの如くしても尚外國債主のために内國文武の施政上に干渉せらるべき憂あるべきや我輩の知らざる所なり論者又曰く外國債は政治上に於いて恐るゝに足らずとするも經済上に於いて甚だ恐るべし何となれば金を借入したるごときは其元利を合してこれを返済せざるべからず尋常返済法は年々の元利に相當する丈け内國の産物を輸出してこれを外國の市塲に賣捌き其代金を以て債主の督促に應ずることならん今日本にて英國の金を借り來り以て銕道を布設し大に内國の富源を深くするは甚だ善しと雖も其借金の元利を返済するがために尋常輸出入貿易の外年々幾百万圓の價ある産物を外國の市塲に輸送し其費用の如何に拘わらず外債利拂の期日までには是非ともこれを賣却して其價の高下を問うに〓あらざるべし即ち日本の物産をして外國市塲に潜入せしめ強賣せしむるものにして既に足元を見透かされたる日本物産其價の下落は獨り此れ幾百万圓の品のみに止まらず貿易全面の物價に影響し全國の損失實に測り知るべからざるものあらん此時に當り日本産物の強賣を止めて國損を救わんとするか外國債主に拂う元利の金額は何れの處よりこれを得べきや借金の約に背きて元利を拂わざらんとするか亡國の殃踐を施らさずして至るべし外國債は起すべからざるなりと此産物強賣の議論は經済學の原理に係わる頗る重要問題にして決して輕々に看過すべからざるものなりと雖も目下世界市塲の實際を見るに此産物強賣の掛念は日に益減縮する實なきにあらず世界の市塲は日月に廣きを加え産物の需用は日月に多且大を加えること世人の熟知する所なり今日本にて外國債を募りために數百万圓の輸出増加を要することありとせんか尋常の輸出品の外更に數千俵の生糸を市塲に別送するのみにて早く既に其用を辮すべし世界の市塲内には英國あり米國あり佛國あり日耳曼白耳義和闌ありて生糸の需用決して狭少ならず此市塲内に一年數百万圓の供給を増加するは積薪車上に一羽を添えるに異ならず何ぞために耳目に威すべき程の影響を惹き起す憂あらんや故に強賣の弊の恐るべきは論者の説の如しと雖も一年數百万圓外債元利返済の商略は決して世界の市塲を變動するに足らざること我輩の固く信じて疑わざる所なり故に我輩は曰く日本國中興すべき事業の多くこれに供すべき勞力も亦甚だ多しと雖もこれに相伴うべき資本なしとを袖手空しく日を送るは家を富まし國を富ます道にあらず宜しく外國の資本を輸入して其欠を補うべきなりと