「百事都て西洋風たるを要す」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「百事都て西洋風たるを要す」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

百事都て西洋風たるを要す

毎度珍らしからぬ話なれども我日本國は三十年來社會を一新して文明の新乾坤を開きたる

ものなり日本舊邦と雖ども其命維れ新なり七百年の武門政治を革めて王政の古に復したり

と云ふは唯是れ内政の變革のみにして未だ以て革命の名を下さずに足らず嘉永の開國こそ

實に我革命の發端にして開國以降我れは神州なり允文允武の國なりと獨り自から得々たり

しものも眼を開て海外を見れば神州の外神州多く文武の榮譽獨り我國の專有に非ざるのみ

か世界中の開化に比較して我れに不足するもの少なからざるを知り我れこそ却て舊套の國

なるを悟りて文明〓進の進歩に忙はし即ち吾人三十年の事にして其目的とする所は唯專政

を革め王政に復す〓〓〓〓〓〓〓に止まらず日本社会の〓〓より一變して西洋の諸大強國

と文明の鋒を世界の活劇塲に爭はんとするものなれば其事固より容易ならず三十年の日月

成功を見る可きに非ずして今月今日も方に文明の道に進歩しつゝあるものなり固より我開

闢以來自家の文明には自から見る可きものなきに非ず又愛しむ可きものなきに非ずと雖ど

も世界の大勢は早く既に先鞭を着けて日本の舊文明を顧る者なきが故に此時に當て廣き世

界に競爭を試みんとするには必ず先づ他と其流を共にするに非ざれば競爭の塲に出ること

さへ叶ひ難し之を譬へば西洋の文明諸國は方に絲竹管絃盛宴の最中なるに獨り我日本國の

みが亞細亞の東隅に閑居して茶の湯の閑話に耽るときは其盛宴に與かるを得ざるのみなら

ず世界の大勢は閑話を許さずして時として四疊半の茶室に酔漢の侵入も亦計る可らざるも

のに似たり左れば今我日本をして世界の文明中に一帝國の榮譽を全うして獨立の權力を逞

うせしめんとするには先づ我社會の本色を一變して人事の一より十に至るまで都て西洋諸

國と同一色たることを勉め既に其色を同うし其流を一にして始めて文明の競爭に出塲する

ことも得べし例へば今回佛清の葛藤に就き英國が主として在清各國人民を保護する爲にと

て聯合艦隊を組織するときに我日本の軍艦も此艦隊中に列したるが如し仮に此葛藤をして

二十年前に在らしめなば英人は特に日本國に案内せざりしことならん二十年前は然らずし

て今日は則ち然り其原因は何れに在るや我海軍が二十年の間に進歩し我外交も亦この年間

に面目を改め日本の舊套を脱却して西洋の文明と其色を同うしたるが故なり聯合艦隊の事

必ずしも國の一大事に非ずと雖ども兎に角に我帝國の海軍士官が我帝國の軍艦を指揮して

西洋文明国の艦隊に列したるとあれば文明國人と共に文明の事を與にするものにして之を

前年度外視せられたる時の有樣に比すれば國權の點に於て其榮辱决して少々ならず况や我

海軍の伎倆實際に於て他に讓る所のものあるに非ず聯合艦隊若し事に當るの機もあらんに

は平生の伎を演して他の耳目を驚かすこともあらん即ち日本國が世界文明の競爭に出塲し

て世界の榮辱に關したるものにして其本を尋れば我海軍が其組織の根底より西洋の流に從

ひ舊套を脱するに吝ならずして外形も精神も共に彼の文明風に變化したるの成跡に非ずし

て何ぞや事實の最も賭易きものなり

文明の國權を擴張して文明の榮譽を博するの法は立國の本を文明にするに在り我海軍が文

明の組織を以て始めて西洋諸國に對して重きを成したりとの事實あらば獨り海軍のみにし

て然るの理なし有形無形に論なく一切の人事皆西洋風に變化するの切要なるは誰れ人にも

了解し易き所ならん武事文學商工農業は無論これを公にして政府の政法より私にしては人

民居家の細事に至るまでも期する所は唯文明の一點に在るのみ固より日本は二千有餘年の

舊邦なれば其舊套を脱するは易き事に非ず又或は舊套中取て利す可きものも多しと雖ども

立國の大本既に西洋風の文明と决定したる上は他は都て此文明を補助するものとして特に

利用す可きのみ武人の佩刀に日本刀が利ならば之を用ゐて可なり今の文書の慣行に於て漢

字を知らずして不自由ならば漢書を學ぶも可なり商人等が地方との取引に舊大福帳の法を

〓す可らざるの事情あらば仮に之を用に化し工業家が業を起すに蒸氣力を用るよりも人力

の方廉價ならば石炭の代に人足を使役す可し尚甚しきは大陽暦に改まりたる今日地方の人

民に對して陰暦を數ふるの要さへある世の中なれば繁雜なる文明の進歩に際して凡そ人事

の補助として用ゆ可らざるものなしと雖も此補助たるや眞實の補助にして斷して文明の大

本に非ず世上或は此理由を知らず石炭の高價なるを憂て工業には必ず人力を用ゐんとし簿

記法の新奇なるを悦ばずして大福帳に戀々する者あり尚一段を〓め學者士君子と稱して社

會の表面に立ち又現に事を執る者が漢字を利用するの餘りに漢學の主義を悦び漫に儒者を

學で天下を儒にせんと欲するものあり斯の如きは則ち主客地を易へ立國の大本を舊日本に

して西洋の文明開化を補助に利用せんと欲するものなり我神州をして亞細亞の東隅に閑居

せしめんとするの志願にして又世界の大勢も果して其閑居を許すことならば則ち妙なりと

雖ども無形の事情は有形の事實を以て證す可きもの多し前節に記したる我軍艦が文明國の

艦隊に列して支那海に運動し苟も日本海軍の名を世界に發揚するものは其海軍の外形も精

神も共に西洋の文明に從ひ文明を主本にしたるの成跡なること既に明白なる以上は天下を

儒にして國權を擴張するの難きも亦知る可し若しも開闢二千有餘年來の舊套を以て日本國

を包羅し舊日本を裝ふに新文明を以てし果して能く今日の外交を維持するに足る可きもの

ならば我海軍も亦舊來日本形の兵船を作り之に西洋風の銃砲を備へて以て文明國の艦隊に

列す可き筈ならずや其不可なるは三歳の童子も知る所ならん然ば則ち海軍は根底より西洋

法に從ふ可し他の人事の一部分は聊か西洋流を交へ他の一部分は少しく之を調合し又次の

一部分は全く之に反す可しと云ふ歟我輩に於て解する能はざるの言なり人事の舊套を脱す

ること固より難し我輩其情を知らざるに非すと雖ども今の世界は正に日新文明の競塲なれ

ば難きて忍で之を脱するに吝ならざること冀望に堪へざる所なり偶々聯合艦隊の事に付き

所感を記して一日の社説に供す