「往け往けと云はずして来れ来れと云へ」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「往け往けと云はずして来れ来れと云へ」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

往け往けと云はずして来れ来れと云へ

殖産は学問の母なり殖産の道興らざれば學問も亦盛なるを得ずと我輩の常に説く所にして諸君も固より既に了知せらるゝものならん謳米諸國に於て學問の教育甚た盛なるは謳米人が特に學を好むの天性を享けたるに非ず唯其教育を施し又これを蒙るの機會に富むが故のみ彼の國々にては學校を立ればとて必ずしも其一政府のみに依頼して官の成規にのみ其維持を托するに非ず或は富豪の有志者が大に資金を學校に寄附し或は其地方の協議に由て醵金し既に教育の資本を積むときは永年に之を維持すること甚た易し又入學して教育を受る者も貧家の子弟のみに非ず毎年幾十幾百金の受教料を拂ふて苦情を訴へざる者多し之を要するに謳米諸國にては學問教育の爲に國中に金財の運動すること洪大なるものにして之我日本國の教育と云へば必ず政府の一手に依頼し限ある國庫の金を仰て限ある生徒を養ひ學問の區域の甚だ狭きものに比すれば實に同年の談に非ず畢竟彼の國世々の習慣にて學問を重んずるの氣風由て然るものならんとは雖とも其氣風を成したる由縁は國中全体に民の産の豐なるものあるが爲なりと云はざるを得ず

古人の言に衣食足りて禮譲興ると云へり我輩の所謂教育の旨には異なる所もあらんと雖とも都て人民の精神に關する事は先づ其肉体の部分を豐にして然る後に謀る可しとの一點に於ては之を金言として敬服す可きものなり左れば今日の學者に向て其志す所を問へば其身も學を脩め又人にも學を勧め日本國中一人にても學者の數を増加せんことを欲せざる者なし其志は誠に美にして嘉みす可しと雖とも其志を達するの方便に至ては我輩に於て尚遺憾とする所のもの甚だ少なからず盖し國中の學者の數を多くして學問社會を盛ならしめんとするには先づ之が本源たる殖産の道を開て其社會の全般を豐ならしむること至極緊要なりと雖とも今の有志學者に於ては往々此緊要事を度外視するものあるが如し殖産の道甚た艱難なり辛苦甚た多しと雖とも苟も有志者にして之に率先するに非ざれば到底其振起を期す可らず抑も殖産とは國の開闢以來先人の忘れたるもの歟又は中絶して棄たる遺利を拾ふことにして苟も知識に富む者に非ざれば之を發見するの明ある可らず即ち有志學者輩の責任にして又實際に於ても此輩には果して其明あること疑ふ可きに非ず例へば我輩が常に此流の人と語り又或は其住處地方の情況を質問すれば則ち云く地方人民の怠慢甚し某山に何々の利あり其河海に何々の利あり田園未た開けず養讚未た興らず牧畜の如きは日に衰頽を催ふして退歩の姿なり實に吾郷里の如きは海にも山にも遺利のみにして滿地黄金とも云ふ可きはものなれとも唯如何せん人民に敢爲の氣なく忍耐の力なくして今日坐因の惨状に陥る云々との物語りは決して虚を構へたるものに非ず識者の眼中に實に遺利を見るの明あり又其地方人民の無氣力を察するの識ありと雖とも獨り怪しむ可きは此識者が唯他の無氣力を咎るのみにして己れ自から固有の氣力を發するなきの一事なり地方果して遺利ある歟何ぞ自から進て之を拾はざるや其地方の人民果して無智無力なる歟他に智力の乏しきは自から事を爲すに容易にして至極便利なるものなり斯る地方に於て殖産を謀るは無人の郷に無主の物を拾ふに異ならず東亰其他繁劇の地に居り智者と智者と群を成して商に工に絞り盡したる錙銖の利を争ふものに比すれば勞は半にして功は倍するものある可きなり然るを識者の策は此に出てずして徒に他の振はざるを嘆息し其惨状を傍観するのみならず己れも亦時に困窮して之を小にしては一身に不愉快を覺へ之を大にしては學問社會の隆盛を祈るの索志にも背くが如きは無氣力の罪は人に在らずして夫子却て自から之に任す可きものならんのみ

盖し今の有志有識の學者輩が自から奮て事に着手せざるは専ら人を鼓舞するを以て自から任するものならんと雖とも人を鼓舞するとは管絃を囃して舞子を舞はし喇叭を吹て兵士を運動せしむるに異ならず鼓舞固より大切なりと雖とも事柄の要は舞と運動とに在り殖産の法に就て或いは集會を催ふし或は談論に或は演説に何れも鼓舞の術なれとも天下皆鼓舞する人物のみにして鼓舞せらるゝ者なきを如何せん管絃囃立てゝ正に面白しと雖とも檀上舞子を見ず、喇叭音勇壯なりと雖とも一兵の運動する者なし事柄の實体失ふを其要を忘るゝものと云ふ可し斯る事の次第にては今後幾年月を經るも我學問の社會には唯論客のみを生して事業家を出すは覺束なきことならん其隆盛決して期す可らざるなり

學者が實業に就く可きの理由を説くには必ずしも事例を西洋諸國に求るを要せず近く我國の佛法繁昌の趣を見ても其大概を知る可し在昔我佛法の先達が其法を國中に弘むるに當り佛道の利益を説て信者の心を籠絡することに勉めたるは無論なりと雖とも又傍に殖産の道を人に教えて富源を開き啻に之を教るのみならず身躬をか其事に着手し躬から來耜を執て田を耕す者あり或は斧斤を携へて木を伐る者あり宮室の建築も僧侶の計畫に出て道路橋梁の交通も其工風に成り此他茶を培養するの法、菓樹を育するの術等都て人間肉体の利益に關するもの枚擧に遑あらず其實跡は今日國中の名所舊跡なるものを訪ひ人民の口傳に傳る所に照らして着々見る可きもの多し彼の神社佛閣に其の神体佛像は何々上人の作など稱するが如きは誰れ人も知る所にして昔年の佛者は彫刻の事に心を用ひて攅端にも技藝の熟練ありしこと明に証す可し左れば當時の佛者が其弘教爲には單に法を説くのみならず廣く人間の俗事中に立入り自から率先して先づ社會の衣食を豐にするの法を謀り衣食足りて佛教弘まるの主義を取りしや明なり今文明の識者が其信する所の道を國中に分布せんとするの熱心は昔年の佛者が佛法の繁昌を祈るの熱心に異なることなかる可し然は則ち何ぞ自から奮て今日の俗世界に率先せざるや國中に拓く可きの荒蕪地甚た多し漁す可きの河海甚だ廣し桑田培養す可し牧塲開く可し活撥の精神健康の身体を以て年齢は則ち正に壯なり辛苦も苦とするに足らず勞役も勞するを覺へず唯嚴さに進て自から爲にして兼て他に及ぼし平生學び得たる學問の花をして殖産の實を結はしむ可きものなり