「人に敬畏せられざれば國重からず」

last updated: 2019-09-08

このページについて

時事新報に掲載された「人に敬畏せられざれば國重からず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

人に敬畏せられざれば國重からず

今回の朝鮮事變は十二月四日の夜に郵征局開業宴會の際大臣刺殺の騒動に始まり即時政府

の更迭あり事大黨政權を失ひて獨立黨朝に立ち五日京城内無事國王陛下大闕に還御し六日

も亦甚た無事なりしに此夕に至り京城駐在支那兵の司令官袁世凱は在留の支那人に命を傳

へて城内の日本人は男女官商の別なく一切これを屠殺すべしと催促し同時に大兵を率ひて

大闕の東門に押寄せ先つ外衛の朝鮮親軍を撃破りて次に内衛の我日本兵を攻撃したるより

忽ち京城の大乱と爲り遂には國王、皇后、皇太后以下王宮を遁れ出で玉ひて支那兵の手に

渡り、大闕は支那兵の燒く所と爲り、日本公使並に日本公使舘は支那兵並に朝鮮兵の襲撃

する所と爲りて士卒數名これに死し、城内の日本人は男女の別なく二十餘名の多き皆支那

兵並に朝鮮兵の屠殺する所と爲り、其住家什物は支那兵並に朝鮮兵の掠奪焚燒する所と爲

り、日本公使舘並に日本兵營は其貯ふる所の糧食被服を掠奪せらるゝの後支那兵並に朝鮮

兵の燒く所と爲り、日本公使以下圍を衝いて仁川に來るの途上又支那兵並に朝鮮兵の要撃

する所となりたりと雖とも幸にして日本人の勇武能く彼等が一夫をも生還せしめんとの兇

謀を挫き一應仁川にまで引揚くるを得たるなり斯る乱暴狼藉は我日本國の名譽上に權理上

に利益上に决して默許すべからざるものなるが故に我政府は直ちに參議井上伯を特派全權

大使にに任し急き京城に赴き支那朝鮮両國に向て大に談判する所あらしめたれば此談判の

結果は數日を出ずして我輩これを聞知するを得るなるべし

今回の事變其主謀者其教唆者其實働者たる者は京城駐在の支那兵なるが故に我輩は此處分

の第一着に三營の支那兵に廿四時間を限りて一人も殘らず南陽に退去し同所より軍艦商船

に搭して直ちに本國に歸ることを命し若し船なくして歸るに道なしと云はゝ好し其兵器を

取揚け軍服を脱せしめ尋常平和の支那人と爲りて陸路より歸國せしめ跡に殘りたる兵器軍

服は我軍艦を以て早々北京政府に送り屆け其戻りの荷物には此支那兵の不埒を謝するため

同政府より我れに贈る所の二千萬圓の償金を載來るべしとの意見を述べたり是れ甚た適當

の處置なりと信ずと雖とも人の心の同しからざる其面の如くなるが故に同し我日本國人中

にても隨分我輩と異説の人もあるべく隨て今回特派大使の談判振りも果して何樣の都合に

して何樣の終結に歸すべきや固より我輩の知る所にあらず依て今我輩をして想像力のあら

ん限り試みに爰に平和談判の極點を畫かしむるも世人の參考上又一裨益なきにあらざるべ

きか

支那人の黠猾なる種々の辞柄を並べ人を瞞着して曰く今回の事變たる四日郵征局の刺殺騒

動より來りたるものにして此騒動さへなくば日韓人の間に間違も起らず我支那人も傍に在

て迷惑を蒙る樣の事なかりしならん然れとも既往の事は追ふべからず唯來事を戒めて再び

四日以前の有樣に立戻らしむることを勉めんのみ依て今朝鮮人をして其過ち日本人に謝せ

しめ公使舘を新築せしめ兵營を新築せしめ被服糧食器具等の價を償はしめ罹災の日本人に

は若干圓つつの賑恤金を給せしむべし若し朝鮮政府に貯蓄の金員なくして急辨せずんは例

に依り我大清政府よりこれを貸與して間を合はすべし斯くて日本公使並に護衛兵も舊の如

く京城に歸り我支那兵も大闕を辞して營所に退き日支韓の交際をして再び四日以前の天地

に復せしむべしと日本人の仁慈從順なる則ち曰く今回の災難は病犬に噛まれたるの不幸に

等し愚民の愚甚た惡むべしと雖とも亦幾分か酌量を加へざるべからず教へざるの民を懲罰

するは聖人仁者の與みせざる所なり彼れにして一たび前非を悔ひ公舘兵營を新築し不幸の

罹災人に賑恤金を給し中心に其過を謝する以上は我れは固と暴を以て暴に報ふるにあらず

して徳を以て怨に報ふるの主意なるが故に是れにて堪忍量見すべしとて談判忽ち落着し事

総て故態に復すべし斯る談判の終結は固より我輩の好まざる所なりと雖とも慈悲と情けと

無事平和とを以て主眼とし爲らぬ堪忍も無理に堪忍するの心を以て説を作れば是れも強ち

人間爲業に及ぶべからざる程の難事にあらざるべし

然れとも顧みて今の世の中の國交際を見るに未た必ずしも慈悲と情けとを以て和親修好の

基礎と爲さゞるが如し否な和親の基礎は相愛するの心にあらずして寧ろ相敬畏するの心に

在るが如く然り仮りに今回朝鮮事變の處置をして我輩が前に想像したるが如き終結に至ら

しめんか國交際上我日本國の地位はこれが爲めに上進すべきや將た退却すべきや、朝鮮人

はこれを見て日本人は仁者なり親しむべし慕ふべしと云ふべきや將た日本人は佛なり狃る

べし侮るべしと云ふべきや、支那人はこれを見て日本人は沈勇なり畏るべしと云ふべきや

將た日本人は魯にして怯なり與みし易きのみと云ふべきや、今回の處置を環立傍觀する營

佛獨露米等の諸外國人は此始末を見て日本人の寛大なる眞に君子國の人なり敬せざるべか

らず畏れざるべからず早く條約をも改正すべし早く治外法權をも廢すべし日本人は眞に

我々の畏友なりと云ふべきや將た日本人は其腹中曠濶にして寛仁大度なりこれを奪ふも償

を求めずこれを害するも能く忍てこれに堪ゆ左れば我々もこれに交るに稍や容易なるを覺

えたり以來は其心得にて日本の交際法は特に加減すべしと云ふべきや如何我輩は元來朝鮮

人にあらず支那人にあらず又歐米人にもあらざるが故に人に代りて我れを評することは固

より能くする所にあらずと雖とも堂々たる大日本國人たるの我心を以て竊かに按すれば前

段想像説の如き平和談判の塲合に際し我れ能く天下の最高評を博すべしと爰にこれを千萬

保證するの勇氣なきを覺ゆるなり實に今回朝鮮事變の落着如何は世界の國交際上我大日本

國の地位の進退に大關係あり國を思ひ身を思ふの心ある者輕々にこれを看過して侮ふるこ

と勿れ