「公の商店と私の住居とを分離すべし」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「公の商店と私の住居とを分離すべし」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

公の商店と私の住居とを分離すべし

人の心身は外部周圍の事情に制せられて樣々に變るものなり既に古人の言葉にも居は氣を移し養は体を移すとあり即ち人の居所修養の甚だ大切なる所以にして古へ封建武士の如きその平生の行爲自から氣高くして容易く他より凌ぐ可らざるの風勢ありしも全くは封建制度の下に立ちし其居所修養克く士人の武風を致したる者なりと云はざる可らざるなり昔し水戸藩にて名君の誉れありし烈公が江戸詰の武士の氣風甚だ以て凛然たらざるを嘆息し藩邸内、百間長屋の裏互ひに僅か壁一重を隔てゝ爰に幾十幾百の世帯を張らしむるの法は士人の武風を汚すこと誠に尠しとなさず一家數口九尺二間の狭室に蟄息して猫額大の庭地を眺め居りながら士人の胸中常に遠大高尚の氣を養ひ得ん抔とは思ひも寄らざる事なり付ては江戸詰の士人をして斷然國に就かしめ廣々したる屋敷地を領し高門大屋その平生の居所を宏大に暮らさせなば彼の長屋附合に小者じみたる野卑の風俗も脱去り心事遠大爲めに士人の面目を一洗することならんとて用も無き江戸詰の士人を國元に送り還したる談は既に人の記臆にも存する所なり畢竟居は氣を移すの喩へにて士人の氣を高尚にせんと欲せば先つその居を宏大に搆へざる可らざるの趣烈公の爲す所工風し得て甚だ妙なりと申すべきなり

事柄は全く變りたることなれど日本は商を以て國を立つべし商賣に依頼せざれば國の富強保つ可らず商を營むは志士の耻辱に非ずしてその面目なり社會は商人に地位と名誉を與へてこれに尊敬を表すること大切なりとは毎度我輩の申し陳ずる所にして社會一般の人と雖も亦决して商人に地位名誉を與ふるを吝む者には非ざるなり左れば今日に於ては各種の商人誰憚る處もなく公然世に出でゝ己れの地位を高め又己れの名誉を作ること素より勝手自由にして傍らより故障を差入るゝ者は絶てこれあらざるべきに尚ほ依然として封建の昔し武士に頭を踏附けられたるその素町人の舊習を保守し少しも勇奮して躬から社會榮譽の中心たらんとする精神なきは實以て驚かざるを得ざる次第ならずや日本橋の以南以北左右に本通りの一直線また本町その他最寄りの大路筋を東西に通覧するに凡そ東京市中の豪商富家と呼ばるゝものは大抵こゝに居住せざる無く即ち日本帝國の首府たる東京商賣の樞軸は全くこの邊に在ることならんと雖も偖その豪商富家なる者が平生如何なる生活を爲すやと尋ぬるに紅塵百丈の眞中僅か表店の裡に一隅を割據し主人を始め妻子眷族下女下男より店向き召使ひの番頭丁稚に至るまで隙なき狭屋に雑居混同し猫額大の庭地尚且つ踏むべきの餘地なく青々したる草木の繁茂さへもこれを眺むる能はざるの始末、終年終生土藏の中に籠城して以て全國商賣の活機に當らんなどとは實に思ひも寄らざる次第と申すべきなり夫れも徳川の頃、素町人の頭が擧がらざる世柄ならば卑屈因循にても世渡りは濟むべしこれに向て其志を遠大にし商人能く社會榮譽の中心たるべしなど勸誘するも固より無益の談にして其卑屈の儘に打捨て置くも差支え無きことながら抑も立國の大本を商人に托せんとする今年今日に當り又東京商賣の樞軸たるその處に店を搆へて尚ほも徳川時代素町人の生活法を忘るゝこと能はざるが如き有樣にては社會の人は商人を重んじて惜氣も無くその地位名譽を與へんとするとも肝腎の商人等が奮てこれを受取るの勇氣なからんことを恐るゝなり

我輩は現時商人の氣力に富まざるを嘆息すること限り無けれども何故に商人の卑屈斯くまでに甚しきやとその原因に溯り考ふるに盖し樣々の由縁もあるならんかなれども其重なる者は即ち徳川封建の時代、素町人たりし居所修養の結果爾く今の商人に禍したることゝ評せざるを得ず左れば居は氣を移すの言葉いよいよ事實に相違なくして水戸の烈公が江戸詰の士人を國邑に移したるを眞の卓見なりとすれば商人と士人と其趣こそ異なれども商を以て國を立るの今日に當り我輩が今の商人に向て其心事の高尚にして志の大なるを要するは烈公が其藩士に求めたるものに異ならず、故に我輩の所望を云へば東京の豪商等も先づその居處移轄のことを企て商賣の中心たる騒々しき巷を離れて然るべき地に邸宅を求め門口玄關の搆へより家屋庭苑の作り等その力に應じて壮大の土木を起し主人一家、公明正大に紳士の生活を營みその中心市塲の店向きをば純粋なる商賣の事務所となし日にこの事務所に出張して商賣取引の繁務に當りその業務畢れば則ち直ちに邸宅に歸りて家族團欒の快樂を享け又は知人朋友の交際に閑を消する等純然たる上流士君子の家風を成すこと最も願はしき所なり之を要するに今の商業を營みて立國の根本ともならん者は善く勸め、善く樂み、善く節し、善く奢りて始めて文明世界の商人と云ふべきなり西洋各國商人の有樣を視るにその居家と商店とは皆別々にして中央市塲、繁華雑踏の街路には商店を設け置き少し田舎に隔りて閑静清潔の地に宏大なる邸宅を搆へその身は馬車汽車の便を假りて往てその商店を監督するの慣行にして倫敦巴里紐育その他何れの處も大同小異、これを我東京商人の有樣に比すれば天滿の相違啻ならず抑も十九世紀の今日に於て人の榮譽尊敬は専ら財力の多少に係ること正に世界の通法なるに日本の商人は強ひて自から此通法を外れ自家の産の厚きにも拘はらずして自から卑屈を悦び態と醜体を示すとは實に不審に堪へざるなり偶ま他の大人の邸宅に出入するにも鞠躬如として漸く其門を潜り又九拝して其堂に上るが如き見苦しき次第ならずや畢竟身に慣れざる壮觀に膽を奪はれて然るものなれども若しも自分の邸宅に門口家屋の盛なるあらば何ぞ他の盛なるに逢ふて恐るゝ所あらんや巍然たる自家の門を出でたる者は他家の門を通るに其巍然たるを見ず則ち氣の滿るものにして其心の高尚を助けて人品を重からしむるの働きは尋常に非ざる可きなり左れば今の日本の商人が何ほどに資産を增し何ほどに土藏を立並べても出入に門なく住居に庭園なく土藏の間に廂の下に眠食するが如き有樣にては百事前途の望あることなし居は氣を移すの一義違ふことなくば其居を素町人にして其人の素町人ならざらんことを望むは盖し無理なる事ならんのみ