「歐洲政治上の形勢 F.W.E. 投寄」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「歐洲政治上の形勢 F.W.E. 投寄」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

歐洲政治上の形勢 F.W.E. 投寄

西洋國人が土地侵略の事に向て近年の如き勢焔を現したるは蓋し振古未曾有にして歐州の諸六國中多少新版圖を拓くの心算なきものは一國もなかる可し我輩は口を極めて十九世紀文明を稱進し又學術の非常に進歩成效したることを推奬し今後の進歩成效も亦益非常なる可しと思惟し希望に堪えざる其最中に世界第一の文明開化國なりとて只管東洋人に尊敬せらるゝ其國々が此同三年以來不遠慮千万なる土地侵略の惡例を置くに至りたるぞ是非もなけれ彼の政治家中には統計表を引證して此不遠慮なる所業を回護し世界の人口は驚く可速力を以て著殖し數年前までは大數十億と算するを以て通例とせんに最近の統計には千九百年を豫算して殆んど今日の人口に三倍す可しと云へり此事にして信ならしめば歐州諸國が侵略の事に汲々たるも亦咎む可らざるなり云々と論するものあり仮令此人口論にして何程に確當なる事實なりとするも人口の著殖を以て他國侵略の原因と爲し隨て歐州諸國が弱を浚くの罪を蔽はんとするは蓋し亦不遠慮千万なる立論と云ふべし如何となれば人口過殖の切迫は間接に他國侵略の遠因たる可きも近く其侵略を企る當局者に於ては其切迫を感したるに非ず唯自家の功名利慾心を滿足せしめんが爲に建論するものなればなり

今日の文明開化は一國民又は一君主の意を以て世界億萬の民人を困ましむることを許さずアレキサンドル大帝再生するも十方世界を征服するの舊夢を夢むること能はずナポレヲン一世復た出るも一身の功名を得るが爲め無用の陣を興して幾千百萬の生命財産を損害すること能はず蓋し今日に於ては如何なる國人にても起て無防禦の土地を攻略せんとする者あれば必ず歐米諸國の物議を起し其物議にして時宜に違するときは往々他の攻略を箝制するに足ることあり或は二三大國の間に一爭論を生することあれば一國進んて之に干渉するか或は仲裁の勞を執ることは世人一般の承認して怪まざる所なり例へば千八百七十年より翌七十一年に掛けて普佛の戰爭ありたる抑も普佛は英國が歐洲の平穩持つが爲め必ずや之れに干渉し或は干戈を執て之を牽制するならんと期望したり何となれは此事たる獨り英國の大利害に關係するのみならず歐洲の二大國をして各其主張する所の道理を于戈に訴へしめて爲めに酷烈なる紛爭を生するが如きは十九世紀の文明と兩立す可きことに非ずと思覚したればなり又近く一例を擧けんに彼の埃及スーダン戰爭の初に當て英國は歐洲諸國に向ひ我國は唯彼の侵略マ―ヒの軍隊に抵抗することを企つるものなりと通告せり何となれば此事たる埃及に於ける英國の利害が侵略軍の爲めに損害さるゝの理由あるのみならず此侵略軍の勢力を挫くは大にしては阿弗利加洲の利益、小にしてスーダンの利益に關係すればなり右の如き次第にて近時萬國公法上に各國相對の義務と云へる重要なる一章を増補するに至り彼の戰爭の正邪を議することを爲さず又交戰國の怒を避けんが爲め離群默認するが如きは今日文明世界の許さゞる所にして苟一國を立るものは又隨て他の各國に對するの義務ありと云へる一大原理を漸次責覺することとは爲れり尚爰に一歩を進めて考ふるに最近數年以來智識及び社會の進歩は實に驚く可き速力にして此際一國の民人にして文明各國の群に入り能く其地位を保たんとせば是と併行して進まざる可らず、一瞬間と雖とも安閑として過ぐ可らず、國の損亡は唯その進歩如何に存し彼の佇立して進まず或は瞠若として人後に落るものは仮令ひ遺理に於て公正なる彼の所謂各國相對の義務なるものに制せられて行く行く減絶を免かれざるの勢いに歸したるが如し左れば彼の我れは我れたり我れは我が子飮む所に從はんと云へる古教の格言も之を守れば唯惡結果を見るのみにして今は則

ち世界の世界なり我れは世界の衆と共に立つ可しと云へる廣潤なる思想に蔽はれざるを得ず之を要するに今の世界は一國の獨立を許すも其孤立を許さゞるものと知る可し

目下歐洲の思想家は世界人智の程度非常に昇進したることを許すの傍、歐洲政治上の形勢如何と云ふことを以て其豫想推究の一箇條とは爲せり然るに其政治上の形勢は各國互に他の擧動を猜疑し互に信用を置かずして成る可く他を侵略することを義務なりと信じ人智の増進は徒に侵略上の新危險を増すのみにして又彼の平和友愛を導く可き學術の如きも萬國同仁四海兄弟の大義を成就するの用とてはせで却て人類を災害するの勢力を助るものゝの如し今仮に英、佛、獨、米の政治家が支那をして通商殖民の門を開かしむるの目的を以て爰に一集議を開き此老大國を強迫して文明に入門せしめ鉄道電信農業工業より學校の設置に至るまで孰れも改良制度を採用して西洋の學修を導く可しと要求することありとせんか諸要求の主旨たる人類の幸福と地球東西の利益とに關係するものなれば尚且正道たるを失はずと解釋することを得べけれとも本來自國内治の有樣さへ十分ならずして其殖民地の支配も入意に〓たざるの觀相ある彼の佛國にして傍若無人にも支那に向て事を起し其不開化の人民が〓の西洋國民に接して儘に新儀の智工を導きたる一證兆とも爲る可き歐洲船政局等をも一朝にして破壞し去り支那國内に西洋文明を輸入するの門戸たる彼の開港場を封鎖し其他不正なる償金を要求し支那が其要求に應せざればとて無數の無辜無智を殘殺したるが如きは實に歴史上の一汚點なりと云ふ可し古來佛國人は侠氣を存し身を挺して弱きを助け義を觀て私利を顧みざるの精神ありて佛國と云へば殆ど侠勇の意義を表するの語と聞こえたりし其侠勇は今安くに在るや今や佛國は其貪欲の表章たる三色旗を全世界に飜さんことを是れ勉め爲めに幾千萬の人命財産を損害しつゝありと雖とも彼の古侠勇ベーヤー(Bayard)の如きもの起りて此不義を喝破することあるを觀ず此勢を推して事の結局を察すれば殆んど其廢止する所を知る可らず試に看よ佛國東京の捷戰は安南の征服、柬蒲塞の保護と爲り邏羅との粉耘あるも亦遠きに非ざる可し又紅河の開航は緬匈を衝き延て西藏を壓するの楷梯たることは世人の豫想する所なれば支那の雲南及び西南部諸省は貪婪無厭の敵を近隣に引受け其危險實に累卵も宙ならざるなり而して此危險の由を起る所を察すれば人類智見の發達したるが爲めに非ずして西洋國人深鑿飽くことなきの慾心を肆にするが爲めり又人口の過殖を避くるが爲めに非ずして功名を貪り私慾を恣にしその氣力を洩さんとす

るが爲めなりと云はざるを得ず

佛國の侵略此の如くなる其際に露國の情は亦更に甚しきものあり露は内訌百端今の帝室さへ何時覆滅するやも測られざる實勢あるにも拘はらず又其國民一般の智見開發せざるにも拘はらず漸次に西亞細亞の弱國を侵攻し頃日の電報に據れば吾人の兼て期したるが如く

露兵は進んてあふがにすたんの境界に踏み入りたりと云へり其他露國が北方より進て支那を攻撃するの機會を待ち居ることは滿世界に明白なる秘略にして近頃露國が上海の佛租界に其國旗を飜へしたるが如き決して尋常無心の事なりと云ふ可らざるなり又彼の獨逸は歐洲中にて遼議あり思慮ありと評せられたる國柄なれとも是れ亦近來に至り新版圖を拓くの計算を立て阿弗利加地方に於て英國記を下して之れに換ふるに獨逸國旗を以てし或は佛國と其利害を聯結して巧に英國を屈するの企圖を爲せんものゝ如し左れば今日の歐洲を回顧し政府の模範たるもの、思想の高尚なるもの、學術を以て人類の需用に供するもの、國交際上にて堪忍なりと見做すもの等を求るに熟も豫想に反するの實體を現はし其緊要なる點に至ては概ち人意を滿足するものあることなし政治上の觀相斯く醜惡なるが爲め西洋國人其人々すらも心窃に鬼胎を抱き彼の學術の發達は人間幸福の爲めに非ずして武器爆烈藥軍艦等寧ろ人命を絶つの器械を携造するの用を爲すものなりと斷定し又事の實際に於ても國交際上嘗て寛大の處置とてはなくして世界の人事を動かす所の大戰爭も或は一個人の方寸より出つることあるものと覺悟したるが如し左れば道徳家、哲學家、政治家も皆な右の事態を以て人間能力の虐用なりと認め近時地球の各處に於て頗る損害を引き起したる彼の地震の凶災も人間の情慾を制し弱者を保護する義氣正道を推奬する彼の道徳の缺乏に比するときは未た以て凶災と爲すに足らずとせり甚た道理外の事なりと雖とも文明世界の時勢の然らしむる所ぞ是非なけれ日本は此大騷擾の世の中に立ち而かも其前途甚た悠遠なり宜

しく之を他人に鑑みて自から戒むる所を知らざる可らざるなり