「京城の支那兵は如何して引く可きや」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「京城の支那兵は如何して引く可きや」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

京城の支那兵は如何して引く可きや

我輩は去る二日の社説を以て今度我遣清大使が北京着の上彼の全權大臣に接して朝鮮變乱のごとき支那兵砲發の件に付き我より斯く談したらば彼れより斯く答辨することもあらんなれども其答辨は全く無効のものたるに過ぎずとの旨を想像して識者の一粲に供したり次に又想像すれば我大使は去年十二月六日七日の兩日に支那の兵士が在京城日本人民の家を犯し物を盗み人を殺し婦人を辱しめ又數日を經たる後にも南陽にて其海軍々人が吉松某を〓めたるが如き我日本國の國權に於いて〓々に附す可からず是非共其害辱を償う實證を申し受けんと談することならん此一條の談判に於いては支那人も實に當惑して一言の答辨なからんと思えども勝を好んで負を惡むは人生の普通なれば彼れも此一段に至りては最早これまでと覺悟を定めて俗に所謂横筋に出掛け左様なる事は實際に於いて一切無しと断言するも計られず固より我方よりは〓なる證左を提出し爭う可からざる點を押えて動かざるは無論のことなれども〓れも亦様々に證〓物を製造して横筋に申張るごときは之を如何ともす可からず此一段に至っては我輩は唯道徳上に支那人の本心に訴えて其自省を斯り又政治上に於いては其國安に訴えて無事を望む外なし支那人にして苟も德を重んずる心あらば漫に〓造の證〓物を以て掩う可からざる非を掩わんとすることもなかる可し又自ら自國の安寧を好む意あらば其非を遂けんとして徒に敵を求めるが如き〓を爲さざる可しと推量し和も戰も一に〓の心事政策の如何に在を存するのみ

右の我方より申入るゝ害辱回復の要償なれども唯一〓を回復を得たるのみにして後日に禍乱再發の虞あれば之を〓防するも國交際の要事なれば我大使は今一歩を進めて在京城支那兵引拂いの談に入ることならん抑も今回の變乱たる其原因を求めれば間接にも直接にも支那兵の働に在りしことは萬人の見を疑を容れざる所ならん然れ則ち一と度び爰に乱の局を結びたるも其乱の原因なるものが依然として存在するごときは再發も三發も其無きを期す可からず火事を恐れなば火の種を除くを上策とす日支韓の交際を滑にせんとならば支那兵を引かざる可からず全体變乱の當分なれば一も二もなく日本兵を以て之を逐拂いたりとて妨なきのみならず却って結局も速なりしことならんなれども〓今日と爲りては餘程日數も經過して都を談判上の事と姿を改めたるが故に〓に手を下だすことは叶い難し之を譬えば武士が席上に爭論して刃傷に及ぶごときは其塲の紛爭にして速に事を決す可しと雖も双方立分れて詞訟の姿に改まる上は最早容易に手を出す可からざるものゝの如し今や朝鮮の變乱は既に過去に属して日支の兵も双方に立分れたる後の今日なれば手荒き處置は無用にして唯利害の道理を説き示す外に手段ある可からず即ち其利害とは何ぞや前に云える如く今回變乱の原因は在京城の支那兵なるが故に我日本兵に向いて漫に砲發し又日本人に害辱を加えたる事に就いては既に支那政府より謝罪の證を得て滿足なれども日支韓の三國は元と是れ近隣の興國なれば此興國の〓〓を厚くせんとするには今より謀りて後日の禍〓を除くこそ得策なれ然るに支那政府は何の所見ぞ古來事例のなきにも拘わらず明治十五年大院君の乱に引續き大兵を朝鮮の首府に屯在せしめて徒に人心を動かし其〓跡を見れば今回の如き變乱を引き起して日本人は大辱害を被り其辱害の回復を求めるためには朝鮮政府も既に容易ならざる苦痛を感じ支那政府も亦同様日本に向いて罪を謝したるに非ずや我日本政府は徒らに他をして罪を謝せしめ以て自から喜ぶ者に非ず謝罪を以て被れたる交際を回復するには双方相互に謝す可き罪なくして未だ破れざる交際を尚無事に保存する樂しきに若かず云々の旨を以て我大使は丁度反復これを支那政府に勸告することならん左れば支那人にして苟も東洋の平静を重んじ日支韓三國の交際をして再び破るゝことなからしめんとする意あらば必ず大使の勸告に服することなる可しと信ずれども支那も亦一種の國柄にして其自大傲慢は常に人意表に出るもの多く例えば他國と相對して自から敗するを知らずして敵するのみならず實に敗れても尚敗と云うを忌む程のものなれば或は永遠の利害を顧みず一度び出したる兵を引くは〓怯なりなどゝ説を作りて動かざることもあらんか是亦調り知る可からず又或人の考に支那人が朝鮮の兵を引くは固より好まざる所なれども道理に〓るごときは止むを得ずして頓智の一説を設け京城に兵を置くは費用も多くして固より中國の〓する〓けにも〓らず敵に今後兵を引揚ると否とは一に朝鮮國〓〓に其政府の意に任じて〓〓を決す可しと表〓に正々堂々の立言して裏に〓れば其國王と政府の意を製造する工風ある可しと云うものあり都を是れ想像の仮定論なれども其必然を期す可からず唯以て讀者の参考に供するのみ