「帝室の緩和力」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「帝室の緩和力」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

帝室の緩和力

方今世界の政治に獨裁立憲共和の三大別あり其可否得失は容易に概言す可らず獨裁政治不可なりと云ふと雖ども明君賢相位に在れば政務の採决流るるが如くにして深仁厚澤、春風春雨に均しきことあり立憲政治の徳として政治機關の運轉、圓く輕く政權授受に風波の痕を留めずと雖ども黨説動もすれば相中和して事を斷ずるに緩慢柔弱に流るることあり共和の制も亦一得一失にして現に佛蘭西共和國には帝政復古を唱ふるもの少なからず要するに政治の得失は其國人民の氣風に因り其政治歴史の變遷に由りて各其趣を異にするが故に各國各樣の政治を觀察取捨するに亦自から各樣の眼識を具へざる可らずと雖ども古來政治發達の歴史に於て君主獨裁は未開の國に行はれ立憲王政は其中より進化し來りて文明國の政と爲り共和政治は今日の實際にて最も高等の制度なりとの定論あるが故に天下の政論家は當時の國政の適否如何に■(てへん+「勾」)はらず漫に取隴望蜀の念を抱き獨裁政治の下に在ては先つ立憲政論を唱へ立憲政治の國に居ては頻りに共和政治の美を羨み既に共和政治の恩澤に浴すれば更に進んで社會共産等の政論を試み國の政論の一部分は時の政治よりも常に一歩を進むるを常とす即ち目下露西亞國に立憲政論の鬱結あり獨墺英伊等に共和論者あり佛國に社會黨共産黨等の崛起する所以ならん現に我日本國に於ても維新以來立憲政論の喧しきあり政府に於ても亦夙に此論に同案にして先年國會開設を未來に期するの詔あり過般は臨時建築局の創立ありて諸官衙及び議院の建築を經營することと爲り追ては憲法の草案も成り明治二十三年には全國の國會議員を召集して目出度く立憲政治を施行することならん立憲政治愈々立て日本國の政論は如何、今日の處にては未た國會を見ざるが故に立憲政論は國中最も進歩したるものなれども立憲政治既に成らば尚一層進歩したる政論の次第に我國に囂々たるは勢の自然、我輩は今日より其必ず然るを信ずるなり

前陳の如く國の政論の一部分は時の政治よりも常に一歩を進むるものなれば目下歐洲立憲政治の國にては彼の一歩を進めたる政論の爲めに立法上に行政上に多少の障害あるを免れず左れば立憲政治の局に當りて其政の長久圓滿を企望するものは己れを正ふして朝野に立ち人の卑屈醜陋なるが爲めに併せて政の性質の不評判を來さざるやう注意專一なりと雖ども此際民情調理の點に於て帝室の靈光妙徳を仰ぎ情の部分より國の融和を保つこと肝要なり盖し人民の不平に因て行政上に障害を爲すことは昔時未開の世にも其例甚だ多しと雖ども昔時の不平たるや苛税重歛を訴ふる等の種類にして概ね形体上の窮苦を伸べんとするに過ぎざれば大義名分等の理論を以て之を説服し尚ほ足らざれば力を以て之を制壓すること甚だ易く春雪秋靄忽ち消えて其痕を留めずと雖ども今の政論上の反對に至ては彼れ又理論に據て動かざるものなれば之を制すること易からず唯天外高尚の部分より情の働を卒土に下し天下の衆人民をして其恩澤に感泣せしむるの際に知らず識らず帝の則に遵はしむるの一方あるのみ我輩嘗て帝室論數篇を著はし其中に國會は唯國法を議定して之を國民に頒布するものなり人民を心服するに足らず國會の政府は二樣の政黨相爭ふて火の如く水の如く盛夏の如く嚴冬の如くならんと雖ども帝室は獨り萬年の春にして人民之を仰げば融然として和氣を催ほす可し國會の政治より頒布する法令は其冷なること水の如く其情の薄きこと紙の如くなりと雖ども帝室の温徳は其甘きこと飴の如くにして人民之を仰げば以て其慍を解く可し之を一國の緩和力と評するも可なり云々と記せしが今日歐洲立憲政治の國にて種々の政論ある其中に現行の政治制度を敵視するものあり國會政府の力のみにて直に之を制せんとすれば益々其怒氣を激せんとするの勢あれども時に帝室の靈光を放て之を緩和することなきに非ず左れば立憲政治を計畫するものは單に議院憲法等の部分にのみ着目せず帝室の緩和力を此際に導て國勢の難澁を避くるの工風も亦甚だ肝要なり政治上の慣例は一朝にして成るものに非ず我輩は之を今日に語るも决して大早計ならずと信ずるなり          (以下次號)