「佛清孰れか是耶非耶」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「佛清孰れか是耶非耶」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

佛清孰れか是耶非耶

歐洲各國の人民は最初より人種を共にし宗教を共にし政治法律風俗慣習等も大半同一にして加ふるに近來蒸氣電氣の用法非常に發達せしより各國の間の交通は大に其便利を増し隨て一國と他國との間柄も次第に親密に近つき幾多の列國は將に漸く集合して一大家族を成さんとするの勢あれば平常無事の日に於て國々の交際に偏頗不正の所行少なきは勿論一朝其間に〓隙を開きて互に干戈を以て曲直を爭ふに至ることあるも其爭論の發端を尋ぬれば双方共に多少道理上の申分ありて其一方が他の一方に對して全く無理非道なる申出を爲すが如きは今日に於て極めて少なく且つ既に兵を交るに至りても交戰兩國の人民は敵同士とは云ふものゝ互に同類の感を爲し兵戈を執て雌雄を爭ふ中にも幾分か互に遠慮する所ありて敵國なりとて敢て法外の取扱を爲すこと少なきに似たりと雖ども其歐洲人が自家を去て外に對するの間柄を察するときは大に内の事情に異なる所のものあるを發見す可し尤も平時に於ては東西の交際に一種變則の關係あるも左まで世間の耳目に觸るゝことなしと雖ども一旦其交際に阻隔を生するときは平生隱伏して世上に暴露せざるものも忽ち正体を現はして徃々世人を驚かしむることあり今回の佛清事件の如きは其最も著明なる者なりと謂ふ可し

抑佛清兩國初度の交渉は東京事件にして其顛末を略述すれば佛國は千八百六十一年に於て交趾を押領してより次第に東方の土地を侵略して一昨年に至りては既に東京に攻め入り同地方に漂泊する黒旗兵と交戰するの際清國は安南を中國の屬邦なりと認め法人の侵略を〓にす可らずとて公然敢て佛國に〓して之を爭はずと雖ども〓〓〓〓〓〓〓黒旗兵に應援したるに付き佛國にては既に順化府を陥れ山西北〓等の要鎮を撃破り充分に東京地方を征服したる後清國に向ひて清國が故なく黒旗兵を援けて佛軍に抵抗したるの罪を責め六百万磅の償金を拂ふべしとの掛合に及びたるに如何なる次第なりしか其後天津の條約に於て償金の一事は立消の姿となりたれ共佛國は此條約に依りて安南全土の管理權と支那三省の通商權を得て充分なる勝利を収めたるに引替へ清國は南邊の關門を失ひたる上に獨立國の体面を毀損して前後非常の損失を受け斯くて始めて平和の局を結びたり之を東京事件の概略とす我輩局外より公平の眼を以て之を評すれば清國が自國の崩壞せんとするを維持するの氣力もなく徒に虚威を頼みて他人に傲り自ら求めて不利益不真面目を取りたるは片腹痛くも又笑止千萬の次第なりとは云へ佛國も亦充分なる道理ありと思はれざる其次第は元來安南は清國の有にあらず又佛國の有にもあらず則ち獨立の姿なる國柄なれば清國が安南に對して管理權を有せざる程に佛國も亦之に對して保護權を有するの謂ある可らず即ち佛清両國の申分は正に五分々々なりと謂ふ可し然るに佛國が遂に此五分々々の道理を有する争に於て勝利を得たる所以は唯其力清國よりも強大なるの一事に因るものなれば我輩は道理上よりして佛國に何たる名義をも與ふること能はず強ひて之に名義を附與せんと欲せば佛國は清國よりも強大なりとの名義を呈せんのみ右の次第なれば佛清初度の交渉に於ても我輩は佛國に充分の道理ありと認むること能はざれども兎に角に初度の交渉は佛國と安南との間に起りたる事柄を清國が横合より手を出して妨害したりと云へば辛うして佛國に道理あるが如くなれども此申分とても唯東洋の清國に對して道理を産み出すの力あるのみにして歐洲文明諸國の間に通用すべきものにあらざるなり

右に述ふる如く佛清初度の交渉に於ても其間に歐洲自家には行はれ難き一種の變例ありしこと疑を容れず然るに之に次て又今日の事件を惹起したる第二の交渉は如何と云ふに双方の爭點は清國が東京境内の兵を引揚るの期日に在るものゝ如し今此一點に付きて双方の言爭ふ所を聞くに清國は此爭の曲は全く佛國に在りと云ひ其言草には初め李鴻章が天津に於て佛國艦船「フルニエー」と五箇條の仮條約を議定したる後「フルニエー」は私に李鴻章を訪ひ前に議定したる仮條約の文案撰定、文義説明及び其施行の手續等に關して自ら起草したる續定條約書の草案を李鴻章に示して其記名を求めたるに李鴻章は其中東京開渡の期日に關しては事實出來難き旨を述べて其記名を肯んざりしかば「フルニエー」は李鴻章の面前にて石筆を採り出し其一欸を抹殺せしに馬建忠側に在り「フルニエー」をして更に其抹殺したる所に記名せしめたり故に東京開渡の期日に付きては別に兩國の間に何たる約定もあることなしと云ひ佛国は否右の議定條約には明に両國大臣の記名あるのみならず清國皇帝が此條約を是認したる勅命もあれば固より正當の條約にして抹殺云々は全く清廷の虚構に出たる妄説なり然るに清國は此條約に從ひて東京屯在の兵を引揚けず剰へ佛軍の進路に伏を設けて佛兵を襲殺したるは即ち明に條約を破りたるものなれば之に對して五千萬弗の償金を指出すべしてと云ひ双方互に言募りて遂に今日の有樣に立至りたり是れ佛清第二の交渉の概略なり我輩は佛清兩國の申分孰れか正しきかを知らずと雖ども大切なる條約書を僞なりと云ひ眞なりと云ひ消したりと云ひ消さぬと云ふが如きは殆ど小兒の爭に似て法外千萬の事と云ふ可し徃時西班牙國が呂宋を略奪したるとき最初に牛皮大の地面を借用したしとの旨を呂宋王に求めたれば呂宋王は異議なく之を許したるに西班牙人は聰て牛皮を糸の如く細截して數里の地を經し之に城を築きたりとの奇談あり事の信僞は我輩の知らざる所なれ共今回佛清の事に付き偶然にも右の珍話を思ひ出して其事の大く相類するを怪しむなり斯珍事も徃日に在りては通例國々の間に行はれて世上の非難を受けざることもありしなるべけれども今日の文明世界には聊か不似合なる珍事と云はざるを得ず然るに此珍事が目下佛國と清國との間に現はれ出たるは支那人が愚にして自から斯る法外千萬なる虚を構へたるものか或は佛人が清國を遇するに西洋數百年前の舊筆法を棄てずして肆まゝに其無理を働くに因るものか我輩は其原因の孰れに在るを知らず之を知らざれば両國の孰れにも左袒することを爲さずと雖ども兎に角に今日我咫尺の隣國に斯る不体裁の事あるは東洋と西洋との間には歐洲各國の間柄に行はる可らざる一種無類の關係あるの証明なれば我輩は唯其事柄を氣の毒に思ふなり我輩が毎度我日本は一切東洋の臭味を蝉脱して純粹なる西洋國とならざるべからずと論するも畢竟西洋人の爲めに一概に東洋視せられて支那と同一なる取扱を受けんことを恐るゝが爲めのみ