「開國雜居一日も遅疑すべからず」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「開國雜居一日も遅疑すべからず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

開國雜居一日も遅疑すべからず

優勝劣敗は宇内の大勢人事の通理強きは弱きを制し小は大に制せらる小者弱者の爲めには如何にも迷惑の仕合ならども大者強者の爲めには甚だ都合よき仕組にして而かも人事の進歩は唯此強者必勝弱者必敗の一點にあるものなれば敗るゝも怨むに足らず勝つも誇るに足らず優勝劣敗の正理甚だ分明なりと云ふべし今彼の相撲仲間を視るに東西の大關より三段目の小相撲に至るまで其力量は遙に素人の右に出で骨格の偉大支体の發達強壮の相貌自然に備はり一目して其相撲取なるを知るべく又其仲間に入て之を視るに三段目は二段目よりも弱く二段目は幕の内よりも弱し其大關に至ては實に相撲の大王にして之に叶ふものあるべからず斯く相撲取の上より下に至るまで其順序整然として乱れざるは盖し優勝劣敗の理盛に行はれて俗に所謂腕づくを以て其仲間の主義をなすが故なり然るに今相撲社會の威儀一變して目上の強き相撲と角力するを嫌ひ只管弱きものに取組むを以て己れの面目となすことあらば遂には關取必ずしも強からず小相撲必ずしも弱はからず素人却て相撲取を投げ出すが如き奇觀を呈するも知るべからず幸にして未だ此奇觀を呈せざるは相撲取が其相手を撰ばず徹頭徹尾優勝劣敗の正理を以て其主義となせばなり前〓の言果して理に違ふことなくば更に此理に據て發明すべき一條の事柄こそあれ即ち我日本の開國雜居の利害是なり或人曰く日本國を開て貿易を始めしは三十年前の事なれば今更ら開國の利害得失を論ずべきにあらずと答て曰く然らず我國中の五港を開て外國の貿易を始めしは二三十年の昔しなりと雖ども是は唯我國の海邊にある五箇所の港を開きしのみにて全國を開て彼我の交際をなせしにあらず國は依然舊時の鎖國にして唯港を開きしのみなれば讀者幸に開港と開國との別を明かにして下文の意を解せられよ

徳川政府の末年に當り鎖國攘夷の説盛に行はら一時全國の人心を激昂し腕力以て之を拂ひ武勇以て之に當らんと熱心止む時なく遂に薩長異船打拂の一段に立至りたり去れども優勝劣敗の通理は致方もなきものにて我には弓矢刀槍の備嚴重なりと雖も彼れには巨艦大砲の利器充分にして薩長の武勇も其詮なく詰る所は償金沙汰となりて事落着せり當時義士の心中所謂報國盡忍の他に餘念なく粉骨碎身斃れて後ちに止むの决心なりしも如何せん文明の戰爭は器械の戰爭なれば無形の氣慨精神に依頼して勝を制すること甚だ難たし去れば古來武勇の名ある薩長でさへ腕力を以て文明國人と雌雄を决せんとして遂に其詮なく空して敗軍となりたるなり斯く一度腕力の優勝劣敗を决せし以來は迚も外國人には力を以て敵すべからざるものと覺悟を定め腕力でさへ叶はざるものを若し此人々を日本國内に雜居せしめたらば如何なる事を仕出す哉も量り難たし我國無智の人民商賣をすれば損を招き訴訟を起せば辨論に負け曲を蒙るも己れが權利を保護するの智なく又力なく遂には外商の爲めに我全土をも押領さるゝの恐あるが故に今更開港塲を鎖して一切の外交を拒絶すると云ふ譯にも參るまじけれども成るべく敬して遠ざくるの策を用ひ其居所を五港に能く深く内地に入て我國を押領せざる樣にすべしとて則ち外國人の遊歩規程をも定め極めて内國人との交際を不自由にせり今此状を形容すれば相撲取が負くるを恐れて目上の相撲と取組むを嫌ふものに似たり相撲の一身上を謀り又全体相撲社會後來の利害を考ふるに誠に拙策の極度にして未だ優勝劣敗の通理を知らざるものなり負くるを好まぬとて己れより強き者と取組まざれば未來永遠小相撲の境界を脱して幕の内に入るの期なかるべし我國開港以來すでに三十年の星霜を經たり此三十年の間に我日本國は何程の進歩をなしたるやと尋ぬるに汽船鉄道電信法律等聊か有形の進歩はなしたるものゝ如くなれども是れとても誠に微々たることにて敢て他人に語るに足らず况して其内部人心の進歩に至ては如何にも遅々緩々依然たる東洋の日本人にして更に改進の證あることなし政府を視ること鬼神の如く下民を御すること赤子の如く利を後にして名を先きにし道理に疎にして人情を重んじ道徳の死文に拘泥して實理の活用を會せず卑屈に安んじて自尊自愛の何物たるを知らざる者滔々是れなり一度歐米の地を踏み文明の實状を視察せし壮年の諸士が歸朝して我國社會の有樣を見通し迚も日本は後來に見込なし抔と嘆息するも决して無理の言ならざるなり舊幕の末年に當り外國人と腕力の優勝劣敗は其落着すべき所に落着して強き者勝ち弱き者負けたれども未だ勢力全体の戰爭を試みざるが故に其力の期する所尚ほ判然ならず五港を開て貿易をなすこと已に三十年なれども未だ開國の實あるを視ず宜敷此際一時に日本全國を開て外人の雜居を許るし優勝劣敗人心内部の競爭改進を試み以て文明列國の幕の内に入るを勉むべし或人曰く今全國を開て外人の雜居を許るすは甚だ容易なれども扨て其雜居を許るしたる上の結果如何を思へば暫らく此果斷を見合して我人心を養成することを先きにすべし我か邦人は未だ外人に敵するに足るの智力なく彼れは智にして且つ富み我は愚にして且つ貧し彼は強くして我は弱し今俄に此智愚貧富強弱を一所に雜居せしめたらば國は忽ち滅亡し人民は忽ち奴隷とならん豈に恐れざるべかんやと此言或は然らん然りと雖も前にも陳したる如く人に負くるを嫌ひて人と競爭せざる時は到底上達するの見込あるべからず况して全國を開て内外の交際を親密にしたればとて夫れが爲めに邦土を押領さるゝの愚は萬々なきに於てをや何となれば外人若し我國土の豊饒なると其地位の太平洋に極要なるとを欲して之を押領せんとならば豈に悠々其國を開くの日を待て然る後に手を下すが如き迂遠の計を爲さんや今日只今にても各國を合すれば何事か成らざるものなかる可し然るに今の實際に於て其事なきは何ぞや或はこれを日本の士氣旺盛にして國の元氣充滿するが故なりと云ふ者もあらんかなれ共我輩は未たこれを信せずこれを自力の獨立と云はんより他力の獨立と云はん方寧ろ其實際に近からんかと思はる即ち今の文明諸強國の間には不充分なからも彼の國力平均なるものありて甲此國を併せんとすれば乙これを妨げ乙彼の國を取らんとすれば甲これを遮きり互に相掣肘し互に相猜疑し一國をして専ら其欲を恣にすることを得せしめざるが故なるのみ果して然らば日本が鎖國の今日に當て諸強國が相猜疑掣肘するものを一旦開國と聞て忽ち相忌むの念を散し其日より國力平均の働きの廢絶すべき理由あるべからず開國の前に獨立し得べき國なれば開國の後にも亦必ず獨立し得るに相違なからん開國の前後を區別して日本の獨立を掛念するは日本を知らず又外國を知らざる者の偏見なりと云はざるを得ず國力平均の世に行はるゝを時として一日も速かに國を開き此間に大に競爭し大に改進し必敗の地位を去て必勝の地位に立たんとするは今の日本人の本願なるべし三十年前の開港も其當時に在てこそ是非の論も喧しかりしなれとも三十年後の今日より見れば開港の决して尚早からざりしのみならず却て其甚だ晩かりしを憾むるなり仮りに嘉永の開港ををして天保年間に在らしめんか今日我日本の文明福利は必ず現時のものに幾倍するものあらん彼の朝鮮の如き不幸にして早く外國と交際するの利を悟らず其開港の日も我國に後るゝを二十餘年随て今日其國歩の艱難なる我國と同日の論にあらず其重もなる原因は唯開港開國の手後れしたるのみ故に今我開國の是非を論するにも三十年前の開港の事に鑑み隣國朝鮮の令を考へたらんには日本國の文明福利の為めに開國は今日尚早きにあらずして既に甚だ晩き次第を發明すべし我輩は文明國人と競爭して日本人の智力の必勝を期するにはあらず唯一つの希望は一日も早く全國を開て内外人に交際を密にし成るべく早く競爭を始めたらんには幾分か優勝劣敗の作用を激烈ならしめざることもあらんと思ふのみ彼の成るべく丈け永く蟄居主義を固守して一旦俄然眠を覺まし時機既に後れたるを悔るが如きは我輩の甚た取らざる所なり