「攻防の軍畧」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「攻防の軍畧」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

攻防の軍畧

佛國の支那艦隊は去月二十三日の一戰を以て福州府外なる馬尾の舶政局を微塵に撃毀て同地を警護したる支那砲艦八艘を撃沈め又閩江河畔の砲臺を毀滅して水師提督「クルベー」は其艦隊を率ゐて同地を去り何方へ向ひたるを知らずとは我輩が既に去る三十日の號外紙上を以て讀者に報道したる所なり我輩は最初佛艦が福州を砲撃したる報知を聞き扨は佛軍は勝に乗して直ちに福州府に攻入り其地を略して運動の中心とするの目的なるべしと思ひたるに按に相違、唯其府外の砲臺を毀滅せしのみにて敢て城下に進入せず匇々軍艦を率ゐて退去したるは抑如何なる事情に因りしや支那兵の力強盛にして佛艦は勢久しく其地に留まること能はず巳を得ずして退去したりと云はんか此説も未た實際を穿ちたるものなりと思はれざる故は若し支那兵の力強盛にして佛艦の退去を促すに足る程ならんには獨り福州府城の備を嚴にするのみならず馬尾以東閩江沿岸の砲臺に大兵を配置し険要を扼して佛艦の歸路を絶つの策に出てしなるべし若し支那軍にして此策を用ゐば佛艦は進んでは福州城下に迫ること能はず退ては支那の砲臺を過きて海口に出づること能はず進退維に谷まり自から敗滅を取るに至るべし是れ支那軍の爲めには倔強の軍略なりと謂ふ可きに其策此に出てずして、あたら天険の地にも充分なる守兵を置かず佛艦か悠々と無人の境を徃くが如くに此等の地を過きて退去するに任せたるを見れば支那軍の力は決して強盛ならざることを知るべし試に我輩の臆測する所を述ふれば佛艦が福州を退去したるは支那兵の強盛なるが爲めに非ずして佛軍が陸兵を有せざるに因ることならんか盖し閩江は水淺くして巨艦大舶は馬尾を過きて西上すること能はず而して馬尾より福州城下に至るまでは凡九英里内外の距離ありと云へば佛軍にして福州を取らんと欲せば直ちに軍艦を以て福州に迫ること能はず必ずや兵を陸地に上けて陸路より府城に攻入るを必要とするならん然れども佛軍陸戰を以て支那軍と抗争せんと欲せば設令何程に衰弱なる支那にても目下六萬の兵を有すと聲言する福州を陥れん爲めには少なくも萬以上の陸軍を要することならん然るに佛軍は今日に於て萬の兵なし或は二三千も覺束なし〓〓兵を以て陸路より福州に攻入るも徒に敗滅て取るに足るのみなれば此等の事情を考へて一先つ無事に其兵を引揚けたるならんかと思はるゝなり

佛軍が福州を退去したる理由は兎も角も既に退去したる上は此後如何なる方角に向はんとするか或は北上して舟山を襲ひ鎮江に據り芝〓を侵し又は直ちに渤海に進入して太沽天津の要衝を衝かんとするか或は然らずして兵艦を率ゐて遥に南方に奔り〓く福州廣東等を攻撃し又は浙江福建の近〓に〓〓るを船用の〓〓し攻撃するに至るか若し佛軍の擧動〓〓〓〓〓く北上して〓道の〓〓を〓ひ若しくは直ちに渤海に進入するが如きことあらば是れ其目的とする所は直ちに北京に攻入るに在るものにして佛國は正に藩鞭象臀を筈つの〓作を棄て直ちに前面に廻りて一擧を其頭部に加へんとするに在るや窺見る可し又之に反し其艦首を北にせずして閩浙兩廣の近海に出沒し時に沿岸の海港を砲撃して然も敢て進て其地を奪ふことをも爲さず更に退て海上に屯し又出てゝ其他の港口を砲撃すること恰も雞籠福州に於けるが如くならんには是れ佛國の目的は急に清國に打勝ちて功を一事に収めんとするに非ずして唯時々之に些少の難澁を興へ久しきを經て止まざるの間に他をして煩悶に堪へずして其求むる所に從はしめんと欲する者にして其趣を形容すれば恰も都會の惡少年が或る富豪の老爺に意趣を持掛け老爺が其求めて聽かりざりしとて暗夜に乗して窃に裏手の方より石を其家に投込み明日は又來りて窓を破り垣根を倒し其明日は又庭園の樹木を引抜くなど此手段にて六七日も乱暴を働くときは頑固なる老爺〓遂には之に避易して己むを得ず其請求を許すか如く遂には清國政府も佛國の要求に應するに至るべしとの胸算に出つるものならん佛國か此二策の孰れを取るは今日に於て未た明言すること能はずと雖ども佛軍か今後の方向は大凡此二策の一に出つることならん

佛軍の軍略は大凡右の二途なりとすれば一方に於て清國が之に應するの策は將に何れに出てんとするか佛軍長驅して渤海に入り進んて太沽天津を衝かは清國は力を極めて之を防き其地を攻略さるゝまでは一歩を退かざるの決心なるべけれども若し佛軍の擧動此に出てずして第二策に出て都會の惡少年を學びて清國を困しめんと欲せば清國は之に對して如何なる防禦の政略を施すべきか若し清國か從來得意の手段を以て其精鋭を竭くして北京を守り佛軍台湾を取らば之を與へ福州を取らば亦之を與へ四邊の彊域悉く佛軍の侵掠する所となるも苟も北京さへ無事ならば可なりとて一切佛軍の侵略を介意せざる如きあらんには佛國に取りては甚た手持無沙汰なる次第にして之を譬へば清国の政略は彼富豪の老爺が惡少年の乱暴に遇ひ窓戸を破られ樹木を引抜かるゝも會て之に頓着せず勝手次第に乱暴を働かせ暴人らが己れの居室に踏込み直接に其頭を打ち面に唾する迄は斷して其要求に應ずることなかる可しと決心したるに異ならず惡少年等の目的は初より窓戸を破るにあらず樹木を引抜くにあらず唯此等の乱暴を加へて主翁を苦しめ斯くて其求むる所を滿足せんと欲するに在れども主翁の擧動案外に出て敢て此等の手段を以て其心膽を〓〓せしむるに足らず去り迚空擧を揮って衆人の居室に闖入するも聊か恐るゝ所ありとすれば惡少年等の計策も此に少しく窮せざるを得ずされば佛軍にして第二策に出つるときは清國は或は此手段を用ゐて之に應せんも知る可らずと雖ども清國にして果して此策に出てば凡そ幾許の〓〓の〓此政略を維持するを得べきや清國の輿論が果して此政略〓〓〓〓〓〓〓の所爲に任せるには清國政府は長く此政略を持張りて佛軍を苦むるを得べんと〓ども我輩の所見を以てすれうば攘夷家主戰黨の充滿する清國に於て其政府が斯かる悠々緩々たる政畧を取るを見て國人は黙して其所為に任すべしてとは思はれず今後若し佛軍が沿海の一二港を奪據するが如きことあらば政府の中にも〓〓の不埒を咎むるの説起り言官等は忽ち當路者の失擧を彈劾する抔混雑の最中に民間に在る不逞の輩は隙に乗して所在に〓集し陽に攘夷を名として陰には革命を企つるものあるに至り終には清廷も内外の憂患に迫られて巳を得ず佛國之要求を聽くが如きことはあるまじきや譬へば頑固なる老爺が何程に惡少年の亂暴に介意せざるも家内の細君や番當等が主人の所為に不滿を抱き細君は日夜主翁の失〓を咎め番當は混雑に乗して竊かに主人の金を取込み何處へか出奔する抔の騒きに遇はゞ遂には厭なからも惡少年の要求を許して内外の安堵を謀るの策に出つるが如し左れば清國今日の有樣にては此策も充分なる結果を奏することは覺束なきが如し我輩が今日に於て佛清両國の攻守政略に關して想像する所は大凡右の如し兎に角に今回佛艦が福州を去りたる後の運動如何を見たる上は佛國の軍略の在る所を知るべく又随て清國が之に應する政略の方角をも窺ひ知ることを得べし我輩は讀者諸君と共に後〓の至るを以て今後の成行を占はんと欲するなり