「銕道工事捗取らず」

last updated: 2019-09-08

このページについて

時事新報に掲載された「銕道工事捗取らず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

銕道工事捗取らず

我政府が中山道銕道高崎大垣間の線路布設を决定し其旨工部省へ達せられたるよし世上に沙汰ありしより以來既に一年に近からんとする今日に於て顧て新線路の工事如何を察するに未た一里の銕道をも落成したるの實跡なく唯時々我輩の耳朶に達するものは内務卿が中山道銕道線路に當る諸縣を巡回したりとか銕道局長が高崎より大垣に大垣より四日市に布設する銕道線路を巡視したりとか云ふ樣の報道のみにして其工事進歩の實際を推察すれば未た精密なる測量の了らざるは勿論線路の向ふ所も木曾路を行かんか天龍川に沿はんかと云ふことさへ未た確定する所なきにてはあらずやと竊かに疑ふ者もあらんかと思はるゝ程の有樣なり工事の現况實に斯の如し然るに退て銕道資金の用意如何と問ふに全資金二千萬圓の内五百萬圓は既に銕道公債證書買受人より過般來漸次に拂入れ去る六月三十日に皆濟と爲りたれば其全額は目下正に大藏省の庫中に堆積しあるならん而して大藏省は此五百萬圓の調達を以て滿足せず引續きて更に叉一千萬圓の銕道公債證書を賣出したるに忽ちにして賣切れ今より一ケ月半を出ずして一千萬圓の全額は叉々其庫中に集積する筈なり實に盛んなる景况と云ふべし斯の如く資金調達の手廻はしよきを見叉其工事の捗取りのこれと併進せざるを見て我輩竊かに憂苦する所なきを得ず盖し此銕道資金は實算一年七分七厘の利足を付して内外人民より借入れたるものなり此資金を工費に使用するとこれを使用せずして庫中に藏め置くとに拘はらず大藏省は約束の通り利足を拂はざるを得ず故に今一千萬以上の大金を空しく庫中に貯藏し置くの費用は一ケ年八十萬以上一ケ月六七萬の金を要するものと知らざるべからず而して此消費金額はこれが爲めに銕道の美を增すにもあらず純益を增加するにもあらず叉公債證書所持人に恩惠を與ふるにもあらずして唯空しく煙と共に消失する純粹の損毛なりと知るべきなり

叉日本銕道會社は東京より靑森に至るまで二百里の銕道を明治十五年より二十一年まで全七ケ年間に布設し了らんとするものにして此程漸く高崎まで二十餘里の線路落成したりと雖ども前途尚ほ甚だ遼遠にして殆んと望洋の歎あるを免かれず唯應さに疾行長歩し日の未た暮れざるに及びて能く其約束を果たすの覺悟あることならんと雖ども其工事捗取り方の實際を顧みれば未た遽かに斯る覺悟の有無如何を明言し難きものなきにあらず盖し高崎線路落成の後次に同會社が着手すべき線路は宇都宮幷に白河に達するものとす然るに目下の現状を見るに未た此線路の工事に着手せざるのみならず其道筋は東京を發して浦和に至り此所より枝別して宇都宮に至るか叉は熊谷より枝別して足利地方を迂回し漸く宇都宮に達するか未た其邊の定議さへもなしとか聞けり線路を定むるに熟議を重子其事を苟くもせざるの精神は甚た嘉すべしと雖ども惜い哉今日は線路議定の時にあらずして工事催促の時なり線路の議定は既に過去の事に屬すべきの時なり今日にして尚ほ未たこれを議定し了らず爲めに空しく工事の進行を中止するが如きことありては會社の不利少なからざるべし我輩叉これを聞くに目下日本鐵道會社の株券引受申込高は六百萬圓計りにして其拂入金を以て工事に使用したるも十分に捌けず追々庫中に集積したる金額既に百萬圓に近づきたりと此事若し事實なりとせんか百萬圓の遊金は决して小額にあらず會社の損益に關する所甚た大なるべし若し果して斯る遊金のあらんには此一事のみにても工事を催促する十分の理由なるべし加之如今世人が日本鐵道會社の株券を熱望するの有様は殆と狂癩に近く之を昨年叉は一昨年の有様に比するに實に天淵の相違なりと稱すべし斯る好景氣は决して年々常に見るべきものと云ふべからず宜しく此機を失はずして今六七百萬乃至一千萬の株金を增發し日夜其工事を催促して既成線路の延長を急ぎ白河を過ぎ福嶋を過ぎ叉仙臺を過ぎ早く靑森の最終停車塲に達するの工風を爲すべきなり我輩は中山道鐵道と云はず日本鐵道と云はず共に資金の供給には不足なきに獨り工事の捗取りに限りて其速力に不足する所あるを見聞し甚た不審に堪えず叉遺憾に堪えず敢て大に當局者の注意を希望する者なり