「攻むる者防く者」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「攻むる者防く者」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

攻むる者防く者

昨日の紙上に本社特派通信員が去十四日上海より發したるの電報を載て佛國政府は鋭意進撃に決心せる由の風説盛んなる際、福州より達したる確報に由れば水師提督「クルベー」氏は本國政府の指揮に依り清國沿岸隨意の塲所に向て攻撃占據の自由を得たりとの旨を報したりしが抑も此一報は「クルベー」提督に支那一面到る處隨意攻撃の自由全權を任せ實に佛國艦隊の運動に重大の關係を有する者にして今日以後提督は何處に向ふべきや又佛國艦隊は何處を砲撃すべきや愈々その攻撃の結果の來電ある迄は苟も佛清事件に注目する人とあれば必ず佛國の如何なる機變に出つべきやを察して種々の臆測説亦隨て生出するに相違無からん盖し時事の變動は今日に居て明日を測り知る可らざる者の中にも今回の變の如きは取分け軍機兵略の秘に渉りて瞬息の間にも猶如何なる成行に立至るべきや咫尺の先きは眞の暗黒にして人知預めこれを察すること難しと雖ども兎に角に佛清交戰の一局、「クルベー」提督砲撃の向ふ所は殆んと滿世界の人の口頭に上るべき重大の話柄且つ事件にして二人以上相會すれば談必ずこれに及はざるは無かるべく人も我も同じく臆測の見を下すのみなれども其臆測中には亦自から實に近きあり虚に似たるありて之に一刀両斷の裁決を下すは難事なれども到底今日以後の事を言はんとすれば談乃ち臆測推量たるに遇くべからざるが故に我輩は提督が右重大の全權を得たる今日只今、人も我も注目するその將來の軍略に關して聊か所見の臆測論を開陳し以て二三の推量を下さんと欲す左れど測り難き今日に在て測り難き軍略の機を言ふ明日以後言の當否は姑く閣を論せざることとなしさて所見を述べんに抑も彼の佛國艦隊が去月廿三日福州の砲撃以降は世間にても種々の臆測説ありて提督の軍略多分は北上して三色旗を渤海湾の濱に輝すならんと推量する人あれば又は南下して廣東邊を衝くに相違無からんと預言する者もあり孰れにしても佛國艦隊が永く一つ處にのみ其鋒を向けて他の策を顧みざるの謂はれもあるまじ特に支那一面、隨意攻撃の全權を得たる「クルベー」提督の軍略のことなれば北上南下の説亦甚だ理由なきに非ずと雖ども先つ首として北の方北京を衝くとせんか左るにても清國北門の固めは太沽あり天津あり其灣口遠淺にして暗沙あるが上に天津以北には白河(即ち百に一を?く九十九曲折の險所とか云へる難所なる由)ありて其岸上リ口の守備亦頗る嚴を盡し加ふるに遼東灣の邊には北洋水師の艦隊ありて其力或は薄弱なるべしと雖ども又決して佛國の侮り得べき者には非ずと思はる且つ一方より佛國艦隊の力を按するも最初福州砲撃の際には艦數僅か十二艘にして其後二艘駛せ加はり十四艘となりし由なるが此十四艘の一艦隊以て渤海湾に乗入り北京の要喉を衝くに足らさるは單に數に照しても明かなるべし又目下東京及び支那海に在る佛國總軍艦の數は甚た詳かならずと雖ども或る海軍の事に注視する人達の言に從へば戰用に供すべき佛國の東洋艦隊は二十餘艘にして是とても悉皆は倔強一刀の戦艦に非ざるべしとのことなり若し此概算をして佛艦目下の大數に差ふなしとせは「クルベー」提督如何に勇なりと雖ども兵機に富む老將の事なるべければ能く支那の虚實を探り形勢を視て輕卒の運動を爲さゞるや必せり尤も佛清の交戦倍々急に赴かば佛の本國政府に於ても今の如き孤弱の東洋艦隊をその儘に捨置くべき筈無ければ必ず大軍を出し艦隊を増遣すべく其時には大擧して一意天津を衝くこともあるべしと雖ども目下十四五艘乃至二十餘艘の艦隊なる間は到底佛軍が北上の策に出つるなからんと臆測するも事の相面に於て亦大差あらざるべきなり然らは佛艦は北上の企を見合せ其船首を南にして廣東邊を衝きたらば功を收むることも容易なりと云はんか收功の易きは如何にも其言の如くなるべしとするも支那大帝国が僅かに極南地方の數小土壌を陥ゐれたりとて佛軍長驅直に北京首府の安危を劫すべきに非ざるは萬々の理なるが故に南下の一策以て清國を窘ましむるに足らざるは必定なり其喉を〓まんか支那帝國の牙鋭くして叨に近つき難し其臀を打たんか象大の邦土僅か此れ式の痛みを感せざるを如何せんや左れば北上の作は佛國の甚だ求むる所ならんなれども其力足らず南下の略は力餘りあるべきも功少しとせば此両説は事實に遠き臆説として爰に甚た多分らしき一説は佛國艦隊が常に何處とも預めその向ふ所を知らせずして忽ち天津に忽ち廣東に忽ち廈門、寧波に凡そ船の近つき得る岸地には乍出乍沒の攻撃を爲して支那の兵師を奔命に疲れしめ清軍南を固むれば佛艦突然として北を攻め北に向て清軍來るときは又去て南に向ひ支那をして其所措の度を失はせ兵卒は奔走に疲困して將帥は謀略の呼吸を誤り轉た相困惑を極むるの際には虚ありて以て乗すべし佛國がその功を收むるの捷徑妙法は唯支那の海岸を處撰りせずに荒し廻り〓現出沒瞬息の間に機變を究め支那の兵師をして既に奔命の一事に疲れて斃れしむるに在ること〓〓の〓と雖ども尚以て及ぶ可らずとせば「クルベー」提督が隨意攻撃の全權を得たるを幸ひ其艦隊を率ゐて只管沿岸を荒し廻るの勝算に出てんも亦知る可らざるなりと云ふに在り

右は理に於て甚だ申條ある臆測説なりとして就てこれを熟察したるに我輩は折角の好軍略も又その用を爲さゞるならんかと大に之に疑を存せざる能はざるを發見したり即ちその仔細とは佛國が支那を奔命に疲らすの策略妙は妙なれども肝腎の支那兵師はその實、奔命に勞することなく勝敗ともに依然として攪乱するあらざれば佛國の勝算爲めに齟齬せざるを得ざる一時是なり全体支那の兵師は多くは土着の徒にして尤も稀れには地を換え鎭を移すもあり例へば彭玉麟が江南にて練りたる水師とか左宗棠が引率する湘勇とか云ふの類は手兵にして其將と與に遠く相從ふことなるべしと雖ども他は各省に於て各省の兵となり而して佛清交戰の以前には兵師の送遣に洋上汽船の便ありしも今は其途も塞がり加ふるに陸には兵師送遣の要具たる鉄道もなくして既に命に奔るべき道少きが上に佛軍の東西出沒愈々神機なれば神機なるほどに支那は唯益々茫然たる許にして奔るを命する者もなく又命に奔る者もなく所在の兵を以て所在に防戰し隨て敗れては又戰ひ、殺されては又防ぎ佛艦の攻撃は如何に猛威を極むるも又殺伐を盡すとも北京の政府は泰然として數千里の内地に安坐し交戰の沿岸その災は慘毒ならん出陣の百姓共の苦みも如何許りならんかなれども全輿地圖九十萬方里の大帝國に取れば尺寸の地惜むに足らず総人口三億七千餘萬あり所在の戰役に數百人を失ふも隨て募れば隨て兵帥を得、奔命の勞なく坐して佛人を待たば佛人は最初の勝算に齟齬して遂には自から其手の引處なきに苦むことなしとは云ひ難し左すれば佛國が支那を奔命に疲らすの一策妙なるに似て其實は支那軍奔命に勞なく特に佛軍が各處随意に荒し廻るにもせよ適地を荒すは中々の難事にして特に盛京の北、廣東の南沿岸幾數千里の地何處とも定めずに荒し廻るべき筈もなければ「クルベー」提督の胸算必ず此處ぞと思ふ一個狙ひ處の在るあるに相違なからん尤も軍略の機佛艦故さらにその成行を晦まし清國をして端倪し得ざらしむるの策に出るは勿論なれども我輩の臆測以て之を判すれば提督の狙ひ處とは必ず福建省近傍一帯の地方に在て存するならんかと思はるゝなり(未完)