「經濟法自然の運行は不景氣を救ふに足らず」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「經濟法自然の運行は不景氣を救ふに足らず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

經濟法自然の運行は不景氣を救ふに足らず

不景氣を挽回するの法は大に人爲の工風を運らん金と勞とを惜まずして廣く全國の活氣を

喚返すか否らざれば自然に世界の能機の運動して遂に創痍の癒るを待つに在り今日本全國

の不景氣を救はんとして人爲の工風を運らせば必ず大に金と勞とを要すべくこは今の日本

國民の迚も企て及ぶ所にあらずとて不本意ながらも時運の自然に回り來るを待たんとする

か是亦不景氣に處するの一策として其今日に適否如何を講するも决して無用ならざるべし

十二分に膨張したる流通紙幣忽ちに収縮して物品と通用貨幣と相對する釣合ひを變し物價

下落し弊價騰貴し一時全國の農工商業者は一人として損毛を被らざる者なし是に於てか各

業は廢たれ信用は地を拂ひ職工の賃錢は何程下落するも雇入るゝ者なく物品の價は何程下

落するも買ふ人なく遂に純然たる不景氣の相貌を成したり然るに經濟の法則に於て世界の

中有無相通するの法は水の卑きに就て平準を求むると等しく此處と彼處と商略既に相通す

る以上は此處の物價を賤しくして彼處の物價を貴くし長く其平準を得ざらしめんとするも

〓すべきにあらず故に今某の一國に於て物價下落することあれば其物品の需用廣く世界に

起り輸出忽ちに増加して商况忽ちに繁〓の實を呈し金銀國内に流入し來るとき共に物價の

下落漸くに回復し農工商社會遂に一言の歎聲を聞くことなきに至るべし是即ち經濟法の働

きに依頼して自然に不景氣の回復するを待つの法にして此働きの〓〓並に其効力の大小は

其國文明の度の高下に由りて甚た相違あるものと知るべし

今日本全國不景氣の甚たしき工錢物價共に大に下落して尚ほ未た需用者の現出するを見ず

物價土に等しくして小民餓死に瀕するもの全國到る處として皆然らざるはなし物價の斯の

如く下落する以上は萬種の産物悉く其需用を世界の市塲に見出し商路大に開け輸出貿易大

に加はり全國の農工は物品の生産に忙はしく全國の商人は物品の輸出轉賣に忙はしく物價

騰貴金融繁忙忽ち今の不景氣を忘るべきが如しと雖とも今日未た其事なきのみならず今後

と雖とも果して急に其事あるべしとも思はれざるなり隨て我輩は何分にも今の不景氣を救

ふに自然經濟上の作用にのみ依頼して十分なりとすること能はざるなり何となれば今の日

本に於ては此自然法の運行を妨るの原由二個ありて此法の効力殆んと絶無に屬し救急の用

を爲すこと能はざる恐あればなり其次第左の如し

第一國内に運輸の便乏し 日本の海上には三菱共同の二會社ありて數十の汽船沿海を航行

し海の運輸は近來大に其面目を改めたりと雖とも一たび陸に上れば其交通の不便なる我文

明の度に比して未だ其釣合ひを得ず數十里の鉄道と數十艘の川蒸氣船と二三街道の旅客馬

車と又人の力にて挽く最小形の車即ち人力車と唱ふるものゝ數多徃來するある外は陸の運

輸は依然たる東洋未開國の舊面目を存し人肩馬背を以て普通の運輸具と爲してこれに安心

するものゝ如し故に今日此大不景氣に際し都會を距る數里或は數十里の地に於ては炭薪魚

〓の日用品より種々工藝の製造品に至るまで又此日用品を生産する人夫の手間より諸工藝

品を製造する職工の工錢に至るまで非常の廉價にして其供給も亦た甚だ豊かなれともこれ

を都會の市塲に輸して善き價を求むるの工風を得ず地方の人力車賃は一里二錢三錢を普通

の相塲とし都會に最も近接なる東海道中にても一里四錢を超るは甚だ稀れなり何ぞ此人力

車を東京に輸入して一里八九錢乃至十一二錢の相塲と競爭せざる、地方にて人夫一日の働

きは辨當持參にて十錢の賃錢を得ること甚だ難く大工左官の工錢と雖とも二十錢を超るも

のは實に少なし何ぞ此勞力藝能を東京に輸入して人夫一日三十錢内外大工左官一日五六十

錢の相塲と競爭せざる、地方炭薪の價の廉なる木を伐り又これを炭に燒く手間賃に當たる

位のものにして其元質たる材木の價は皆無たるべき勘定なり何ぞ此炭薪を東京に輸入して

二十萬の竈を賑はさゞる此等の例證を細かに吟味すれば到底枚擧に遑あらざるなり都會と

田舎と斯くも寒暖の相違あるは抑も何故ぞや交通甚た不便にして運賃甚た高く全國各處の

需用供給を通して同一の平準に近寄らしむるの工風なければなり盖し水は噐の大小方圓を

問はず必ず其平準を求むるの法なれとも若し水の中央に障壁を設けて左右二體に分つに方

ては二體の水は同一の平準に居ること能はざるなり故に山村水落に何樣の廉價品あればと

て都會の市塲と商路徃來の價十分ならざるに於ては廣く世界の需用を利して善き價を求む

るの方便なかるべきなり今各地方の物價及び工錢の低價なるは疑ふべくもあらず然れとも

此物品職工を東京大坂等の市塲に持ち來るさへ尚ほ甚た困難にして現に田舎と都會との物

價工錢には甚たしき相違あるを承知しながら何分にも其平均を得せしむるの工風なく目前

東京大坂の市塲にさへ襲來する能はざる此の廉價品を驅て爭で海外萬里の大市塲に侵入せ

しむべき望みあるべきや故に果して今全國生産賣買の各業を挽回せんと欲せば先つ此の廉

價品をして東京大坂等の市塲に溢れしむべし東京大坂等の市塲先つ溢れて然る後に漸くこ

れを海外に〓通して世界平準の善き價を得せしむるの工風もあるべきなり(未完)