「黒船打ち拂ひ」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「黒船打ち拂ひ」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

黒船打ち拂ひ

昨日上海の電報に據れば去る七日福州?江の白砲臺より英國軍艦を砲撃し英艦の負傷者四名ありたりと云ふ支那人の愚鈍なる西洋各國の區別を知らず其旗章の異同をも識別するの明なきや目下佛人に對して困難至極の其際に又英艦を砲撃して新に強敵を求め益其敗滅の期を速かにす實に愚鈍無謀の甚しきものなれども我輩は其愚を評するの段をば既に通り過きて爰に支那人のために聊か憐む可きの情なきに非ず彼れ甚た愚なり、其愚は固より其人の罪なりと雖ども此愚民をして愚を呈せしめたる原因の一半は西洋人の平生に在て存すと云はざるを得ず言少しく冗長に属すれども我日本國の舊事を記せんに今を去ること二十二年文久三癸亥年英國の軍艦隊が横濱海に闖入して我徳川政府に十萬「ポント」の償金を要し尚鹿兒島藩に向て二萬五千「ポント」を要求するとて一時の騒擾を致したることあり盖し其次第は前年鹿兒島の侯族島津久光君東海道の川崎と神奈川との間通行の節生麥に於て英國人「リチアルドソン」が其行列を横きりたるを君の從者が之を制止せんとして聽かず遂に之を其塲に切捨たるより起りたる事變にして英國政府は罪を日本政府に歸し兵力以て金を要めたることなり之を生麥の事件と云ふ此談判年の二月より始まり徳川政府が金を與へたるは五月の事にして其間に和議の破れんとしたるは幾回なるを知る可らず日本に取りては實に大切なる塲合にして朝野共に安からぬ思を爲す其最中に當時横濱在留佛國公使「リュセン、デ、ベレクル」なる者は公書を日本政府に呈し今回英國より償金要求の〓は其〓固より英の方に在りて日本政府の曲者たること〓〓〓れす故に若しも貴國政府が英の要求を拒むに於ては英艦は直に江戸海に進み市街を砲撃して灰燼と爲す可きは無論我佛國に於ても幸ひ横濱港に軍艦の碇泊するものあれば英艦隊に應援し佛國の旗章を江戸横濱の海上に飜かへして由々しき働を示す可し云々の次第にて徳川政府は其時海陸の軍備も今日の如くならず甚た手薄にして英艦のみを相手にしても當惑の折柄これに加るに佛艦の加勢を以てするとは扨々困ること哉とて大に恐を抱きたることあり今にして考れば生麥の事件は唯日本と英國との事にして固より佛人の關する所に非ず然るに佛公使が唐突にも英国の申條に左袒して然かも自國の軍艦を英艦に聯合して日本首府の海陸に荒れ廻はらんと云ふが如きは乱暴無状の甚しきものにして當時佛國は帝政にして第三世「ナポレオン」の在位中なりしが其後に至り内情を聞けば佛公使は必ずしも本國政府より訓令を受けたるにも非ず唯其出張先きの取計ひにて斯く日本政府に云へば政府は困ることならん、日本政府の困却は英政府の得意にして在日本の同僚英公使も必ず滿足ならん即ち交際の方便なりとて萬國公法などは反故同樣にして心頭にも掛けず私の附合のために國の交際を弄びたるものなりと云ふ今日なれば日本人も既に外交の事情に通し斯る塲合に臨て百の佛公使あるも其虚喝に驚くことなしと雖ども文久の昔し外情に暗き我國人の眼中には唯外國あるのみにして英米佛の區別さへ不分明なる其際に英人が日本に敵すると同時に佛人も亦たこれに加勢と云へば益西洋各國の區分を混雑して一樣に之を敵とし同穴狐狸とするも決して謂れなきに非ず獨り我れより之を同穴狐狸視するに非ず彼れより殊更に同穴の觀を示すものなればなり

左れば今回支那人が?江に於て英艦を砲撃したるも其英艦たるを知らざるに非ず或は之を知らさる者ありとするも之を知る者も亦ありしならん既に其英艦たるを知り今日に限りて英人に怨あるにも非ざれども支那人の眼中には唯西洋の同穴狐狸あるのみにして又英佛の區別ある可らず去年來の葛藤は佛と清との葛藤なれども支那人全般の所見にては西洋と大清との葛藤にして佛に敵するは即ち西洋に敵するの覺悟なるが故に曩に先つ佛艦と戰て敗したり即ち西洋艦と戰て敗したれば復讐にも亦西洋艦を砲撃すること當然の次第なり如何となれば多年來西洋各國人が支那に來りて事を爲すの状を見るに名は英人と云ひ又佛人獨人と稱して日常の細事目に於ては其利害を異にするが如くなれども事の大切に臨ては各國の擧動正しく同一轍に出て英は佛を助け、佛は獨を助け、此の悦はざる所は彼も亦不平を鳴らす等何樣に之を視察するも問一類の人にして同穴利害を共にするの狐狸と斷定せざるを得ず故に今度國皇より佛人攘斥の大命降ると同時に全國の人民は之を攘夷の嚴命と心得血氣の少年と固陋の老朽とに區別なく所在一時に蜂起して制す可らざるの勢に至りしことならん輕擧暴動笑ふ可きに似たれども其外交の平生より推考して人心の〓さに傾向す可き勢を察すれば決して怪しむ可きに非ず西洋人も亦其一半の責に任せざる可くざるなり

然りと雖ども今日の實際に於ては前言は單に支那人の爲に愚痴を陳るに過きず事の原因は兎も角も目下の實際、手を出して砲撃したる者は支那人にして砲撃せられたる者は英艦なり支那人は致害者にして英人は被害者なり此ぞ萬國公法の大切なる塲合にして英國人は必ず正々堂々公法の大主義を押立て支那に向て問ふ所のものある可し支那政府は只管これに詫入りて英人の言ふがまゝに從ふ歟或は然らざれば英艦も佛艦隊に聯合し渤海を荒れ廻はりて天津に入り北京を灰燼にするなどの談判を開くこと前年佛公使が日本政府に公書を呈したる時の筆法に傚ふも知る可らず萬國公法の正理重しと云ふ可し二十年前佛公使の眼には反故同樣たりしものが今日は英人の手に在て泰山より重し萬國公法も亦不〓手の藥に等しきもの歟

筆を閣するに臨み又電報を得たり云く金皮島の砲臺より英國砲艦「ゼフヒヤ」號に發砲し士官一名兵卒數名に重傷を負はし又支那の兵卒は羅星塔碇泊所の外國人居留舘を犯し各國人誰れ彼れの區別なく之を刧掠したりと此樣子を見れば支那人の敵とする所は佛人の外更に苟も洋鬼の一類とあれば何等の見界もなし一切これを攘ふの趣意ならん