「三年に三十里」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「三年に三十里」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

日本鉄道會〓は明治十四年の十一月に我日本政府と特許條約を結び向ふ七箇年を期して東京より森に至る二百里の鉄道を布設すべし就ては政府より特別の保護を與へ鉄道の線路停車塲倉庫等に當る地所は官有地なれば無賃にて貸渡し民有地なれば公用十地買上げ規則に據りて先づ政府に買上げ追てこれを會〓に拂下ぐべし又鉄道用に供する家屋或は鉄道布設の爲めに取除く家屋は官有なれば無賃にて貸渡すが相當の代價にて拂下げるか民有なれば先づ政府にて買上げたる上更に會〓に拂下ぐべし又鉄道に属する一切の土地は國税を免除すべし又會〓の株金募集の上は鉄道落成迄は其金高に對し一箇年八分の利子を政府より下附し運輸の業を始めたる後と雖も〓入の純u一箇年八分に達せざるごときは東京より仙臺までの〓は十箇年間仙臺より森までの間は十五箇年間政府より其不足丈けの利u金額を補給すべしとの約束に由りて日本鉄道會〓は此重要有利の事業に着手し〓來全三箇年半即ち約束期日の〓に近き今日に至り〓みて此鉄道會〓の仕〓げたる功〓を見るに東京の上野より前橋に達する二十七里餘りの〓線路と東京の品川より赤羽に達する五里餘りの一線路と合せて三十二三里の鉄道を布設し了りたりと云ふまでの事にてし他に一事の稱すべきものなし勿論事業創始の際にして事の捗取りも十分ならず案外に手間の取れたる事も多かるべしと雖も兎に角に七箇年にて成功せしむべしと〓合ひたる二百里の鉄道が三箇年半の後に至りて漸く約束の五分の一計り出來上りたりとありては何の辨明申譯をも聞くに及ばず唯一言に「遲緩極まる」と言ひ放て差支なかるべし今日までの如き速力を以て今日以後の線路を進行せんには宇都宮、白河、〓島、仙臺、一ノ關、三戸を經て約束の最終停車塲森までの鉄道を布設し了るの時は今より正しく十四年の後に在るならん好し今日以後は從前に二倍するの速力を以て工事を急ぐとも全線路落成の期は必ず十箇年を〓ぐべきや明白なり七箇年を限り置て〓に十箇年を過ぐ其破約の責は兎も角も日本鉄道會〓の面目上に於て決して斯る不始末を許さざることと信ずるなり

日本鉄道會〓創立の當坐會〓に對する世上の信用尚ほ甚だ薄かりし時には株金募集も心の儘ならず時には資金の不足をも感じたる樣子ありしかなれども一昨年の七月に上野熊谷間の線路を開き續きを本庄に高崎に前橋に漸次運輸の業を始むるに至り實際の〓入は案外に多く兼ては鉄道不賛成の〓論家も論より證據に一句も出でず唯日本鉄道會〓繁盛の評判のみ世に聞えたりければ同會〓の株券は漸く其價を〓し〓て資金募集にも勞を要せず現に今回新募集の株券の如きも正味五圓拂入れ濟みのものが來る五月限り八圓に賈買すと云うが如き實に驚くべき景況なりと云ふべし一昨年來今日までの景況を見て今日以後を豫想するに日本鉄道會〓は決して資金に欠乏を告ぐるの時なかるべしと思はるゝなり資金の豊かなること斯の如し然らば則ち會〓の其工事を急がずして故らに遲々する如き實跡あるは最も解すべからざるの擧動なりと評せざるを得ず遲々して何の得がある唯七箇年にして其工事〓に成らず直接には日本政府に對し間接には日本全國の納税者に對して違約者たるの責と汚名とを被ふるの結果あるのみ同會〓の爲めに謀りて決して喜ぶべき事にあらざるなり人或は云はん日本鉄道會〓の工事の遲々たる三箇年にして僅かに三十里の鉄道を布くが如き不始末ある所以は決して資本に乏しきが爲めにあらず亦決して當局役員の怠惰なるが爲めにあらず唯今の日本國には鉄道事業一切に關する技術〓に乏しく資金も諸材料も庫中に積みて堆く職工役夫も手を明けて仕事の來るを待ち居るなれども如何せんこれを使用して鉄道に作り上ぐるまでの事を司るべき技術師なきが爲めに止むを得ずはやる心を押し鎭めて遲々たる工事を傍觀せざるを得ざるなりと此言果して事實ならんには日本國内に於て廣く技術師を募ると同時に米國或は英國に到りて彼の國に有り餘る適當の鉄道技術師を〓〓來り一日も早く此有利なる事業を成さんことを勸告するなり日本人の手に成らざる鉄道は鉄道にして鉄道の用を爲さずと云ふ譯もあるまじくこれに反して鉄道の成る一日を遲くすれば承久一日の利を失ひ二日を遲くすれば永久二日の利を失ひ〓て日本全國の文明をも遲々たらしむるものなるが故に鉄道技術師の日本人たると米國人たるとを爭ひて爲めに得るべき利を失ひ進むべき文明を進ましめざるは智者の事と云ふべからざるべし我輩は日本鉄道會〓の内情を知らず然れども其表面に現はるゝ鉄道工事の遲々たるは天下の具〓する明白の事實なり我輩は日本鉄道會〓の爲めに又日本國の爲めに斯る事實の一日も速かに消滅せんことを希望するなり