「利の付く金は遊ばせ置くべからず」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「利の付く金は遊ばせ置くべからず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

今の日本國の不景氣を救ふには金融を滑かにするよりよきはなし金融を滑かにするは外國

より數千萬の金を借り來りてこれを全國に散布するよりよきはなし然るに幸ひなるかな日

本には早晩布設せざるべからざる鉄道あるが故に今此他借の數千萬圓を悉く鉄道の資本に

下し東西南北各處一時に工事を起し一兩年を期して悉く此金を使用し了らんには不景氣の

退治と共に運輸交通の便大に開け全國の農工商業は永く其恩澤に浴することならんとは我

輩が兼ての持論なり仮令へ此論の實際に行はるゝを見ること能はずとするも日本政府が折

角内國にて借り得たる二千萬の金を目的の通り中仙道の鉄道工事に使用し得ずして空しく

永く大藏省の庫中に埋歿せしめ不景氣の退治どころか却て不景氣の加勢をするが如き實跡

あるを見ては我輩の遺憾實に際限あるべからざるなり中仙道は國中有名の難處なり其山と

云ひ川と云ひ鉄道を布設するには最も困難の塲所なりと云はざるを得ず故に鉄道工事の

遲々して急塲の用を爲さゞるは地理の罪にして其局に當る人の過にあらずとして暫く我心

を慰むるの外に工風なしと雖ども去りとて折角二千萬の金を募集し年七分以上の利足を拂

ひ居ながら空しくこれを庫中に埋歿せしめて氣長く隧道鉄橋等の工事の成るを待ち居るは

未だ十分に智者の事と云ふべからず則ち宜しく今の好機會に乘して此中仙みち鉄道公債金

を他の鉄道線路に流用し臨機の處分唯利uの多からんことを勉むべきなり人或は曰はん此

二千萬の金は中仙道鉄道公債なるものを賣りたる金にして只一般鉄道公債なるものを賣り

て得たる金にあらず中仙道鉄道に使用するからとて借入れたる金を他の縁なき線路に使用

しては政府が人を詐くの嫌ありてよろしからずと然れどもこは甚だ窮屈なる考にして日本

國の賞罰を顧みざる議論なり仮令へ最初は中仙道に鉄道を布設する積りにても一旦其非を

悟れば直ちに其計畫を廢して改めて東海道に鉄道を布設して可なり日本の利uにさへ抵觸

せざる限りは過ちて改むるに何の憚ることかあらん况んや我輩の説に中仙道鉄道はこれを

廢絶すべしと云ふにあらず唯此鉄道の爲めにとて募りたる資金の空しく庫中に埋歿して無

uの金利を拂ひ出すことの愚を思ひ一時これを他の鉄道に流用し後日果して此金の中仙道

に入用なる時はこれを返却すべしと云ふに於てをや此事を爲すに政府は决して中仙道を欺

かず又人を欺かざるなり我輩試みに或人に問はん越後直江津より信州上田までの今の鉄道

線路は果して何道なるべきやよも中仙道にてはあるまじ信越鉄道既に中仙道鉄道公債の金

を流用し得るものとすれば東海道鉄道なり山陽道鉄道なり同しく又流用を禁するの理由は

なかるべきなり

今日本國全体を眺めて何れの地方の鉄道を必要とし何れの地方の鉄道を不要とするの區別

は甚だ無用なるべく一概に云へば無鉄道の日本國何れの地方にこれを布くも皆必要の線路

なりと評して差支なしと雖ども其間に又自から前後緩急の制なしども云ふべからず從來日

本人の論に北海道は日本北門の鎖鑰なり堅固にせざるべからずなどゝ唱へ北海道に人を移

し北海道に道を通ずるを以て日本の獨立富強を謀るに第一着の緊要事なりと応得爲めに金

を費すこと前後幾許なるを知らず彼の日本鉄道會社が其線路を定むるに當り先づ東京より

青森に至るものを撰びしが如きも其意盖し亦北門の鎖鑰論に在るならん日本を左右の二區

に分ち其西南の方はこれを其東北の方に此すれば人口繁く地味肥えて鉄道會社の損u計算

上に線路布設第一適當の地方なりと定むべき筈なるに却て東北の人烟稀少冬季積雲人馬の

跡を絶つ最も僻陬の地方を第一着の塲所と定めたるが如きは鉄道布設に唯政治上の利害の

みを考究したるものにてもあらん然るに何ぞ圖らん世運進歩の速かなる今日は最早北海道

の北門鎖鑰論などの如き遲鈍淺薄の説を爲すを許さず亞細亞極東の運命論は目下漸く日本

西南の部分支那朝鮮の沿海等に集合して復た變すべくもあらず昔年は露國が樺太島に垂涎

したるもの今は英國が朝鮮の巨文島を占領し露國又一道を占領し獨國又一島を仮らんとせ

り日本の對馬、壹岐、平戸、五島、天草、甑島、種子島、屋久島、大島、沖繩の群島など

直接に其風波の衝に當るべきは勿論馬關、博多、呼子、長崎、鹿兒島等陸地の諸港も悉く

皆此暴風線内に在るものと云はざるを得ず一旦西海に風波起る時は諸島の周圍諸港の前面

は皆砲台水雷火等の守衛巖重なるべしと雖ども此時尚ほ尋常の日本商船類が九州沿海の航

行は隨分危險なるものと定めざるべからず此時に當り海陸第一の必要品たる三池高島唐津

等の石炭は如何してこれを日本内地に運漕供給することを得べきや若し萬一にも自由自在

の供給或は六ケ敷からんとの疑念あらば未た風波の起らずして海上安全の日に當り早く先

つ九州及び山陽道鉄道を布設して萬一の狼狽を避るの工風を盡すこと今の日本國の獨立富

強に甚だ大切なる要務なりと云ふべきなり

斯る次第なるが故に我輩は中仙道鉄道のみにては目下擧げて用ふべからざる公債證書の賣

り上げ金を分ちて直ちに之を九州及び山陽道鉄道の力に振向け二千萬圓を一錢も殘さず成

丈け短き時日の内に關東關西越後中國九州地方の鐵道工費に使用し漸く拂底の時に至れば

更に又跡金を募り速かに此諸工事を畢るの工風を爲さんことを欲するなり斯の如くして東

西の鉄道既に成るの日は全國農工商業の景氣も回復し南門の鎖鑰も堅固を揩オ或は永く日

本國の獨立富強を維持攝iするの望も達せらるゝならん是非入用の鉄道を布設して一は不

景氣を退治し一は國の防禦を嚴にす所謂一擧兩得なるものにてもあらんか何卒讀者諸君の

一考を煩はし近日果して九州及び山陽道鉄道の成就を見ることを得ば誠に我輩の本望なり

(畢)