「日本男兒は人に倚りて事を爲さず」

last updated: 2019-09-08

このページについて

時事新報に掲載された「日本男兒は人に倚りて事を爲さず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

日本男兒は人に倚りて事を爲さず

今回の朝鮮事變は元來全く朝鮮國内の事にして其初は日本にも支那にも更に關係なかりし

なり然るに此變乱に際し朝鮮國王陛下が其禍乱の宮闕に及ばんことを慮り給ひ特命を以て

我公使に公使舘護衛の兵を率ゐて王宮を護衛せんことを依頼せられたるに付き我公使は之

に應したることなれ共此迚も唯國王陛下の御依頼と聞き何は指置き其命に應したるまでに

して例へば隣家に騒動ありとて其主人より助を求めたるときは其騒動の原因は何事に在り

とも此等は問ふに遑あらず兎も角も主人の安危に關する事と聞けば先づ取敢えず有合の武

器を携へて隣家に駈付け主人一家の安全を保護せざるべからざるが如し隣家の附合に於て

當然の所爲と謂ふべし右の次第にて今回京城の事變に我公使が王宮を護衞したるは眞に護

衞の爲めなれば若し他に事變なきときは此變乱の鎭靜するや否や公使は國王陛下に暇を告

げ兵を率ゐて公使舘に引揚げたることならん其後此變乱より朝鮮政府に如何なる變更を生

するも又朝鮮政府が如何に此變事の處分を爲すも此等は全く朝鮮の内事にして我國の預り

知る所にあらざれば我公使も〓て此に喙を容るゝことなかりしならん左れは此事變は徹頭

徹尾我國には關係なき筈なりしに奇怪にも京城屯在の支那兵等が理不盡に王宮に押寄せ王

宮を護衞する我兵を攻撃したるのみならず我公使舘を焚き我商民を屠戮し残虐と乱暴とを

極めたるに依り始めて我國と支韓両國との間に事端が生し我國より支韓両國に向ひ談判を

開くに至りたるものなれば此度の事件に支那人朝鮮人が我に對して害を加へたるは明々

白々にして復た一點の疑をも容れざる處なるに支那人の狡猾なる忽ち虚を搆へ日本は清國

が目下佛國と戰爭中なるに乘し自ら〓端を開き佛國と同盟して清國を侵略せんとす抔謂れ

もなき妄言を造作して罪を我國に歸し自から其咎を免かれんと欲する者の如し支那人が虚

を搆へ人を欺くに巧なるは世人の飽まで知る所なれば我輩は此回の事に付き此等の妄言を

聞きて毫も驚かず唯彼れが舊套を演して〓ま自から其虚僞を世上に表白するに足るものな

りとて之を一笑に付せんとするのみ

然るに之とは別事なれ共世に朝鮮事件の處置を論する者の中に一種奇異の説を爲すものあ

り其説の大意に曰く

主戰家は唯頻りに戰の利のみを主張すれども戰へば則ち國内の商工學藝に被る所の不利は

又格別のものなり戰爭一〓〓利益なりと云ふ可らす且苟も支那にして前に佛國の大〓〓〓

其全力を擧けて我に抗し得るの時に際し我より事〓を〓て勝利を僥倖さるは〓〓に至りな

り故に主戰家が戰を利なりと云ふは唯支那と戰ふを利なりと云ふに非ず今の佛清事件こそ

好機會なれば此機失ふ可らずとの意ならんなれども支那は素より佛と戰ふを好まず佛も亦

至當の償を得れ〓喜て和を納る可きが故に我日本國が清國に向ひ初より必戰の决心を示し

たらば清は直に佛と和し其全力を集めて日本に向ふことならん斯の如きは甚た恐る可きな

り故に此回の談判には先つ穩に清國に掛合ひ彼れが我方の求に應〓れば妙なり仮令ひ或は

應せざるも敢て直に决戰を布告せずして退て佛と連合を約し佛より軍費を借用して我國よ

り軍艦兵士を出し共に力を合して支那と戰ふべし是即ち和戰共に我に利なるの策なり云々

右は論者の言の大要なり抑も今回朝鮮事變の處分に付き我輩の意見は前々よりも幾回か論

陳する如く我國は支那人の爲めに非常の損害と凌侮とを被ふりたるものなれば其主害者た

る支那と朝鮮とに向ひ十分滿足なる要償を爲すべしと云ふに在り戰爭の吉事にあらざるは

論者の説の如くなれば若し支那人が其罪に服して穩に我要求に應せば我輩の滿足此に過ぐ

る者なしと雖とも彼等の頑固にして傲慢なる或は我至當の要求を聽かず何處までも我國に

無禮を加へんとするも知るべからざるが故に斯る塲合には設令戰爭の害は何程に惨酷なり

とも國の面目と利益とには替難ければ一歩も退かずして極度の塲合には兵力に訴るの外あ

る可らず且戰爭は凶事なりとは云へ此が爲めに國民が懶惰の眠を攪破して勤勞の〓を養ひ

外國に對して我國の權力を增すが如き其利益一にして足らずされば或は禍を轉じて福とな

すの結果もあるべく戰爭なりとて决して憂ふるに足らず寧ろ喜ふべきものもあらんと云ふ

に在りて敢て初より無理にも戰爭を爲さんとするにあらさるは論者の説に異ならず又論者

と雖とも一概に戰爭を非とするに非ずして已を得ざる塲合には干戈を以て事に從はんとす

るは我輩と説を同うするものゝ如くなれば此點に於ては我輩別に異論なしと雖とも論者が

他の主戰論を評して是れは今日佛清の葛藤を利し支那の多事に乗して恰も佛蘭西を後楯に

爲さんとする者ならんと臆測斷定するに至ては我輩一言せざるを得ざるなり固より世上の

廣き議論の多き主戰論とて一樣ならず時に或は斯る意味のものもある可く又駁論者が是れ

ありとして駁するも論者一己の意見なれば我輩の喙を容るゝを要せずと雖とも唯不幸にし

て論者が主戰論と名けたる論旨中には往々我輩が平素主張する論旨をも含蓄するを以て我

輩は敢て論者の説を駁するに非ざれ共世人の爲めに我論旨を誤〓せられんことを恐れて此

に一應我輩の意見を説明せざるを得ざるに至れり

前に述べたる如く此回の事變は我より事を初めたるに非ずして彼より端を開きたるものな

れば彼支那人が云ふ如く佛清事件に乘して日本より事を初めたり抔とは全く無稽の談なる

こと論者も異論なき所ならん然るに偶然にも此回の事件は佛清交渉の最中に起りたるを以

て獨り支那人のみならず局外なる西洋人の間にも委曲の事情を知らざる輩は往往此等の説

を唱ふるものあるが如きは遺憾に堪へざるのみならず今回の事變が偶然にも佛清の紛議中

に發したるは却て我日本國の不幸なりと云はざるを得ず本來我輩の眼中には佛清なし其兩

國の間に何樣の關係あるも我が知る所に非ず唯支那が我に對して忍ぶ可らざるの凌辱を加

へたるを以て相當の滿足を得んと欲するのみ若しも彼れが我正當の要求に應せざるに於て

は我は我國の名譽の爲め權利の爲め實益の爲め我軍艦を艤し我六師を整へ我自から我攻ん

と欲する所を攻め我戰はんと欲する所に戰ひ必ず勝利を得て後に止まんと欲するのみなれ

とも殘念なるは若しも其際に佛清の戰爭止まずして支那の力を分つが如きありては我海陸

軍が如何なる目覺ましき活動を爲して功名を立るも佛國のために其光輝を掩蔽せらるゝな

きを期す可らず是即ち我輩が佛清の葛藤を喜はずして却て之を憂る由縁なり在昔頼山陽が

弘安の役を評して可惜〓伯一?(身に區)付雲〓、不令羶血盡〓日本刀と云へり盖し當時

我國の兵力十分に元兵を鏖にするに足るべかりしに偶然にも一夜の颱風に十萬の兵を一掃

したるは惜むべしとの意ならん今回我國と清國との間に戰爭を開くに當りて佛國が尚其戰

爭を止めざれば後の頼山陽たる者は必ず我陸海軍衆の爲め我國民一般の爲めに必ず此裡の

感慨を起すことあらん左れば此等の點より考ふれば我輩は論者の説の如く支那が佛國と和

して其全力を以て我に抵抗せんこそ我國民の望む所ならんと思ふのみ日本男兒は人に倚て

事を爲さず支那と戰ふに佛國の助を借るを要せざるなり