「 東京市區改正の事は中止すべからず 」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「 東京市區改正の事は中止すべからず 」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

 東京市區改正の事は中止すべからず 

東京市區改正の事は數年來世上の問題と爲り封建の遺物たる東京の市街を改良して日進文明世界の中心市塲たるに適する新東京を造らんとは當局の政府も人民も久しく共に希望する所にして昨年の十一月に至り時の東京府知事芳川顯正君は此市區改正の一日も猶豫すべからざるを察し十分の考案を立てゝ早く實施あらん事を内務省に上申したるに直ちに政府の採納する所と爲り十二月に至り内務省中に東京市區改正審議會を開き其委員には東京府を始め海陸軍内務工部及び東京商工會等より適任の人々を選抜してこれに充て東京府知事より提出の市區改正案に據りて審査討究する所なり半年の後に至りて纔かにこれを議了し委細に上申する所ありたりと聞けり故に我輩は近日必ず東京市區改正に關する布令を見同時に改正方案の詳細を聞くを得るならんと樂み居る甲斐もなく爾後一事の市區改正に關する好報道を得るなく一日一日と人の噂も消失せ今日の所にては此改正も例の坐頭の坊の芝居見物と一般唯其聲のみを聞いて遂に其姿を見るを得ざるの勢あるが如きは我輩の甚だ遺憾とする所なり

本管改正に要する費用の概算を聞くに東京灣の築港をも==て大略五千萬圓にして足るべしといへり而して此費用を仕拂ふの工風は何れ國庫より補助のあるべきは無論の事なれども東京府にても府債等の方法に困りて必要の資金を募りこれを償却するが爲めには新たに入市税の法を設け酒、醤油、米穀、魚鳥獸肉、炭薪の類日用の消費物を東京に輸入するに當りこれに何程つゝかの税を課し一箇年凡そ百萬圓位の金額を取上ぐるには格別の不便を讓さざるに付此百萬圓の金を以て市區改正の費用を償却する事とすれば市區改正の大工事も案外容易の事に屬すべしとて其議をも提出したるに何故か入市税新設の事は全く其筋の拒絶する所となりたるが故に同時に市區改正の事も到底實行は六ヶ敷かるべき勢となりたりとの風説あり我輩は此風説の眞僞を知らず==我輩一己の考を云へば無論事實無根の訛傳ならんとこそ思はるゝなれ何となれば東京市區改正の大=なる商官民共に承知する所にして一日も早くこれを實行せん事は官民共に希望する所なり左ればこそ政府も内務省中に東京市區改正審査會を開き審査會も亦十分に熟議して其旨を上申し政府の納るゝ所となりたることならん然るに其費用仕拂の諸案中入市税新設の一案は甚だ不適當なりといふの一事を以て市區改正の全議を廢するが如きは道理上に於て萬々あるべからざる事柄なればなり必竟するに金を集むるの工風は必ずしも入市税の一案に限らず叉市區改正の費用を償却するは二三十年の短時期を限り必ず此期限に皆濟せざるべからずと氣を急くの要用もなし入市税を適當ならずとすれば其代りに上水税、家屋税營業税の類を用ゆるも宜しからん或は東京百萬の住民より一箇年百萬圓の集金は多きに過くと云はゞこれを七十萬に減し叉五十萬に減するも差支なからん必竟今回の市區改正たるや獨り此東京を日本全國の中心市塲と爲すのみならず當時西洋東洋の貿易日に益進歩擴張の折柄我日本國をして世界貿易國の仲間に加入せしむると同時に此東京を東洋貿易の中心市塲たらしめんとするものなるがゆゑに市區改正の利益の及ぶ所は决して二三十年を限るべきものに非ず五十年百年日本國の有らん限り子々孫々其恩澤に浴すべきものなるがゆゑに此費用を負擔する者も今代二三十年間の東京府民に限らず成る丈け長く引延ばして永久の負債と爲し一時の負擔を輕くするを善しとすべし叉此市區改正の費用たる紀念碑を建立するとか花火を打上くるとか贅澤虚飾の用に消費するにあらすして商業上便利を増進すべきやうに街路を改造し清潔なる飲用水の供給を澤山にし叉容易にし、惡水を疏通して病根を絶ち不愉快を去り、家屋を煉瓦造にして風雨火災の憂を免かれ、世界萬國の船舶を品川薹塲以内築地霊岸島の川岸に横附けにして貿易を便にする等其事總て皆實益を目的として東京の繁昌を助くるものなるがゆゑに事業成るの日此市區改正よりして得る所の利益は何程澤山なるべきや今より測り知るべからず今日の東京市民こそ一箇年一二百萬の金を見て其多額に驚くべけれども十年乃至二十年後の東京市民は毎年三五百萬の臨時費を課せらるゝも更に苦痛を感ぜざる事ともならん左すれば今日の東京を見て五十年後の東京も亦斯の如しと爲し子孫永遠に大利益を遺すの事業を企るに當りて妄りに其費用の償却を難んするが如きは最も眼境の狹隘なるものと云はざるを得ず我輩は東京市區改正の中止すべき理由なきを確信するなり今や秋冷纔かに催して人々未だ其思を冬季火災の事に及ぼすに暇あらずといへども今より三四箇月を經て冬の眞中に至り一夜烈風吹きすさみて屋を動かし六屏風裡尚ほ安眠を得ず晝間人に聞く所の近來盗賊無頼の徒府下を徘徊し不安心に堪えずなどの事を思ひ出し東京の家屋築造法を心配する折柄忽ち遠く警鐘の響くこともあらんには此時こそは其人の日本橋區人たると麹町區人たるを論せず必ず十分に市區改正の必要を合點する事ならん火災の一事尚ほ且つ市區改正の可否を决斷するに足れり况んや此事業に伴ふの利益は火災鎭壓の利に比して一層洪大なるもの尚ほ幾個の他に存在するものなるに於てをや東京市區改正の事は中止すべからざるなり