「宣戰の利と不利と」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「宣戰の利と不利と」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

宣戰の利と不利と

佛清兩國の間には公然和親の交りを絶ち両國の公使は各國旗を巻て其駐在國を退去し臺灣に福州に両國軍艦砲臺の間に公然砲火を交へ清國皇帝は嚴重なる上諭を發して佛國と開戰の旨を支那全國人民に告知し諸省の總督巡撫に命して入寇の佛艦を打拂はしめ劉永福を提督の顯職に任して東京に出征せしむる等只管戰〓に汲々たれば一方にて佛國の郵船は上海への航路を廢して捕獲を避け軍艦は鷄籠港を守りて石炭を奪ふの用意頻りなる等両國の間は儀式上に於ても事実上に於ても目下正に交戰中なること明々白々一點の疑を容るゝの餘地なきなり然るに此際唯甚だ恠むべきは佛國政府よりも清國政府よりも其與國政府に向て絶て宣戰の沙汰なきの一事なり其理由原因果して如何

佛國政府が與國に向て宣戰の事なきは其意の在る所或はこれを推知するを得べし佛國にして一旦開戰の事を披露せんか英國日本米國魯國を始め東西の各與國は止むを得ず局外中立を布告して中立國の義務を守らざるを得ず此時に至れば佛國軍艦が福州の港内にて清國軍艦のために傷けられ辛うして香港に逃げ來りて修繕を加へ糧食を用意し再び福州或は臺灣に向はんとするとも英國政府はこれを承諾せざるべし又福州の一戰に佛國軍艦は大に彈藥を消耗し又石炭の貯も十分ならざるを以て舵を轉して長崎に來り十分此等の諸品を用意したる上更に天津攻撃のために渤海に進航せんとするも日本政府はこれを承諾せざるべし果して斯る塲合に臨むときは佛國軍艦は止むを得ず遠く海防又は柴棍等の地方に到りて彈藥石炭を積入れ破損を修繕するの不便あるべし香港長崎等近便の地方にて隨意諸用を達し得るの今日と比較して其便不便固より同日の論にあらざるなり然らば則ち佛國政府が止むを得ざるの時機に推移らざる以上決して開戰の事を宣告せずと覺悟したるは實に當然の事にして恠むに足らざるなり

然るに支那政府の地位は佛國に反し與國政府が局外中立を布告し中立國の義務を守ればとて決して爲めに不便を感する者にあらず盖し支那人にして戰争中兵器彈藥を米國より輸入し香港長崎等に來りて軍艦を修繕し石炭を積入るゝ等は固より其欲する所なるべしと雖ども如何せん海軍の勢力極めて薄弱にして迚も佛國の海軍に敵するに足らず?に兵器を輸入せんとし石炭を買入れんとし洋中を徃來する樣のことあれば忽ち佛艦の捕獲する所と爲り船舶貨物を併せて徒に佛國人の腹を肥すの結果あらん左すれば仮令ひ國境の外に買入るべき兵器あり石炭あり使用すべき造船所ありとするも支那海軍に於てこれを買入れこれを使用するの力なき以上は有るも猶ほ無きと一般なり支那は今回の戰争に於て唯國内に蟄居して敵の來襲に應するのみのものなれば戰争中海外の諸國が局外中立を爲すも爲さゞるも其實際の便利は同一なるべし然れども海外の諸國に於て果して中立を布告し其義務を嚴守することあらんか支那が間接に享有するの利益は實に云ふべからざるものあらん則ち香港長崎等が局外中立の港と爲りたるがために佛國が感する丈けの不便利は取りも直さず支那の便利なればなり此は一利を得て彼は一利を失ふ其勝敗の大局上に關係する所決して輕少ならざるべし果して然らば清國政府は何が故に與國政府に開戰を通知して中立國の義務を嚴守せしめ佛國東洋艦隊をして支那海中身を容るゝの地なからしむるの工風を爲さゞるや爲さゞるべからざるの事にして決してこれを爲さず我輩は其意の在る所を知る能はざるなり清國政府は言ふ今回の戰争たるや我よりこれを求めたるにあらず佛國人の無法なる人と理を言はずして妄りに我海港を砲撃す我れ止むを得ずこれに應戰するのみ故に宣戰の事の如きも亦砲撃の例の如く先つ彼れより始むべし我れよりこれを先んずべからずと是れ將た何の言ふや苟くも物の道理を辨へ我利害損益の在る所を知る者ならんには斯る説を爲すを愧るは勿論なるべし敵人來りて我れを攻め武器糧食の不足するあれば直ちに他に就てこれを購ひ又來りて我れを攻む我れは唯袖手其爲すまゝに一任して坐して自から斃るゝを待たんとす其愚驚くに堪えたりと云ふべし左ればにや佛國軍艦にして福州の戰に破損したるものは皆香港に到りて悠々修繕を加へ再び台灣に向て軍事に從ひつゝあるなり香港の太守は本國外務卿の訓令を奉して外國就役條例の執行を布達しながら未だ交戰國の何れの方よりも開戰の通知なく隨て英國政府も局外中立の布告を爲さゞるが故にてもあるか眼前女皇陛下の領内にて支那攻撃のため佛國軍艦を艤装する者あるもこれに對して一言の異存を言ふこと能はざるなり

清國政府は能く爲すことあるものにあらず友とするも恃むに足らず敵とするも畏るゝに足らず腐敗糜燗したる鈍翁痴女の府なりとは兼てより人も我れも熟知する所の事實にして何樣法外の事件現はれ來るとも決してこれを恠まじこれに驚かじと豫め覺悟するの所ありとは雖ども支那人に爲す所餘りに法外なる事のあるがために我輩は本意ならずも時に一驚を喫せしめられて空しく悔恨するの例甚た少からす遇般清國皇帝が勅命を發して今日に當り敢て和を言ふ者は斬らんと嚴命し同時に六名の總理衙門大臣に免職申付けたるが如きも我輩これを聞て思へらく扨ては清廷も彌よ戰議に決したるよな此上は第一着に與國政府に向て公然宣戰の事ある可し隨て與國政府は局外中立を布告すべし次に斯の如くすべし斯の如くすべしとて聊か考る所もありたるに何ぞ〓らん是亦例の支那流の勅命免職ならんとは爾來既に半箇月の日子を閲すれども一風吹かず一雨降らず依然たる舊時の青天白日なり知らず今の清國政府は此青天白日を今より以後何程の間能く享有し得べきや其期盖し甚た短かゝるべし亦愍れむべきかな