「機會空しく可らず」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「機會空しく可らず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

機會空しく可らず

國を立るは身を立るに異ならず今、後進の輩が少小の時より學び得たる知能伎〓を以て社會の表面に立身せんとするには先ず其名を人に知らるゝこと大切なり名を知られて而して後に其智愚才不才をも人に評論せらるゝを得べし評論或は當らざるものも多からんと雖も當らざるものあれば當るものも亦ある可し兎に角に世に名を知られずしては其人は即ち無きに等しきものなれば仮令い如何なる能力あるも世評に掛る機を得ずして遂には社會の暗處に〓没す可きのみ是即ち古今の後進輩が名を知らるゝに汲々たる由〓ならん國も亦斯の如し今の世界に於いて歐米の諸國は夙も文明富強の名を成して明著なるが故に其諸國中固より貧富強弱の差等はあれども各其實に稱うだけの名聲をば誤らるゝことなくして云わば一尺の物は一尺の名を取り十貫目の物は十貫目の評を得たるものゝ如し然るに獨り我日本國は開國僅に三十年真に文明の針路に向いたるは維新以來未だ二十年に足らず人に喩えて云えば後進の少年其藝能の如何に論なく世に名を知らるゝ難き者と一般にして仮令い我國人が熱心文明に進て文武の所得あるも世界無數の公衆に於いては我文明の程度を評論するものなきのみか甚しきは日本國の名さえ知らざる者多し即ち我文明の實は一尺にして一尺の名を空うし、十貫目にして十貫目の評を得ず名實相對して名を失い實を誤らるゝものにして我輩の常に遺憾に堪えざる所なり然り而して人の名を知らるゝ機は文武の功名兩様に在りと雖も武功は最も世人の耳目に〓るゝこと速にして其心情に感ずることも深し例えば學者が幽窓孤燈の下に沈思する勞は實に削骨の苦痛にして其功績も亦甚だ大なるもの多しと雖も如何せん大抵皆目下の人事に直接せざる功績にして社會多數の人は之に心を留るものなし其反對に於いて武邊の功名は大に趣を異にし一〓將一平卒が〓に馬を走らん險を〓えたる働にても大に世間の喝采を得て名聲を發揚するを常とす國も亦斯の如し今一國の名聲を發揚せんとするに其方便は文を以てするよりも武を以てする活〓なるに若かざること明白ならん日耳曼が獨逸の一小侯國より起りて目下歐洲に恰も政治交際の權を専にするも唯其武力に由るのみ〓〓が北隅に僻在して歐亞二洲に雄〓するを得るも恃む所は唯武力あるのみとのことは善く人の知る所ならん又歐米諸國を一体として常に亞細亞に對して先鞭を着け東洋人は常に第二流の地歩に位するも其近因は東西武力の強弱と其威名の輕重とに在るものと云わざるを得ざるなり

左れば今回は東洋の不幸として佛清の葛藤を生じたり即ち西洋人が東洋諸國に對して其武を〓かす時なれば此特に當て我日本國は如何す可きや我れは初めより此葛藤に關する者に非ずと雖も地理より見て東洋國の名は免れざるものなれば西洋人が東に向いて〓かす其武威の光に照らされて黙々退縮し尋常一様東洋國の名を甘受す可きや甚だ悦ばしからず、我輩固より戰爭の不幸不祥を好むものに非ざれども仮に爰に想像を書き今回の事變最初より我國に關係ありしものとして〓事の破裂に及び止むを得ずして支那に與みする〓、又佛蘭西に與みする〓、両様孰れかの地位に立つものとせんに日本の兵が清兵と與に佛兵に立向いたらば其勇武伎〓固より清兵に十倍して佛兵を〓む可きや論を俟たず或は佛軍と並び進て清兵を伐たん〓我軍律の整〓兵士の勇猛毫も佛人に讓る所なきのみならず〓險決死の士氣に至ては必ず其右に出てゝ目覺ましき働を呈することならん即ち我武力を世界中の耳目に披露して我名聲を發揚し日本の地理こそ東洋に在れ其人は則ち東洋人に非ずとて西洋諸國の人をして東洋自ら國あり、與みし易からず、憚る可しとの事實を發明せしむる機會ならん〓と思えども是れは唯一塲の想像〓書にして實際にある可き事柄に非ず又國の安寧の爲に最も忌む可き事柄にして我輩は斯る不幸不祥の我國に降來らざるをこそ祝するものなれば今日の要用に於いて實地戰爭の事は深く之を〓て飽くまでも局外中立を守る可しと雖も此中立を守るに就いて我海軍は既に英米其〓與國の聯合艦隊に列を爲したるが故に此聯合中に在て一際目立つ程の活動を演ずるは實に千載一遇の好機會なる可しと信ず言少しく婦女子の痴に似たれども辛苦衣裳を作りて家計の許す限りは華美を盡し、領數を多くし、平時の〓浴紅粉の粧を怠らざりしは何の爲なるや春晴の觀花、秋夜の盛宴、晴れの會席に秀麗〓〓を誇り衆人の耳目必情を〓〓せんとするものより外ならず左れば今度局外の諸文明國が國民保護の目的を以て組織したる聯合艦隊の一擧こそ我海軍の爲には春晴の觀花、昨秋の盛宴なれば海軍の將士は平生の伎〓を逞うして活〓の働を呈し唯僅に其艦隊に加入するのみならず隊中自から著名なる部分を占め同列與國の人をして滿足せしめんこと我輩の痴心これを冀望して自ら禁ずる能わず或は軍艦の繰合せ水兵の數に於いて都合もあらば陸軍兵を用いるも至極適當の事ならん兎にも角にも武事を以て國の名聲を揚げ西洋文明國の人をして日本國あるを知らしめ、日本に海陸軍あるを知らしめ、日本に軍律あるを知らしめ、日本の將校に智略あり海軍兵士に藝能あり〓〓あるを知らしめ、日本は東洋に在て東洋國に非ず一種特別の新西洋國なりとの實を知らしめ、我帝國は永く東洋列國の名籍を脱して西洋諸國と進退を與にし共に文明の利益を利して文明の幸福を享げ治にも乱にも文明開進の方向を決定するは今の一擧に在りとして疑う可らざるなり