「公侯伯子男」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「公侯伯子男」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

公侯伯子男

本日の公報欄内に記載する如く我政府は作七日を以て華族令なるものを定められ自今華族に爵と稱するものを授けらるべしとなり爵を分ちて五等とす公、侯、伯、子、男是なり抑も人民の族籍を區別し爵號を授くるなどの事は文明世界の真理論より觀察して一應不都合なる事の如くに聞ゆれとも其實は必ずしも然らず國の制度社會の組織の何たるを問はず今の文明世界行く處として有爵貴族の人を尊敬せざるはなし盖し人間の交際漸く擴張するに從ひ平生相識の人にあらずして相接するの機會兎角に增加し卒然相遇て互に相識らず差當り其人物身分の如何を知らんとするには先つ其人の容貌を視服飾を視職業を問ひ爵位を問ふ位の處より始むるなるべし尚ほ是よりも數層精密に詮索を下し漸くにして其人の如何を知らんと勉むること適當の順序なれとも人間の交際上斯る精密なる詮索を要し又これを爲すの例は甚た少なく大抵は皆一握手一目禮の挨拶位にして相別るゝものなるが故に斯る匆々の際他人の品價を鑑定し又我品價を鑑定せられんとするには目前の一二物を取て標凖を定むるの外に方便なきなり而して若し爵號又は金銀寶玉の類にして其標凖たるを得るものならんには名前の上に爵位を有し指に玉環を掛け胸に金時計を〓むるなども今の文明世界には隨分有用の事なりと云を敢て不可なかるべきか

日本の公侯伯子男これを英國貴族の爵名に譯すれば「ヂウク」「マーク井ス」「アール」「ヴハイカオント」「バロン」とすべき所なるべし支那にては公侯伯子男とて二千餘年來人の耳目に慣れたる爵名なれとも我日本にては人の尊稱に公又は侯を用ることはあるも伯子男などを用るの例は古來甚た少なきを以て自今此爵號を呼びて聞く人の心裡に自から尊敬の感覺を起さしむるまでには盖し幾多の歳月を要することならん併しながらこれを英語に譯し倫敦駐在の日本公使「ヂウク」何某と云はんには英國人の耳に響くの音甚た高く從四位何某など云ふものゝ響とは其感覺する所决して一樣ならざるべし果して然らば爵號の影響は未たこれを内國に見ざるの前に先づこれを外國に見るの沙汰もあらん

我日本にては明治維新以後新に華族に列せられたる者なきにあらずと雖とも大抵皆其父又は遠祖の勳功を追賞せらるゝの趣意より出てたるものにして本人の勳功を賞し本人在世中本人自から其恩を拜したるの例は極めて少なしこれを西洋の例に照らし又支那の例に照らすも大抵本人在世中の事たるが如し英國の如き今上ヴイクトリヤ」陛下即位以來四十餘年の間新に貴族に列せられたる者既に二百名に近しと云へり今後日本にても西洋の例に倣ひ朝野文武の勳功ある人々に爵を授けて華族に列するの例漸く增加するに於ては國内海外共に日本の貴族に遇ふは决して珍しからす事ともなるべし此際我輩の切に希望する所は苟くも日本の貴族たる人は常に財産に豊かにして其高爵に對する丈けの格式を墜さゞるの一事なり歐洲の俚諺に「日耳曼プリンス公侯」と云ふことありて御者役丁尚ほ且つ公侯の爵を有するの人ありとてこれを憫笑するなり其意を察するに「錢なくて何の己れが貴族かな」と云ふが如き意味ならん甚た無情の語なりと雖とも今の文明世界には是非もなき事として諦めざるべからず今回の華族令最末の條に「華族は其子弟をして相當の敎育を受けしむるの義務を負ふべし」とあり甚た大切なる事柄なり人事の大本は敎育に在り貴族の家の財産をして其爵位に相當せしめ永く其格式を墜さまらしめんとするにも先つ第一の必要は敎育に在るべし華族令十條を通讀し先つ我輩の〓芯する所は特に此一事に在るなり