「留めんか遣らんか」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「留めんか遣らんか」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

留めんか遣らんか

明治十五年朝鮮に大院君の變乱ありし以來支那政府は大兵を京城の内に屯在せしめて守衛を嚴にし兵力以て陰に朝鮮政府を恐嚇するのみならず重き役人を送りてこれを朝鮮當局の官職に任せしめ直接に朝鮮の内治外交の政權に参與せしめたるが故に京城の政府は勿論八〓の隅より隅に至るまで山川草木一も支那政府の威風に畏れ靡かざるものなし朝鮮小なりと雖とも亦是れ東洋の一國なり朝に野に今の有樣に滿足せず早く支那の羈軛を脱し獨立國の體面を全くし進みて西洋文明の潮を追はんと欲する者なきにあらずと雖とも小は固より以て大に敵すべからず寡は固より以て衆に敵すべからず滿朝滿野事大卑屈の風正に盛んなるの時に當り苟にも支那政府の意に悖るの言行爲す者あれば朝に在ると野に在るとを問はず都て世に容れられさるは勿論甚しきは一身の生命をも全くすること能はさる者此々皆然り去年十二月金玉均朴泳孝等所謂獨立党の諸士が急に事を擧け不穏當なる手段を以て政權を奪ひしが如きも諸士の性急より事遂に爰に至りたるならんと雖とも抑も亦事大党の勢力甚だ強盛にして異主義の人の存在を許さず金氏朴氏の如き國の獨立開明を希望するの志士は大に在朝當局者の惡みを來たし屡ば事を構へて罪に陥れられんとし又既に罪に陥れられたるもありて一日片時も安居すべからず近來は其勢益切迫して相容れず獨立党自から〓みて事を擧けざれば必ず近く事大党の爲めに〓〓せらるべく一進一退危険至極の地位に陥り遂に進みて我れ先つ人を制するの策に出てたるは事跡に於て歴々明白なるが如し亦以て事大党の權勢の強大無比なりしを察すべきなり然るに十二月の變に事大党中重立ちたる人々は大抵〓〓されたるを以て支那兵が王闕を攻め國王を奪ひたる以來朝鮮政府は再び事大党の手に歸したりと雖とも艱難騒擾の際政府に立ちて難局に處するの人物に乏しきが爲め平日は格別事大主義に熱心ならず寧ろ獨立主義に傾き居たりとも云ふべき金宏集魚允中の輩を任用し隨て金氏の權勢は一事政府を傾たるが如き有樣ありしと雖とも盖し又純粹の事大党にあらさる者は結局永存すべきにあらず今は金氏も既に朝を退き代りて韓廷第一の權力を占むる者は事大党の首領金允植なりと〓へり

事大党朝野の大權力を握り去年十二月の騒乱に數名の領袖を失ひしと雖とも今は又依然たる舊時の天地に復して曩きの風雨の痕を見ず事大党万々歳と云ふべき有樣なりと雖とも其實は必ずしも然るべからず目下朝鮮政府は大に其力を獨立党の撲滅に盡し所謂根を絶ちて葉を枯らす殘忍無比の策を用ひ婦女老幼婢僕の輩に至るまで苟くも獨立党に縁ある者と云へば必ず其肉を食ひ其血を啜るの後にあらされば心に厭き足らずと爲すが如しと雖とも朝鮮國内多數の獨立党如何に政府の暴威を以てするとも悉く之を屠戮し盡すは盖し實際に行はるべからさることならん若し獨立党員にして尚ほ國内に存在し居る限りは更に又何樣の事を企て事大黨政府に向て何樣の寇を爲すべきやも測るべからず例へば尹雄烈の如き元と獨立黨中屈指の人物なり尹氏が嘗て咸鏡道に在る時自から訓練したる新式の兵士五百名あり此兵士は去年一度京城に來りしが十一月の初に再び又咸鏡道に歸りたり假りに尹氏をして此精兵を率ひて状況せしむる樣に事ありとさんか実に事大黨政府の一大事なるべし又我輩が度々紙上に記したる如く朝鮮には歩商負商とて行商を營業と爲す商人仲間あり其數各十萬内外なりと聞けり此等の者は慓悍無頼日本の博徒に類する種族にして國王の親營を始め府縣各地方の兵士は大抵此仲間より撰抜したるものなりと云ひ現に去年十二月の變乱後にも歩商負商三千人を募りて京城内を巡邏せしめたりと云へり而して此仲間の統領李喜貞李昌奎なんど云ふ者は獨立黨に與みしたる罪人なりとて過日大逆不道族誅の刑に處せられたりと云へば歩商負商中には他に連類の者もあるべく或は大に冤を抱き居るものもあるべく何かの機會に乗して此仲間の者の蜂起寇を爲すも知るべからず斯の如く一二に事情を考へ合せても目下朝鮮國内には乱機禍根濱の砂の如く澤山なりと云ふべきなり唯この乱機の熟せず禍根の萌生せさるは全く京城に支那兵が駐在して事大黨政府を保庇し居るに由るなるべし果して然らば支那兵の朝鮮政府に於けるは水の魚に於ける乳母の赤子に於けると一般これを分離すると同時に政府は顛覆し魚と赤子とは餓死するならん

然るに爰に朝鮮政府の爲めに謀りて甚だ難儀なる一事は京城に日本兵の駐在する事是れなり朝鮮政府は其國内に在る日本人を保護すること能はず一度ならず二度までも日本公使舘を焼き日本人を殺す者あるにこれを制止すること能はず遂に日本と約束して自から護衛の兵士を携え來らしめたり然るに在京城の支那兵は日本兵を見ること常に〓寇の如くし去年十二月に至りて先つ砲を發してこれを王闕に攻め遂に今回の大變乱を引起し隨て朝鮮政府自からも亦日本に對して罪を謝せざるべからざる事となりたり朝鮮政府の〓〓〓見るべきなり事大黨政府の支那兵を恃むは魚の木を恃むに均し假令國内に禍乱の機あるも支那兵在ればこれを處することを得べし実に調法至極なるものと云ふべし然れとも支那兵は妄りに日本兵を惡み動もすれば砲銃刀剣以てこれを鏖殺せんとし無法に害辱を加へて後の禍を顧みず遂に朝鮮政府をして謝罪償金の困辱に陥らしむ京城に支那兵なければ日本兵を撃つ者なし日本兵を撃たざれば謝罪償金の困辱なし此一段に至りては支那兵は實に厄介至極なるものと云はざるべからず然らば則ち斷然支那兵を謝絶せんか内地の不平黨一時に蜂起するを如何せん左すれば先つ今日のまゝに永く支那兵の駐在を依頼せんか何時日本兵に害辱を加へて再び禍乱を招くやも知るべからず實に朝鮮の事大黨政府は進退維谷の地位に在るものと云ふべきなり