「支那将官の罪」

last updated: 2019-09-08

このページについて

時事新報に掲載された「支那将官の罪」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

支那将官の罪

本月二日伊藤大使一行が北京より天津に來着したる以來支那の全權大臣李鴻章呉大徴などゝは數度面會して首尾よく談判の緒を開き其運び方も決して過々たらざるものゝ如く然るが故に追々兩全權の間に議定の事制もあることならんと察せらるなり我輩は元と我日本政府が支那政府に費して要求する條々を知らざるが故に目下天津の談判も斯の如く論し居るならん斯の如く爭ひ居るならんと云ふ事に至ては毛頭想像の及ぶ所にあらずと雖とも爰に過日來の諸報道風説を照し合せて償が関心の一事項と云ふは彼の袁世凱等を論責するの問題是れなり去年十二月朝鮮京城の變亂に袁世凱呉兆有張光前等は支那兵を率ひて大闕に攻め入り先つ我日本兵に向て發砲し同時に在京城の支那兵前に令を下して我日本人を屠殺せしめたる者なり故にメール新聞などの報道する如く今回伊藤大使が支那政府に向て要求の〓〓中には支那政府にて袁氏等の不始末を譴責せよとの一條も〓に居れりと云ふことは多分事實に近からんかと思はるゝなり然るに我輩が近日の事情を察して支那政府が果して此正當なる要求を承諾するやを憂ふに至りたりと云ふは三月十六日支那皇帝が上論を覆して袁世凱等の所置を嘉みし特に恩を加ふるなどの沙汰ありし實例を始めとし支那人中に朝鮮事變に關し説を爲す者あり曰く此變亂に際し無辜の日本商人等が支那人の手に罹りて非業の死を遂けしは實に氣の毒の至なるが故にこれが爲めに幾分の給恤金を出すは支那政府に於ても異存なからんと雖とも當時大闕に攻め入りたる袁世凱等の所爲を咎むることは決して支那政府の承諾する所にあらざるなり何となれば第一に日本公使の所爲を見るべし公使の身分として兵士を率ひ自から大闕の内に在るは禮法に照らして甚だ不穩當なる所爲と云はざるを得ず公使既に在るべからざるの場所に在りたるが故に遂に支那將官の俊撃を招致したるなり若し日本政府にして支那將官を譴責せんと欲せば己れ先つ其公使を譴責すべし然る上にて支那政府も亦袁世凱等に相當の沙汰を爲すことあるべしと此議論隨分支那人中に流行し居るものゝ如し此等種々の事情を參考すれば萬々一の場合を慮り天津の談判に於ても李氏以下斯る説を持することなきを保證し難きを以て我輩は念の爲に爰に一應日清兩成敗説の甚だ非なるを辨駁すべし

日本公使が兵を率ひて大闕内に在りしは甚だ不穩當なる所爲なり公使既に在るべからざる所に在りし以上はこれを襲撃したる支那將官と襲撃せられたる日本公使と双方共に罪ありとの論は如何に支那人の説なればとて餘りに事實と道理とを辨別せざる言と云ふべし抑も我日本公使は當時朝鮮國王の請求に應じて大闕に至り朝鮮國王の請求に因りて大闕に留まりたるものなり國王にして強いて公使を引留むることなからんか公使は直ちに辭別して米英使臣等と一同に其公使館に歸りたることならん急劇の際に身の危險なるは獨り國王に限らず公使と雖とも亦同樣に危險なり若し我公使にして薄情自利の人ならんには唯我兵を以て我身を衞るのみにして國王の請求あるも敢て往かず米英使臣の請求あるも敢て兵を貸さず嚴に公使館内に蟄居して他を顧みざりしことならん然るに我公使は義に勇み情に厚く自から我一身の安危をも顧みず先づ難に赴きて王闕を守護し傍ら兵士を分ちて米英の公使領事館を護衞せしめたり其高誼厚情實に山海も啻ならず獨り朝鮮國王のこれを感謝するのならず米英の使臣も亦共に感謝して忘れざる所なりこれを如何ぞ日本公使は在るべからざる所に在りて遂に支那將士の侮辱に遭ひたりと云ふを得んや好し或は仮に大に歩を讓り支那人の言ふがまゝに我公使は當時實に在るべからざる所に在りたりとせんかこは唯朝鮮國王と日本公使との間の事にして傍らより他人の啄を容るべき事にあらざるなり爰に東京第一の美人あり時事新報社主の請求に應して社の樓上に來り社主社員等と説話談笑したりとせんか兩隣呉服屋の番頭これを聞て大に怒り新報樓上は美人の居るべき場所にあらずと云ふを口實として多勢の手代小僧を引連れ來り社内に乱入して美人を打擲したりとせば此番頭の所爲の不當なるは言はずして明白ならん好しや時事新報樓上は美人の常に居るべからざる所なりとするも夫は美人と社主との間の事にして他人の關する事にあらず新報樓上居るべからざるの人の居りたりとて來りて其人を打擲するは隣家の番頭の權理何の事にあらざるなり美人が新報社主に對するの罪あればとて爲めに番頭が美人を打擲したるの罪は消滅せざるなり美人社主及び番頭の關係既に斯の如くなりとせば日本公使が朝鮮の王闕に在りたるは支那人の説の通りに甚た不穩當なりとするも支那の將士が來りて其公使を襲撃するの權理は萬々あるべからざるなり況んや當時日本公使の所爲は甚だ穩當甚た忠直にして爲めに朝鮮國王は特使を日本に派して其厚意を謝したる程なるに於てをやこれを如何ぞ朝鮮變亂の罪はこれを日本公使と支那將官との間に分たざるべからずと云ふことを得んや我輩は支那人をして事實と道理とに照らして早く感悟する所あらしめんことを希望するなり

*呉大徴 (原文 徴 サンズイに徴の旁)