「明治十七年首歐州列國の形勢」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「明治十七年首歐州列國の形勢」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

明治十七年首歐州列國の形勢

(前略)此兩三日は歳末とか新年とか恰も新舊交代の境目なれば政治又商賣世界とも暫らく其運動の歩を止めて休息する者の如し勿論倫敦にては一月一日を以て定例の休日とするにあらず諸會〓諸銀行の如き元旦の早朝より店を開て各自の業を營めども尚ほ舊を送り新を迎へ聊か賀意を評する風は免れず自から半休暇の姿なりされば翌日よりは全〓會の競爭と外交の粉錯とを〓るべしと雖ども此日丈けは如何にも天下太平にして世間の粉〓を聞くことなし其〓を形容すれば恰も羣鬼の樂圓に畫〓するが如し此羣鬼たるや決して今日の如く永遠畫〓するものにあらず其一旦〓むるに當て〓依然たる惡鬼にして或は人を撃て其肉を喰い或は魔法を修めて人類に〓を降すこともあるべし歐州の諸新聞紙は則ち此惡鬼を代表するものなり年々歳々互に其非を擧げ互に攻撃して止む時なく戰爭の始まるも新聞紙に依り其戰爭を和解するも亦新聞紙の力にあり其〓惡魔の〓福を人類に降だすと一般なりされども今日は此諸新聞紙も一時攻守の〓を藏めて己に過ぎ去りたる一千八百八十三年の經〓を回顧して天下の全勢を測量する者の如し當英國の諸新聞紙は勿論大陸諸國の新聞紙も各其〓説には前年の全勢を論じて各其國の進歩などを測度し又他に顧みる所なし但其〓説〓表れたる歐洲一般の與論を一々細かに報道するが如きは〓も出來がたく且餘り有益の事とも思わざれば今唯其一〓を報道して之に滿足すべし却説昨八十三年歐洲の大勢は先づ之を太平と云ふべし魯西亞日耳曼の間に人種論あり何となく兩國の交際上毎に軋轢ある者の如くなりしも「ビスマーク」公の老手〓此隔隙を〓〓して今日に至ては魯日の間却て親交の密約ありなどの風説あり又墺地利の其利害を日耳曼と同うして密に攻守相助たる約あるは世人の〓に知る所なり伊太利西班牙兩國の如き近頃日耳曼の皇太子が此兩國に周遊して其交〓を厚くしたる所を〓れば此兩國亦日耳曼に盟約あるものゝ如く斯くの如く日耳曼は大陸諸大國の中心にして國權の釣合を調和する者なり故に「ビスマーク」公の政略能く之を調和する限りは諸大國の交際も〓かにして復た戰乱等の患なかるべし然るに其中間に挟まる佛國は目下孤立の姿にして誰ありて之が勢援をなす者なく其〓恰も歐羅巴洲中の厄介者にして其擧動を厭忌せざる者なし佛人亦自から其孤立なることを覺へ何となく人心〓かならず歐洲中其鬱積を洩らす方便なき故に扨ては今日の外攻政略に出でし者なりと思わる過般西班牙王が巴里に着〓の際府民が群集して〓王を〓罵せし以來歐洲全國其卑怯の振舞を悪み自然佛人を〓斥厭悪する勢なれば佛人は益鬱悶して愈狂暴を逞うする者なり佛國の諸新聞紙の如き其語氣過激亂暴にして右を撃ち左を攻め恰も狂犬の〓人中に狂ふが如し故に過般も或る巴里新聞が日耳曼の政略を大に誹毀して「ビスマーク」公を〓〓せし時日耳曼の或る新聞「ビスマーク」公の機關)が之に〓て曰く佛人が其國内に在て何程乱暴を働くも其意に一任すべし決して他より關〓す可からざず啻に關〓す可からざるのみならず其乱暴の爲めに佛國共和政府の瓦解するは却て天下の爲めに〓すべきなれども謂れなく他國の政略を誹毀し又之を〓〓するに於ては決して黙々に付すべからず勿論我より進で事を好むにはあらざれども彼れ餘りに驕傲なれば天下の爲め又我國の爲め之を懲さざるべからず日耳曼の兵力は天下に冠たり所望とあらば何人にても相手致すべし云々と是に由て巴里新聞も聊か其氣勢を〓かれ其後は日耳曼に對して餘り過激の論説を述ぶることなし「ビスマーク」も亦一世の豪傑なる哉斯の如き次第なるが故に公の存生中は差したる事變もなかるべしと雖ども此豪傑が一朝死去するか又は重病に罹かる時は忽ち歐洲の一大爭乱をも生ずべしなどの風説あり英國は古來大陸の政談に關〓せざる風なれば所謂高見の見物なれども一旦事あるに於ては其國の利害に關する所鮮少ならざれば頻りに佛人の鬱悶を慰論して降心せしめんとする者の如し盖し英國は東洋諸國を以て其富源とする者なれば此度東京事件に付けも佛國政府に迫て其非擧を責むべき筈なれども左はなくして之を傍觀するは何ぞや公然其非擧を責むる時は忽ち英佛兩國の交際に澁〓を來し佛人をして益其孤立を感じ愈其鬱悶を〓さしむる道理なれば可成慰論の手段を以て其暴擧を制止せんとする者なり歐洲の大勢右の如くなるが故に其次第を推して向來の成行詳細に報道せばやと思居りたる所〓に雑務の繁忙を來たし執筆の暇なきに付夫は次便に讓るべし