「官尊民卑の弊」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「官尊民卑の弊」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

官尊民卑の弊

昨年十二月政府に改革ありてより引續き諸官員中免非職の向も尠からずして世間の評判甚だ騷々し、日本國民全体の利害得失より觀察を下すときは此事固より社會の小事故にして論ずるに足るものなく梅雨時節の一水、二百十日の一風にも比較するに足らざるものなりといへども唯其當局の人々に取りては隨分目を驚かすべき變動なるべし盖し變動は社會に免れ難きの數なり取別け政事社會に在りては不意の變動のため思ひ寄らざる所に得意の人を來すと與に又同じく失意の人をも作り昨日の榮華、今日の零落思はざる苦樂の境に浮沈して喜憂すべきもの一度限りにて止むべき筋にも非ず又これを止めんとして止め得べき事柄にもあらざるがゆゑに平素より心掛けて何樣の變動にも狼狽せざるの覺悟なかるべからず或は試に日本今回の政變を取りこれを西洋諸國に有觸れたる同じ政變に引較べ見るべし對岸米國の如きは人も既に知る通り大統領の改撰にて政黨の勝敗を决し一党代て他黨の政府を取る毎に此迄に政府の俸給を受て衣食したる者は大となく小となく一切擧げて免官となり全國幾多の官吏皆失意の人となるかの有樣は吾人局外者より見ても餘り苛刻ならずやと感ずるほどなれ共是れも政事社會には時々免る可らざるの數にして國の爲めにかの利益多しとすれば斯る大變動も敢て憂とするに足らず唯羨ましきは米國などに於ては其時の失路者が失路のために大に体面を失ふに非ず又生計の方法とても必ずしも政府内に限らずして内に之れを失へば外に之を求るの道多くして其大變動も個々の身の上に波及する所は存外に輕小なるの一事なり

右の如く政變のある毎に世に失意の人を現出するは政事社會に免れ難き事相なりとして我日本士官の人々は能くこの政變に對して不覺悟を取ること無きやと言ふに事實中々然るを得ざる者あるが如し即ち今回の改革にて免非職となりたる其人の中には自今處世の目的に當惑する者少なからず第一には差向きの生計を如何すべきや日本の官民の間には事務の模樣も常に甚だ相違するが故に官途には熟練と稱する人物にても頓に民間に移りては存外に用を爲さざるものなり之を第一の難澁として尚この上にも苦しきは官尊民卑の習慣中に在りて免非職とありては世間に對する顏色の相違如何ばかりなるべきや昨日までは官廳に坐して目下に人民を見るのみならず都鄙私の交際に於ても官員樣と仰がれたる者が今日は則ち大官廳に行けば官員樣を見上げ、私の交際に於ても官員樣を仰ぐの身分と爲り俗に所謂駕籠に乗る人擔ぐ人の相違を瞬間に生ずるとは扨も扨も痛ましきことにこそあれ啻に失路の當局者が心を痛ましむるのみならず政府の路に當りて之を處分する人の心に於ても决して愉快なるを得ず其進退を命ずる際には無限の情實意味を含みて實に斷腸の塲合もあらん畢竟するに在官の榮華と免非職の零落と雲泥の大相違あるがために双方ともに苦心多きことなり我輩はますます歐米諸國人の氣風を悦び其官民の榮譽の平等一樣なるを羨まざるを得ざるなり

政事社會が眞に極樂園にして一たび之に入るの人は終身終生天の豊祿を享けて此樂境に離るる苦勞無しとすれば日本世界に斯程羨ましき塲所はなかるべけれど官途必ずしも安穩ならず何時如何樣の機にて俄然失路の徒たるを免れざるの恐あるに日本の士官人が一意この幻夢に熱中し一朝の政變忽ち驚喫して身の方向に迷ふ如き不覺悟あるは我輩一にこれを官尊民卑の弊に歸せざるを得ざるなり凡そ斯る人の腦裏には唯官と名くる小乾坤あるのみにして社會の萬象を寫すの明鏡を備へず、この廣き社會には商業なり工業なり學事なり農事なり幾多の事業孰れも門を開て來者を■(「疑」の左側+「欠」)待するあるも民間の事業は卑賤厭ふべく决して士君子の執るべき業に非ずとして少しも之を顧みる者なきが如し今の在官者必ずしも官の一藝にのみ偏したる人に非ず進で民間社會に入りたりとて次第にこれに慣れば仕事の出來兼ぬる人にもあらずと雖もただ如何にせん民間の事業とさへ云へば何か不面目なる仕事の如くに思はれて少しもこれに進むの勇氣なく一回政變に苦めらるると與に意氣挫折し又心機を轉じて他に之を恢復するの念なしとは實に氣の毒の至にして官尊民卑の弊習人を誤ること甚だしと云ふべし果して斯る弊習の日本社會に存する限りは政變の其度毎に失路者の難澁は兎も角も一國に大切なる政事運動の圓滑を妨るの恐なきを得ず是れ我輩が大に憂ふる所にして世人と共に其矯弊策を求めて止まざる由縁なり