「佛旗の三色漸く褪る」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「佛旗の三色漸く褪る」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

佛旗の三色漸く褪る

佛清の戰爭は久しきものなりし然るに本月に入り突然電報の西方より來るありて曰く佛清は媾和したりと其後種々の報道彼所此所より集まり來り中には彼此相矛盾する樣のものもありて信僞俄かに决し難かりしが兎に角に今日迄に確め得る所にては佛清媾和の豫約丈けは彌々成りたるに相違なきが如し其媾和の次第を聞くに佛國は唯天津條約の履行を望むのみにて更に新たに要求する所なかるべし若し支那政府にてこれを承諾せざるに於ては止むを得ず文明富強共和政府の本體を現はし五萬の兵と二億の金とを以て一擧四百餘州を蹂躙すべしと披露したる由我輩は此報道を得て聊か佛國人の無慾澹泊なるに驚かざるを得ざるべし五萬の兵と二億の金とは支那の身に取りて甚だ恐るべき敵たるに相違なかるべしと雖とも此敵を引受る代りに差出すべしと所望せらるるものは去年五月の天津條約なり天津條約の外には一物なしと聞かば支那政府も聊か意想の外の事たる想を爲すことならん天津條約とは何ぞや去年五月天津に於て佛國の艦將フルニエート直隸総督李鴻章との間に取結びたる東京事件に關する佛清兩國の媾和條約にして都合五箇條より成立つもの是れなり其約束の條々は佛國は支那の南境を保庇すること、支那は在東京の支那兵を悉皆本國に引揚ぐること、支那は自今佛國と安南國との條約に干渉せざること、佛國は支那に向て償金を要求せざること、支那は東京に境を接する雲南等の地を開きて佛國の貿易に供すること、關税は頗る寛なるものを約束すべきこと、此豫定條約は三箇月の後精密なる本條約と取換ふべきことなど云ふものにして其精神は唯支那兵を安南東京より退去せしめて其全土を佛國の〓〓保護國と爲し雲南廣西等に通商の道を開き而して償金は一文も要求せずと云ふに在るなり抑も安南東京に關する佛清の葛藤は此條約决定の凡一箇年前頃より漸く世上の噂に上りたるものなりしが爾後佛國は三四千の兵と數艘の軍艦とを支那近傍に往來せしめたるが爲め遂に安南東京の全土を其手に入れ剩へ雲南廣西等に通商の便を得て後來支那帝國蠶食の其礎を置きたるは天晴れの手際なりとて當時人にも羨まるる程なりしかば佛國政府の當局者も敵に乘すべきの畏あるに乘せざりしを後悔したるか豫定條約調印後一箇月計りにして在東京の佛將が一隊を率ひて諒山城に赴き支那の守將に開城を命したれとも聽かず遂に交戰に及び佛軍敗走したるを聞て直ちにこれを支那政府に向て條約違背を責むるの口實と爲し償金二億五千萬法(五千萬弗)を受取らんと申出したり諒山の戰爭は當時其曲直佛清何れの方に在るや知るべからざりしのみならず今日と雖とも矢張り知るべからざるものたるなり然れとも佛國政府は曲直の在る所を詮議するは無用の勞なりと爲し唯支那政府が償金を出すか出さざるか應否一言の返答を聞かんと迫まり急に應と云はざりしとて直ちに鷄籠を砲撃し福州を荒らし淡水を攻め寧波を襲ひ東京の境を踰えて廣西に攻入り縱横無人の地を行くが如き中にも時に亦支那兵の抵抗に出逢ひて十分其志を達すること能はず爾來十箇月支那政府は依然として北京に安眠し佛國人の往來煩悶するを見て大象臀頭に蚊■(「亡」+下に「虫」2つ)の喧嘩する程にも思はざるが如き容貌を爲すに十分其膽を冷されたるものか忽ち平和の慕はしくなり遂に去年の天津條約を實行するのみにて償金とも云はず領地とも云はず双方怨を忘れて和解すべしと申出したりこれを聞く者一人として佛國の爲めに無上の不面目を悲まざるはなし盖し今の文明世界は力即ち正理なりと稱すべきものなるが故に佛國政府にして果して支那を征服し得るの餘力あらんか支那侵寇の口實は必ずしも諒山の敗軍に限らず何にてもよしまこと止むを得ざれば單に文明を輸入するが爲めなりと稱して四百餘州欲するままに取て以て己れの有と爲すも勝手なりと雖とも己れに實の力なくして妄りに他人に奪はんとすることあらば限りなきの慾心遂に限りなきの恥辱を買ふの媒介たるに過きざるべし佛國政府をして最初より天津條約の履行のみを以て滿足するの意ならしめんには何ぞ鷄籠の砲撃を用ひん何ぞ福州の破壞を用ひん何ぞ况んや今月今日に至り更に五萬の兵と二億の金とを出すなどと人聞けがしに吹聽するを用ひんや一年の戰爭敵に損し己れに損し毫も得る所なきの日に至り平身低頭遂に前日の約束を得て滿足せんと云ふが如きは堂々たる佛蘭西大共和國の恥辱にあらずして將た何ぞや今回の媾和條約にして果して實施の日に至らば東洋地方の三色旗は更に一層の光輝を失ふに相違なからん惜むべきかな