「公債証書騰貴の辯」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「公債証書騰貴の辯」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

公債証書騰貴の辯

今の公債証書を所有するも七分利付のものを九十圓より九

十圓以上に買ふときは正味利子の収入は一年七分七厘が單に

七分の割合より多からず他種の証書とて大抵同樣の割合な

らん東洋の一國にして人口多し資本少なき日本の如きに

於ては斯る低利足永久に持續す可き道理はある可らずとの

大意は前日の時事新報中にも之を記したり(四月一日時事

新報)抑も今日の商人社會にて公債証書を所有するは永久

之を所有するの念あるに非ざれとも唯目下其賣金の用法に

困却し、まさか無利足にて金庫に藏め置くよりもと云ふ胸(匈+月 異体字)

算にて仮に之を買取り云はゞ己が商賣の元入金を暫時公債

証書に預け置く姿なれば今にも何かの機會に由て商況回復

の樣子現はれ出でんには中以下の商人等は片時も之を家に

置かず爭ふて賣出す可きや當然のことなり元來商人の營業は

嘴射利の爲のみと云へば云ふ可きなれとも其射利の中にても

自から腕前を研くの榮譽なるものありて苟も家に資金ある

者が其金を以て公債証書を賣ひ坐して定期の利子を受取り

之に依頼して質素に衣食するが如きは商人社會有力者の最

も愧る所にして仮令ひ内實は其事を行ふも他言を忌む程の

ことなれとも今日は公然これを行ふを憚る所なし誠に気の毒な

る次第と申す可し唯商家のみならず近來は諸銀行にても頻

に公債証書を賈入れその賈入高の多きを以て得意の顔色を爲

すものゝ如し銀行に公債証書を所有するは敢て禁制には非

ずと雖とも基本色を云へば世の中の老少婦人若しくは無職業

の金満家に餘る貯金を一所に集めて商賣社會に活發なる用

を爲さしめ株主をも利し商賣人をも利し双方便利の媒介を

爲すの趣意なるに其銀行が公債証書を賈ひ其利子を請取り

て株主に配當するとは問〓〓の沙汰なり公債証書を賈ふに

は必ずしも銀行の手を煩はすに及ばず婦人にても小児にて

も相對に人に托して之を賈ふ可し然るを銀行にても基本色

を顧るに遑あらず先つ以て大丈夫なる公債証書を賈ふて危

険を擯け不本意ながらも婦人小児の事を學ぶとは銀行者に

罪なし商況の勢に由て然らさるを得ず世間に金融の切迫す

るも謂れなきに非ざるなり

然るに爰に不可思議千万なるは説を作す者あり云く近來公

債証書の騰貴して金の利足の下落したるは世の瑨相にして

即ち公債の騰貴は其騰貴丈け國民が政府に對して信用を増

したるものなり其利子の割合の低きに安んずるは奸商跡を

収めて資本家の人情穏なるの徴なりとて掲々自衛〓に相祝

する者なきに非ず經濟家の説に似て經濟に迂なる者の如し

我日本政府は其理財上に於て夙に國民の信を取り國中更に

一片の疑を抱く者なし而して公債証書が時として其價を上

下するは唯商賣の景況に從ひ商用に多分の資金を要するとき

は利足も随て騰貴し國中の通貨、商賣の方に流れ込むが故

に公債の賣賈自から景気を失ふを價を落す明治十三四年の

如きは最も甚しくして七分利の者にて實價六十圓にまで下

りたることあり非常の有樣なり之に反して爾後商況の次第に

沈むに随て公債の價も亦次第に騰貴し遂に今日九十圓以上

の變態を呈したり商況の死生と公債証書の昂低とは正しく

相伴ふ者にして他に何等の原因もなきことと知る可し若しも

其昂低を以て政府の信の厚薄を卜する者とせば明治十三年

の政府には信なくして十七年の政府に信ありと云ふ歟我政

府の其礎斯る不儙なるものに非ず三五年にして信用を厚薄

する者非ざるなり左れば何を以て公債証書のう騰貴を祝す

る乎、或は政府の信不信には縁なしとするも兎に角に幾億

圓の証書が騰貴すれば則ち其所有主の富を増したる譚だに

て之を聞見するにも愉快なりとの説もあらんと雖とも畢竟近

き小事を悦て遼き大事を忘るゝ者たるに過ぎず明治十五年

度内外國債の債高三億四千九百七十七万千百七十六圓の内紙

幣流通高一億五百六十三万八千二百廿八圓と外國債九百三

十万九千八十八圓を引て内國有利無利の公債は二億三千四

百八十二万二千八百六十圓とす此公債証書が尋常の價より

騰貴する三割なれば其差は七千餘万圓にして即ち所有人を

して七千餘万圓の富を増すの思を抱かしめ誠に目出度き次

第なるが如くなれども眼を轉して全國地價の下落を視察し

たらば更に大なるものを發見す可し明治十三年の調査に民

有々税地の〓反別一千六十九万七千四百五十二町歩にして

此地價十六億四千九十八万三千七百三十四圓とあり明治十

五六年の際公債証書の次第に騰貴すると同時に地價賣賈の

價は次第に下落して人の言を聞くは年價にも足らず三分一

にも下りたりと云ふものあれとも其割合を極々寛大に見積り

是れも尋常の賣價より三割下落したりと〓ふに其〓高は五

億圓に近し即ち全國の地主をして五億圓の富を〓したるの

思を抱かしむるものなり公債証書の價騰貴するも利子を収

〓するに多寡あるに非ず地價の價下落するも収税に〓同あ

るに非ず實際の數に變なしと雖とも彼の説者の云ふ如く

兎に角に國民の富を増すとは之を聞見しても愉快なる

のみならず又事實に於ても人の資産の富むに從て自か

ら勇気を生し事を爲すの機會とも爲る可きことなれば

国民の家〓悦ぶの情は我輩も説者と同樣なれとも説者が

〓〓に〓〓〓〓書は騰貴七千万圓の富を悦て地價下落の

〓〓〓〓〓〓〓〓るのは之を稱して數理に明なるものと

云ひ〓し公債証書日々取引所に於て賣賈するが故に

〓権〓〓〓〓〓〓の耳目に明なれとも若しも日本國中の

〓〓〓取引所〓〓〓するものにして兩三年前より其價

〓物價表〓講した〓〓目覺ましき變動を見たることなら

ん唯近きものは明に見えて遠きものは眼光を遁る人事

の凡態なり故に我輩は目下公債證書の騰貴を視ること地

價の下落を視るに異ならず何れも商況不詳の徴として

一日も速に其常態を復せんことを祈るものなり